記憶の片すみと(6)

母方の祖父は、
他人に頼み事をされると喜んで受け入れるタイプで、
地域の自治会長を長年やっていた。
数学が得意で賢い方だったし、5人兄弟の長男なので、人をまとめるのは得意な方だった。
見た目もスラッと細身で端正な顔立ちで、口がうまかったので、ご近所のご婦人からよくモテた。

まぁそれは外の顔。

若いときは給料を全て酒に使い、酒を飲んでは暴れ、
50代で早期退職をし、退職金で庭に池を作り、盆栽と錦鯉と酒に散財した。
だから私は会社勤めしている祖父を知らない。
私が物心ついた頃には既にニートだった。

母は3人姉妹だが、3人を大学まで行かせたのは祖母だ。
会社を定年退職した後も様々な仕事をしていた。
仕事をしていたので、毎日外出をし、毎日化粧をしてキレイだった。

祖母が先に亡くなり、その15年後に祖父が死んだ。

祖父の葬式に来た近所のご婦人が、
「お宅のお母さんは外で遊び回ってたのに、お父さんはよく頑張ったわよね」
と言った。
家族全員それを聞いて呆然とした後、込み上げる怒りを我慢できなかった。
遊び回っていたのは祖父だ。
どれだけ家族が苦労させられたか。

6年間一緒に住んだことがある。
酒を飲んで怒鳴り散らすことは日常茶飯事だった。
祖父は自分の好きな物を買ってきて、好きな時間に食事をするので、一緒に食卓を囲むことは無かったが、
私達の話声がうるさいと言っては、テレビの音量を最大にするので、私達は無言で食事をかきこみ、2階の部屋に逃げ込む生活をしていた。
祖父がテレビを見終わると、足音がうるさいだの話し声がうるさいだのと怒鳴られるので、布団の中で息を潜め、寝たフリをした。

次第に母の帰宅時間が深夜になっていった。
祖母ももともと外出が多い人だったため、どっちが私たちの食事を作るかで揉めていた。

お風呂は週に一度くらいだった。
歯磨きはほとんどした記憶が無い。
母はそんなことにも気が付いていなかった。
当時、私が虫歯だらけだったのは、私の歯が弱いからだと今も信じている。


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