記憶の片すみと(2)

祖父は母と仲が良いとは言えなかったが、孫の私達には優しかった。母も'自分の感情を子供達に押し付けてはいけない'という考えだったので、2階にもキッチンがあるにも関わらず、夕飯は必ず1階でみんなで食べた。
私の記憶にあるのは、祖父と兄と母との4人で囲む食卓だ。
祖母が亡くなったのは私がもう少し大きくなってからなので、どうしてあの食卓に祖母が居ないのかは分からない。
父が居ないのは、入院中だったのか、亡くなった後の記憶なのか、定かではない。
きっと4人で食卓を囲むことが多かったのだろう。

魚料理は祖父か父の担当だった。
私は好き嫌いが多く、魚も肉も野菜も白ご飯も嫌いで、食べられるのは、卵かけご飯と納豆ご飯とトマトだった。
ある日、祖父が「ここは骨が無いから大丈夫だよ」と鯛の煮付けを差し出してきた。
祖父は私に魚を好きになってもらいたかったのだろう。
せっかく祖父が作った物だし、祖父のことは大好きだったので、言われるまま鯛を口に放り込んだ。
残念ながら私の舌は骨を避ける術を持っていなかったらしく、そのまま飲み込んだ私は血を吐いた。
口にタオルを当てて、血を流しながらタクシーに乗ったのと、病院の処置室の風景を覚えている。
私の喉には大きな鯛の骨が突き刺さっていた。
医師と母は「よくこんな大きな骨を飲み込んだね」と笑っていた。
その日から10年くらいはトラウマだった。
祖父は落ち込んだに違いない。
大丈夫、安心して、今は焼き魚も綺麗に食べられる。


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