発信者になることで、良き受信者になれるということ ~ noteの効用
noteの継続日数のカウンターがバグったことは以前書いた。
6週連続おめでとう、的な謎のメッセージの翌日、カウンターがリセットされていたのだった。
カウンターがいったん初期化されているのでうっかり走り過ぎてしまっていたが、連続投稿がすでに100日を超えたようだ。
なので、それに関する所感を書こうと思った内容が、表題の通り。
つまり「発信者になることで、良き受信者になれるということ 」。
それが、noteの効用ではないかと思う。
* * *
noteを書く側になる。いやいやでも、書き続ける。睡魔とのぎりぎりの戦いで目が白黒しても、なんとか書く。
階上の住人が、コロナへのいら立ちを生活音にむき出しにしてきても、それはそれこれはこれと、書き続ける。
新規領域の仕事を生み出せないともう終わりです、というミーテイングの後でもやはり、それはそれこれはこれと、書き続ける。
陽の目を見ない下書きばかりが異様に増えようと、書き止めないでいる。
そうした無意味な足掻きを続けていることでの、もっとも有意義なメリットは、発信側にまわったことで、私に価値のある内容を発信をする人たちの多くをはじめて発見できたということだ。
なぜだかROM専としてだと、自分にとっての価値ある書き手と繋がれない。不思議と見つけられないのだ。
しかし書いていると、縁が生まれる。
コトバとキモチの齟齬に敏感で、コトバを武器や商品としてのみに発達させてきていない美男美女(推測)が、市井にこれほど居て私もその末席を汚している、という歓び。
それが、生活リズムを崩してでもnoteを続ける理由だと思う。
書いていなければ会えない人と、今週もきっとまた会えるのだ。
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