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【喫茶店日記】ホワイト・フェブラリーⅡ (2月12日-13日)

2月12日 土曜日

AM

しいやんが、突然「これを粉にして欲しい」といってコーヒー豆を持ってきた。

そのコーヒー豆の袋はみたことがなかったけど、この店の名前のスタンプが付いていた。昔はその袋だったんです、とマスターは教えてくれた。そのスタンプは里子さんが作ったものだというから、それはきっと少なくとも7年は前のものだ。里子さんはわたしが入る何年か前のスタッフで、一番上の男の子を出産する前まで働いていたのだけど、もうすぐ彼は小学校に入学するし、里子さんはあっという間に4児の母である。

その豆の袋を開けて見たら、かなり色が薄かったからわたしは浅煎りのドリップ用に挽いてそれを渡した。「熟成されて、うまくなってるかもな。」と言って、しいやんは口を開けてガッハッハと笑った。そのとき、あ、前歯がない、とわたしは今更ながら気がついた。

しいやんは、ほぼ毎日来る(しかも1日に何度か来る)マスターの親戚のおじさんだ。もともと大工さんで、17年前この店がオープンする前の改装もほとんどしいやんがやってくれたそうだ。今はもう足も悪くて大工仕事はしていないけど、ここにはほぼ毎日来る。彼は、駐車場からタバコを吸いながらゆっくりと歩いてこちらに向かってくる。最近は、吸い終わったタバコを入り口のストーブの火の中にも投げ入れてから、カウンターに座る。いつも静かに入ってきて、いつものコーヒーを飲んだら、何も言わずに握りしめた小銭をジャラジャラとお会計のトレイにおいて帰っていく。おかわりする時は、飲み終わったカップをこちらに返して、指を一本立てて見せる。マスターと喋っているところは見かけるのけど、そんな感じでわたしはほとんどしいやんと喋ったことがない。(一度だけ飼っている猫の話を聞いたくらい。わたしもそこまでお喋り上手ではない。)だから、一本抜けた前歯のことさえ、あんまりちゃんと見たことがなかったのだ。

…どんな味がしたかな、7年熟成豆。今度きたら聞いてみようかな、と思っている。

PM

今日もノザワさんたちはやってきた。雪のせいなのか、このご時世のせいなのか、店は静かで、誰もいない昼過ぎのカウンターに3人並んで座った。3人はコーヒーを飲みながら、あの道は滑りやすい、その道路は凸凹だから雪かきがちゃんとできていない、等、郵便配達中に通った道路の路面状況について話していた。バイクの人は大変だ、とノザワさんは一人に向かって言った。こんな雪の日でもバイクで配達しているなんて…と本当に頭が上がらない気持ちになった。ご苦労様です、と声をかけずにはいられなかった。

彼らがお会計を済ませて店の扉を出るとき、ちょうど女性3人組が来店した。女性たちは、きゃ〜!といった黄色い歓声をあげてポストマンたちに手を振っていた。彼女たちは、なんで郵便屋さんがここにいるの〜と嬉しそうに言い、彼らは、どうぞいらっしゃいませ、と女性たちを出迎え、また彼女たちは喜んでいた。その景色が愛おしすぎて、記念撮影でもしたいくらいだった。郵便屋さんは街のみんなにとってのスーパーヒーローであり、アイドルである、と思った出来事だった。

ちょうど入れ違いで、ヒロトくんがお母さんと一緒にきた。

ヒロトくんは将来コーヒー屋さんになるのが夢の小学校2年生の男の子。私たちスタッフがつけているエプロンと同じ形の、ヒロト君サイズのエプロンを作ってもらい、ここにくる時は必ず付けてくる。分厚いメガネの下で、まんまるの目をキラキラさせながら、カウンターの向こうからマスターの手元を見つめ、熱心にコーヒーの淹れ方について質問しては、それを几帳面にノートをつけている。その姿が本当に可愛くて、そしていつも感心してしまう。今日は、100均で買ったというカフェオレ用のミルクのスチーマーと、ケトル、それからマスターから以前プレゼントしてもらったミルを大きなカゴに入れて持ってきた。ちょうどマスターは休憩中でいなかったから、また来てねとわたしは言った。今度おじさんも淹れてもらわねえとな、と嬉しそうにカウンターに座る中野さんは言った。カウンターのおじさんたちは、ヒロトくんのことを「頼もしいなぁ」と言って彼の将来を楽しみにしている。ある時には「早くコーヒー屋さん始めてもらわねぇとな、ここにいるおじさんたち皆いなくなっちゃうからな。」と鈴木さんが言い、みんな笑っていたけど、わたしはドキッとしてしまったことがあった。少し焦らされた気持ちになった。何かを始めるのに遅いも早いもないと思っているけど、でも、ここにいる人たちには見ていてほしい気持ちは、わたしにもある。


2月13日 日曜日

ヒロトくんは今日もきた。昨日は白いパーカーだったけど、今日は黒いパーカーの上に、やっぱりエプロンをつけてきた。マスターがいつも白い服を着ているから真似して昨日は白いのを着てきたんだけど、今日は洗っちゃったから…でもマスター黒も着ることあるからねって言ってね、今日は黒を着てきたんです、とお母さんは言った。今日はカウンターに入って、ヒロト君はマスターに、白くてふわふわのホット・カフェオレの淹れ方を教わっていた。

3時少し前に、すっかりあたりは灰色になっていて、それを由美さんは「雪が降りたそうな空」だねと言った。そのあとすぐ、雪が降り始めた。大降りにはならなかったけど、パラパラと小粒な雪がずっと降り続いて気付いたら帰ることにはあたりは真っ白だった。

今日は帰り際にうすいさん家に寄った。前に、これよかったらクッキーにしてみて、と言ってもらった榧の実があったから、クッキーが出来たらうすいさんにプレゼントしたかったのだ。榧の実は、3年に一度しか実らないという貴重な木の実で、すごく滋養に良いと言われている。時々、鈴木さんが炒ってきてくれたそれらを、カウンターのおじさんたちは硬い殻をバリバリと割り、うめえなと言いながらコーヒーのお供に食べていたこともある。ついつい試作と言いながらわたしも自分で食べすぎてしまったが、皮が苦くてちょっとアクッぽくて、胡桃のような感じが美味しい。最終的には、乾煎りしたものを砕いてほろほろクッキーの中に入れて、粉糖をまぶしたクッキーになった。うすいさんにお願い事をされることはあまりないので、その度に嬉しくてわたしは張り切ってしまい、珍しくあれこれ試作しまくっていたら、たまたまちょうどよくバレンタインの時期になっていた。もちろん小麦は、うすいさんのおかげで育ったわたしのシラネ小麦で作った。我ながら嬉しくなるクッキー缶が出来上がった。ついでにうすいさんハンコも彫って(消しゴムハンコと似顔絵は密かにわたしの特技である。)100均で見つけた麻の袋にそれっぽく入れてプレゼントした。

おぉ、ありがと〜!すげぇじゃん!と、前回にも増して嬉しそうにしてくれたことにわたしもとても満足した。帰り道もちょうど粉糖みたいな雪がまだ降っていた。ずっと入れっぱなしの、楕円の夢というタイトルのCDがカーステレオから流れてきて、寺尾紗穂の歌声とピアノの音が、その景色にすごくピッタリだった。雪が積もると、夜がぼんやり白く浮かびあがるように見えるけど、今日は特にそう感じた。月の光のせいで、立ち並ぶ家々や木々、それから庭のテーブルたちが、白い景色の上に影を落としていてきれいだった。もうすぐで満月だと気がついた。



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