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【喫茶店日記】 世界は変わり続けている。(2022年2月19日-3月6日より)

2月19日 土曜日

2週間ぶりの休みだ〜!といってタカダさんはカウンターに座った。出張が多い仕事で、全国各地を飛び回っているから、今日は三重のお土産のかた焼きをくれた。かた焼きは、本当にかたい。カウンターのおじさんたちは頑張って噛み砕く人もいれば、ビスコッティのようにコーヒーに浸して柔らかくしてから食べる人もいた。一概にオススメできない類の食べ物である。今日はちょうど歯医者通いの棟梁もいたし、特にカウンターの年齢層にはむつかしい。みんなが苦戦する中、貸してみ、といってタカダさんは手のひらで空手チョップし、見事に粉々になったかた焼きを、はい、とこちらに差し出した。マスターもわたしも粉々すぎるそれを見て笑った。

彼は、わたしも仲間入りさせてもらっているバンドでギターを弾くおじさんなのだけど、その指の太さと手の分厚さにいつもわたしは目がいってしまう。こういう仕事をしていると、顎の力も強くなるのよ、と言い、かた焼きなんか余裕さという顔をした。彼は、機械の整備とか修理とかをする技術者さんである。帰り際には「ももちゃん元気だったか?タイヤはどうした?」と聞かれた。わたしはその時になってようやく、タイヤを買うのを忘れていたことを思い出した。

年末からずっとそこにあった猫の飼い主募集の張り紙が回収された。飼い主が無事に決まりましたと、保護猫の活動をする女性がお子さんを二人連れてやってきたのだった。あぁ決まったんだなぁ、と少し寂しくも、決まって良かったですね、と声をかけた。気がつけば日は暮れていて、持参したマイカップに入れたコーヒーに、朝から沈めっぱなしのかた焼きを見つけた。確かにまわりはふやけているけど芯はまだ硬く残っていて、食感も味もすごく微妙だった。


2月23日 水曜日

日が暮れたころのカウンターでは久しぶりにおじさんたちがハチの話をしていた。この辺りには、ニホンミツバチを飼っているおじさんが数名いて、そのうちのふたりのことをわたしは心の中でハチマスターが呼んでいる。はちみつが目当てではなく、ただただ、ニホンミツバチを飼い、あたたかい時期になると箱をいたるところに置き、ニホンミツバチの住む巣箱を増やしていく。それが楽しくてやっている感じである。キンリョウヘンの花が咲けば絶対ニホンミツバチはくるということや、でもあの花は全然咲かないという話は、お決まり。今年あの木の下に巣箱を置いたら絶対に入るぞ等といった、春に向けての情報交換をしている。

マスターは「みなさんがハチの話をし始めたら、春はもう近いですね」と言った。おじさんたちは、「春は近いぞぉ、春は近いぞぉ!」とホクホクして帰っていったのをわたしは掃き掃除をしながら見送った。


2月25日 金曜日

おやつの時間で店は混雑する中、わたしの同居人Pがマスターに話しをしにきた。ついにこの街を出るという決意をしたようで、その報告をしにきたのだった。あたたかくなりはじめて、いろんなものごとが音を立てて動きはじめたと感じる。


2月26日 土曜日

午前中からカウンターだけは満席だった。マスターは焙煎中だったので、わたしが代わりにコーヒーを淹れていると、北さんはカウンターに向かって「おぉおぉ、今日はみんな出勤が早えな」と言って笑った。そうか、カウンターに座るおじさんたちは、コーヒーをここに飲みに来ることが「勤め」なのか。いつにも増して今日のカウンターは穏やかに感じた。

「このカウンターごと、この建物丸ごとウクライナに届けてあげたいなぁ。」とサカタさんは言った。サカタさんは常連さんの中でも特におっとりとした喋り方をするおじいちゃんだ。ここはみんなにとってどんな時でも「安心」できる場所なんだなぁと思った。非常事態が起こった時に、日々無意識に得ていた「安心」がどれだけ尊いことかに気づかされる。
守られるべきものは、そこに生きる人々のなんてことのない日常だと改めて思う。一刻も早く、ウクライナの人たちに平穏な日常が戻りますようにと、祈るばかり。

そして、今わたしの目の前の平凡な日々も続いていくように。


3月1 日 火曜日

雨。久しぶりに雪ではなく、雨だった。
気温も凍えるほど寒くなくなったが、あたたかくもない。こういう季節の変わり目のなんとも言えないぬるい気候が苦手だ。昔よりも、春の始まりが苦手になったと感じる。そわそわして落ち着かないし、体が重たい。去年の梅雨に、ぎっくり腰をしてから腰がたまに痛むのだけど、最近も怪しい。季節の変わり目が腰の痛みでわかるようになってきた。直子さんは「こういう日は、小泉今日子のやさしい雨が頭の中で流れます。」とお昼ご飯を食べながらキッチンの奥で言った。


3月2日 水曜日

AM

朝起きてコーヒーを淹れたのだけど、今日のコーヒーはすごく美味しかった。いつも店で淹れている深煎りのコーヒー豆なのだけど、今朝家で淹れたのが、一番美味しく感じた。何故かはわからない。


