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【喫茶店日記】悲しくて、腹が立つ。(3月11日・15日)

3月11日 金曜日

あったかい。今日は国道の電光掲示板も15度と表示していた。今年になってからはじめてお気に入りの七分袖のラグランシャツを着た。それがちょうどよくて、とても気持ちが良かった。

「あの時どうしていた?」という会話が聞こえた。

マスターは、あの時もこうしてカウンターでコーヒーを淹れていたと言う。珍しくかなり揺れたから、このあたりが震源地だろうと思ったらしい。揺れがおさまり、さてさて、と高橋さんがいつものように「帰って水戸黄門でも見るか」と言い帰っていったらしいが、その後テレビは水戸黄門どころではなかった。

そんな話をしていた直後に高橋さんが今日もコーヒーを飲みに来たので、マスターが「さっきカワイさんとそんな話をしていたんですよ」と言うと、「あの時は重田さんもいたもんなぁ」と彼はあの日を振り返ってそう言った。重田さんは、わたしは会ったことがないかつての常連さんで、今は認知症のためもうすっかり来なくなったおじさんだ。会ったことはないけど、話にはよくきく。もう11年前ですもんね、とマスターは言った。みんな元気でしたね、と。

今日3月11日ですね、とキッチンで直子さんにわたしは言ってみた。

何歳でしたか、と言われたので、わたしは高校二年生になる春でしたと言ったら、あらまぁ、と直子さんは言った。わたしにだって、短いスカートを履いて都会を闊歩していた時代があったのだ。思い出すと恥ずかしい事ばっかりだ。面白いからあの頃のプリクラを、いつか直子さんとまーちゃんにこっそり見せて笑わせたいと思った。11年前は、まーちゃんが生まれた年だと直子さんは言った。

あぁ、今日も西日が黄色くて眩しくて綺麗だなぁと、ぼんやりカウンターを見て思ったら、ちょうど5時のチャイムがなった。6時前に、高橋さんは他のおじさんたちより早くレジで会計をしていた。今日もワイドショーみたいに政治の話で白熱するカウンターに向かって「幸せだよなぁ、こうやってみんな好きなこと好きなように言えてよぉ!ここがちょっと違う国だったらみんな殺されちまうぞ!?」と言い去っていった。

毎週水曜日マスターはお休みで、毎週のように映画を見ているらしい。(しかも1日に何本も見る日もあると言う。)だから金曜日の終業後には、その週に見た映画の話をしてくれる事が多い。今週は「ハンナ・アーレント」を観たと言った。それは、わたしもずっと前に母から教えてもらい気になっていた映画であった。

ハンナアーレントは、第二次世界大戦中にアメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人の哲学者で、彼女の書いた戦争犯罪に対するレポートが世界的に影響を与えたという、実話を元に描かれた映画だ。マスターは、彼女が言い続けたという、思考停止状態の一般の人々が悪を犯してしまう「悪の凡庸さ」というのがとても深いテーマだと思ったと言った。わたしもその内容にとても興味がある。

それから、思考しなくなることの恐ろしさについて、話した。それはあらゆる物事、どんな人にも言えることだとわたしは思った。忘れてしまうことや思考しなくなることは、無意識だったりする。忘れちゃいけない。考えることをやめることは、とてもふわりとしてハッピーにも思える。反面でこわいことだと感じる。今日話したこと、11年前のことも、忘れちゃあいけない。


3月15日 火曜日

出勤前に、父親が実家から引き上げてきたレコードをわたしのうちに届けにきてくれた。
一年ちょっと前に亡くなったおじさん(父親のお兄さん)のものを少しだけわたしも形見分けしてもらっていて、前にはコンタックスのフィルムカメラをもらったが、今回はわたしがレコードも欲しいと言ったので、それをダンボールにいっぱい持ってきてくれた。ついでに実家の最寄駅にあるお菓子屋さんのチーズクッキーも入れてくれていた。

父親はまた来週には病院の付き添いがあると言う。ばば(祖母)の心臓の手術が4月頭に決まった。多分ばばは大丈夫だろうと、わたしも含め家族はみんな思っている。
父親は、それよりお母さんの方が心配なんだよ、と言った。今度いくのは、母親の精密検査があるからその付き添いらしい。

「ちょっと、覚悟しといたほうがいいかもね」と言われた。年始に実家へ帰ったときも本調子ではなさそうだったけど、一緒に近所の小さい神社までお散歩したし、夜ご飯には気合い入れて鳥の丸焼きまで作ってくれて、それをみんなで食べた。その後、わたしは母親に会ってないから、父の言葉があまりに急すぎて状況が全く掴めなかった。もう出勤しなきゃいけなかったから、父親を帰して、わたしは化粧もせずに慌ただしく支度して家を出た。

今日は3月とは思えないほどあたたかかった。店の扉も開け放って、外の風が涼しいと感じるくらい日差しはあたたかかった。

頭の中では、覚悟、という言葉が響いていて、ぐるぐるしていた。訳が分からなくて、なんだかひとりで悲しいことばかり考えてしまった。まだ起こっていないけど、いつかはやってくるかもしれない出来事を想像しておいて、それが起こったとしても受け入れられるように、少しでも心の準備をしておく事がわたしにとって「覚悟」だと、そのときは理解をしたんだと思う。

