【喫茶店日記】 2月4日 金曜日 近くにいても、知らないこと。
2月4日 金曜日
AM
最近朝がなかなか起きれなくて困っていた。でも、今朝は特に冷えたというのに、なぜか7時のアラームが鳴る前にぱっちり目が覚めた。キリッと冷たい空気が気持ち良かった。洗濯物も掃除も終わらせ、朝の出勤前に少しだけ時間があったから、例の氷柱を見てから行こうと思った。
一昨日カウンターに座った女性の常連さんに「春日の氷柱見たことある?」と聞かれた。毎年誰かしらに聞かれるのだが、写真を見せてもらうっきりで、この土地に来てもう4回目の冬だと言うのに未だにそれがどこに在るのか知らなかった。寒い冬にしか見られないという氷の連なる景色。今年こそ見たい!と思い、ちゃんと行き方を教えてもらった。ここから意外と近いということがわかったから、まだ寒いうちにお散歩がてら見に行こうと思っていた。
早速教えてもらった道を進んでいたら、思っていたよりもすぐ、左手に広がる田んぼのさらに向こうに白く光る氷たちが見え始めたので、もう少し近くまで車でいこうと思い、途中の農道を曲がってみた。するとどんどん道は細くなり、ガタガタの凸凹道になり…。不安になってきたところで案の定、脱輪してしまった。めちゃくちゃ焦った。落ちた左前のタイヤの下には轟々と音をたてて川が流れている。店に電話したけど、うまくここがどこなのか説明できなくてまた焦った。マスターは今日税理士さんと打ち合わせなのでもう出かけてしまう。時間がない。ますます焦る。出勤前にこんなことするんじゃなかったと、ひとりで反省しまくった。
とりあえずなんとなくの情報を頼りに助けに来てもらうことになり電話を切った。切った途端、あ!四駆のボタンがついていない!!と気がついた。早速四駆に切り替え、後輪が動き無事脱出。自力で脱出できた喜びとお騒がせしている申し訳なさが溢れかえりながら、とりあえず今から向かいます!と電話をして急いで店に向かった。そして奇跡的に出勤時間に間に合った。氷柱はもうすぐそこだと思ったけど、まだ遠かった。もうそれどころではなくなってしまった。
着いた時、店にお客さんは誰もいなくて静かだった。マスターも奥様の直子さんも、全く動じずどしんと待っていてくれ、その感じにホッとした。無事に辿り着けたことと、そして何よりも、カウンターに誰もいなかったことに安心した。こんなことを常連さんの誰かに知られたものなら、一瞬で噂は広がり、しばらくはネタにされる、揶揄われるのが目に見えている。(あぁー、よかった。)
マスターは出掛け、わたしは朝のドタバタはなかったかのように平然として、いつも通りコーヒーを淹れた。カウンターにはぽつり、ぽつりとおじさんたちが順番にきた。コーヒーだけ飲む人もいれば、今日はトーストを齧る人もいた。新聞を開いて読む人もいて、読み終わったら次の人にどうぞと手渡したり、ちょっとそれちょうだいと言って取らせたりして、回し読みしている。そして、それぞれが、思い思いに喋りだす。
端っこに座るおじさんは、「もう1キロも太っちゃってさぁ」と女子高生のように、眉毛を下げて困ったぁ〜という顔をした。それは自分ではなく愛犬ハルちゃんのことだった。先月彼は寝込んでいたため、お散歩に連れて行けなかったのだという。それで5キロだったところ6キロになってしまったらしい。あれ、今日はお犬様(わたしはハルちゃんのことをそう呼んでいる)はお留守番ですか、と聞くと、もうすぐエアコンのクリーニング屋さんが来るから今日は走らせてあげる時間がないのだと言った。病み上がりの彼は頼んだトーストとスープを前に、「こんなに食べられるかなぁ〜…」と弱気な小声で、また女子みたいなことを言った。
