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【喫茶店日記】 はじまりは

はじまりは、昨年2021年の7月。写真家の栗田さんと、かご編み作家のかおるさんの作品展に向けて、かおるさんのお家で撮影と打ち合わせをしたときだった。

外ではセミが鳴いていた。かおるさんと旦那さんの隆司くんが自分たちで建てた木のお家の中は、暑い夏は涼しく、寒い冬はあたたかく、いつおじゃましても居心地がとってもいい。一通りの作業工程の撮影を終えて、ホッと一息つきお茶をしていたときに、展示会場である、わたしの働く喫茶店の話になった。

毎日地元のおじちゃんでカウンターは賑わい、反対側では若いカップルがデートしていたり、おばちゃん達が会話に花を咲かせたりしている。この小さな店のなかで多様な人たちの人生が交差していて、まるで喫茶店を舞台にした劇場のようだ。もしわたしに小説や脚本を書く才能があったなら、物語として残したいと思うくらい、おもしろい。

そんなことをぼそぼそと話す私に、栗田さんとかおるさんはお二人ともまっすぐと目を見て「日記を書いてみたら」「ももちゃんの日記読みたいな」と言ってくださった。書き留めたいと思いながらなかなか手がつかなかったけど、きっとこれはわたしにしかできないことかもしれない、と思い、ようやくお尻に火がついた。7月の末日から密やかに、日々のことを日記に書き始めた。

始めたら楽しくて本当に毎日ちゃんと書いた。長文になる日もあれば、一行だけの短い日もあったけど、とにかく毎日ちゃんと書いた。ときどき読み返して、自分で書いた文章に思わず一人でプププと笑えた。

しかし、これらを栗田さんやかおるさんに読んでもらえるにはどうやって形にしようか。分からないままに日記は溜まりに溜まってゆき…。ある時からパッタリと書かなくなってしまった。日記は三日坊主ならぬ、三ヶ月坊主となった。そうこうしているうちに、年を越してしまった。なんとなく日記を書けていないことを気にしながらも、日々は過ぎていった。

変わっていないようで日々は刻々と変わっていて、みんな歳をとっている。新たな命が生まれ、亡くなってゆく命もあると、ここで働きながら目の当たりにしてきた。日々いろんな感情が生まれては消え、また生まれては消えていく。とにかく、そういう日々の些細なあれこれを書き留めたいと強く思うときがある。やっぱり書きたいな。ふと、noteで少しずつ溜まった日記を公開していったらいいかも、と思いついた。


よく思う。人間はいつか死んでしまうんだなぁって。全然怖くないって言ったら嘘だけど、でも、死んでしまうときに思わず顔が緩んでしまうような、取るに足らない愛おしい思い出達に包まれていたいって思う。それだけできっと、大丈夫な気がする。

この日記を読んでくれる人が、どんな風に読んで感じるのだろうかと、公開前にドキドキしているけど、誰かの心がすこしでもホッとあたたまったり、うんうんとじんわり共感したり、しなかったり。生きる景色がまた愛おしく思えたりするような連鎖が生まれたらいいな。

わたしの小さなプロジェクト、はじまりはじまり。


photo by Osamu Kurita

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