コーヒー豆を袋詰めしながら、ふと見えてくる、穏やかな光の中でコーヒーを飲みながらおしゃべりする人たちや、ひとりで静かに本を読む人たちの姿がキラキラしはじめた。健康な身体があってこうして人に会いに来られることは、なんて幸せなことなんだろうと思った。最近は花粉で鼻がずるずるしたり、目がしょぼしょぼすることもあったから、今日もそういうことにしてごまかした。何を見ても、その穏やかさに涙がでてきそうになった。
今日もカウンターではこの地域の世間ばなし、世界情勢のこと、それからアルパカの話題で盛り上がった。わたしはさっき父親が持ってきたチーズクッキーを、カウンターのおじさんたちにも配った。粉糖がまぶさっているそれを、ボロボロこぼしながら「上品な味だな」と言いながらみんな食べにくそうに食べていた。穏やかすぎて、悲しくなって、もはや腹が立ってきた。この永遠に続きそうな平穏さに、それから、世界で起こる悲しい争いにも。武力で世界を揺るがす大国の権力者たちにも、この気持ちがわかる日が来るのだろうか、と腹を立てながら思った。彼らにも、なんでもない日々が、穏やかすぎて腹が立って、その美しさに涙を流す日が来てほしい、と思った。


今日は、実は、大事なプロジェクトを実行する日だった。いろいろあるけど、ここ数日は頭のすみっこではずっとそのことがあった。三月にはいってからはずっとこの日まで小さくカウントダウンして楽しみにしていたのだ。

それは、最近仲良くなったチエちゃんの旦那さん、ゆうたくんの誕生日に、わたしはサプライズで彼の大好物のコーヒーゼリーを特大サイズで作り、それを持っていくという計画であった。


二人は時々店に来て、迷わずコーヒーゼリーを頼む夫婦である。いつもものすごく味わって楽しんで食べてくれているので、その姿が本当に可愛くて、わたしは勝手に二人のことが大好きになっていた。先月、念願のチエちゃん家に初めて遊びに行った時、家にあるレコードやCD、本や飾ってある絵や置いてある布の小物が、どれもわたしも好きなものだらけで、また嬉しくなり、ますます二人のことが大好きになった。それからチエちゃんはおすすめのCDを貸してくれた。CDの貸し借りなんてなんだか懐かしいなぁと思いながら、人におすすめしてもらって聴く音楽ってなんでこんないいんだろうっていつも感じる。

今日も仕事が終わってすぐチエちゃんに連絡して、大きなゼリーを抱えてわたしは車を走らせた。チエちゃんから借りた、イ・ランちゃんのCDを聴きながら向かった。ちょうどそのアルバムの4曲めに入っていた「悲しくて腹が立つ」というタイトルの曲が流れてきた。タイトルから想像されたのはもっとグラグラと、ゆらゆらと何かが煮えるような暑いメロディーだったけど、意外にもそれは爽やかなで、大きな空を流れる雲みたいな曲だった。空も飛べそうな感じのゆったりとした感じ。あぁ、腹が立つその先は、こんな感じかも、と、なんとなく思ったけど、気分的に他の曲が聴きたくて飛ばした。

チエちゃんもお仕事が忙しく、ちょうどわたしと同じタイミングでの帰宅だったから、お寺の駐車場で待ち合わせして、チエちゃんの車にわたしはゼリーとともに乗り込んでおうちに向かった。

ゆうたくんは、ただいま〜と帰ってきたチエちゃんのその横にわたしがいる状況が全く掴めていなさそうだった。お誕生日おめでとう〜とわたしが差し出した謎の布に包まれた物体を見て、ゆうたくんは立ち尽くしていた。わたしが、「これはなんでしょう!」と聞きさらに困らせると、ゆうたくんは「・・・おこわ?」と答えた。(しばらくこれで笑いが止まらなかった。)お披露目する前に、わたしは自分が牛乳まみれだったことに気がついて焦った。ゼリーにかけた牛乳が、暗闇でそれを運んでいる間に溢れまくっていて白いペンキみたいに服に飛び散っていた。

ドドンと突如現れたゼリーを前に、「うわ〜〜〜」を連呼するゆうたくん。この余韻に浸ってから帰れば?と言ってくれたのでわたしは喜んで夕飯を頂いていった。夕飯は、ゆうたくんのおばあちゃんが作ったおこわだった。このあたりの文化なのか、ゆうたくん家の文化なのか、誕生日にはおこわを食べるらしい。(だから、おこわって、言ったのか……!!!)
食後に、ゼリーを早速食べた。ゆうたくんは、スプーンではなく、大きなおたまを持ってきて、迷いなく、その巨大ゼリーのど真ん中から掬った。上にかかっているミルクが滝のようにその穴に流れ込んで大きな湖ができた。その新しい景色を、3人で「おおおおおおぉ〜〜!」と声を震わせた。噴火が起き、そこに湖ができ、さらに川が流れ、山や谷や海が生まれる。コーヒーゼリーと言う名の新しい惑星だ、と思った。そんなスケールでいつも二人はゼリーを楽しそうに食べてくれていたんだなぁと言うことがわかって、わたしはとても嬉しくなった。今日もまたチエちゃんはCDを貸してくれた。わたしもこの間買ったCDを持って行ったので交換した。

ふと、ゆうたくんが「・・・ともだちって、いいねぇ。」としみじみ言ったのを、わたしは宝物として心の中に大事にしまってある。ともだち、最高。ともだちの存在が、わたしの人生にはとても大切なんだと改めて思う。

今日のこと、ゼリーのこと、二人のことを誰かに自慢したくて仕方なくなった、そんな帰り道。

あしたには母に電話でもしてみようと思った。

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