その横には、歯医者に行ってきた帰りの棟梁が座った。みんなに棟梁と呼ばれる彼は、80を過ぎているけどとにかく元気だ。「東京にいた頃は、歯医者になんかかかったことがなかったのにな」といってヒヒッと笑った。そして毎度お馴染みの、東京で仕事をしていた時のことを誇らしく話し出す。新橋から有楽町まで全部線路を引いたんだという話はお決まりで、いつもそれをついこのあいだのことのように話す。前に来た時も同じ話をして、カウンターの誰かが「新橋も最近だいぶ変わりましたよねぇ」なんて言ったら、「俺がいたのはマッカーサーがいた時だからな」と言ったのが、未だわたしの中で衝撃的に響いている。棟梁はどんな東京の景色を頭に思い浮かべながら話しているのだろう。わたしは知らない時代の情景に思いを巡らせて、合図地を打ちながら聞く。…にしても実際棟梁はいくつなのだろうか。謎は深まる。
そんなおしゃべりなカウンターの反対側では、大きなテーブルに一組の静かなご夫婦が座っている。いつもの、と頼まれたが、なぜかわたしはこのお二人の「いつもの」が、いつも覚えられない。お二人は芸術新潮を定期購読していて、一通り読み終わるとバックナンバーをまとめてここへ寄贈してくださる。今日も何冊か持ってきてくれた。芸術新潮の人だ、いうことは覚えていたが、「いつもの」がどうしても思い出せない。直子さんに改めて教えてもらい、ケーキとトーストを一種類ずつ、旦那様には深煎りのコーヒーをブラックで、奥様には紅茶をポットにたっぷり入れ、お砂糖の瓶を添えてお出しする、とようやく覚えた。本を読みながらゆったりとお茶をする奥様をふと見ると、丈の短い薄ピンク色の、保育園の先生がつけているようなかぶるタイプのエプロンをつけたままだった。台所や食卓の風景が浮かんでくる、その生活感がたまらなくよかった。
PM
日が暮れるころ、久しぶりの人たちがきた。
まずはカズくん親子だ。カズくんは「ももちゃん、久しぶりだねぇ。」と言った。お母さんは、ここ数ヶ月あった出来事を、もう大変だったのよと言って聞かせてくれた。カズくん頑張ったね、とわたしが言ったら、お母さんの着るブラウスの袖を掴みながら「ももちゃん、久しぶりだねぇ。」とまた言った。カズくんは少し発達障害のある男の子で、とっても賢くてまわりに気を使う、優しい子だ。去年の年明けにわたしはおでこを蜂に刺され、しばらくの間、腫らした顔で出勤していた。そんなわたしを心配して、カズくんはiPadで蜂に刺されたらどうなるのかを調べてくれた。その結果、カズくんは「ももちゃん、気をつけてねェ………」と怖い話をするかのような面持ちで「蜂に刺されるとね、死んじゃうんだって…………!」とわたしの耳元でヒソヒソ教えてくれた。わたしが刺されたのはミツバチだから大したことはないのだけど、その後しばらくの間はわたしを見るたびに少し複雑な顔をした彼が可笑しくて、可愛かった。
それから一年後の今、わたしはこうして無事に生きている。蜂に刺されても、川に半分落ちかけても、平気な顔をして変わらずにここでコーヒーを運んでいる。そしてまた背の伸びたカズくんに会えている。それだけで、よかった、と思えた。
誰もいなくなったカウンターには、最近パッタリと見かけなかった一人の常連さんがきた。毎日来ていたのに、大晦日に年の瀬の挨拶をした以来だった。彼の来ない間のカウンターでは、◯◯さんは最近来たかと各々が心配していた。久しぶりの彼はいつもと変わらず、入口の薪ストーブで手をあたため、それからお気に入りの角っこの席に座った。マスターは久しぶりなのに「お久しぶりです」もなく、いつもと何も変わらない様子でお待たせしましたとコーヒーを出した。それから時差で次々に入ってくる常連陣は、おぉ、と言ってすごく嬉しそうな顔をした。シュウジさんは入ってくるなりニヤニヤしながら彼の肩をもんだ。どうした、株で一儲けでもしてたか、と聞くと「ちょっと冬眠してただ」とだけ言った。みんなそれ以上は何も聞かなかった。
毎日必ずここで顔を合わせていると言うのに、意外とお互いのプライベートなことは知らなかったりする。何歳なのか、奥さんはいるのか、子供はいるのか、どこに住んでいるのか、帰って何を食べているのか。
それでも、ここに来てなんてことのない話をして、それじゃ、といって帰ってゆき、翌日になればまたここに来て誰かを待つ。その距離感が、いいんだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?