うすいさんが今日から再び入院してしまうので、またクッキーを渡しに行った。今日は同居人Pも一緒にいった。
今回はいつもの缶に(空っぽになるとうすいさんはいつも缶を返してくれる。それにまたわたしはクッキーを詰めて渡している。綺麗に空っぽになった容れ物を見れることほど嬉しいことはない。) 今朝の思いつきで、この間買った麻の袋に小麦の種をいっぱい詰めて縫って閉じ、握れるくらいのサイズのお守りも即席で作って添えた。うすいさんは、「おぉ、なんだこのお洒落な袋は、」とお守りを見ていった。ヒゲをすっかり剃ってなんだかそれも落ち着かなそうな様子でもあった。照れ隠しにか、「あぁ、穴空いてるじゃん」とわたしの膝を指差して言ったのが、とってもよかった。Pはうすいさんに久しぶりに会ったので、髭のせいか、痩せたせいか、前とは少し変わったうすいさんの姿に戸惑っている様子だった。

PM

出勤。
ちょっと、おねえさん、と呼ばれた。はいはい、とカウンターに出ると、「あれってどこかで買えるだ?」と聞かれた。「あれ」とは多分、イヤホンのことだ、と彼の身振り手振りでわかった。彼は最近誰もいないカウンターに座るとスマホで音楽を聴いているが、さすがに他の人の目が気になり始めたのだろう。
わたしはこの土地に来てから全くイヤホンを使わなくなった。だいたい音楽は車で聴くし(カラオケも必要ない。車がカラオケみたいなものだから。)家ではずっとスピーカーで聴いている。でも今日は偶然、ある事情でイヤホンが必要かもと思って鞄の中に忍ばせていたのだった。結局使わなかったから、これは彼のためだったのかもしれないと思い、そのままそれを差し上げることにした。
彼はご満悦の様子で、イヤホンを耳にさして音楽を聴いていた。「おぉ、ちょっとこれ聴いてくれや。いい音だぞぉ〜。」とわたしのイヤホンを片耳貸して聴かせてくれた。それは全く特別なイヤホンでもなんでもないのだけど、世紀の大発明かのように喜んでもらえて、よかったと思った。そこからは、自衛隊のオーケストラの演奏をバックに歌う、女性ソプラノの高らかな歌声が聴こえてきた。


3月3日 木曜日 

休み。
夕方、スウェーデンに住む友人Julie(ユリア)と電話をした。久しぶりだから、色々話を聞いた。最近ユリアが引っ越した小さな街の話、近くにフィヨルドとそのほとりに小さなサウナがある話、それから最近働き始めたカフェの話。家の様子もぐるっとも見せてくれたし、旦那のSaxon(サクソン)もちょうど起きたところでちょっぴり話しができた。
ユリアはわたしの家にしばらく住んでいたことがあり、わたしの職場である喫茶店にもしょっちゅう来て、カウンターに座って地元のおじさんに囲まれる人気者であった。(もちろん容赦無く日本語を浴びせられる。) ユリアの今住んでいる街は、どこかわたしの住む街と雰囲気が似ているらしい。でも、地元のおじさんが集う様な喫茶店はないからと、あのカウンターをとても恋しがっていた。コロナがおさまってきたらわたしはそっちに遊びに行きたいと思っている相談もして、一緒に学校生活を送っていたときや、日本で一緒に暮らしていたときの様に、小さなワクワクをたくさん企んだ。でも、あれから何年も経って私たちはそれぞれ好きな場所に住まい、好きな生き方をし、ユリアは結婚をし、さらには家を買いたいというかなり現実的な夢の話をするようになっていた。大人になったなぁと感じるね、とユリアは言った。
コロナやウクライナでの争いが起こる中でのスウェーデンでの日々のことも聞いた。会っていない間にずいぶん世界は変わったのだということに気がついた。


3月4日 金曜日

なんか、テレビのワイドショーみたいですね、とこちらを振り返ってマスターが笑った。
夕方5時ごろのカウンターは超満席で、今日も多岐に渡る話題で盛り上がっていて、並んでいるおじさん達はまるでテレビ番組で喋る専門家のようだ。でも、みんなそれぞれが好きなことを好きなように言っているだけで、いつものことながら特に終着点はなさそうだ。
ウクライナ情勢に始まり、世界史を遡ったり、はたまた日本のこれからの安全保障に付いて話しあったりしている。さらにはコロナをめぐる国内外の状況についての話に転がり、最終的には今日のアルパカの話で本日のワイドショーは幕を閉じ、「おやすみなさい」と、みんな一気に家へ帰っていった。


3月5日 土曜日

春一番だか、春二番だか、今日は朝からあたたかい風がビュービュー吹いていた。家から店に向かう途中、いつも見えるはずの山々が白く霞んでいて、ほとんど何にも見えなかった。霧ともまた何か違う、もんやりとした何かが立ち込めていた。店に着いてカウンターの誰かが、「すげえ黄砂だな」と言ったのを聞いてあれは霧じゃなくて黄砂だったのだとわかった。

今日はポカポカあたたかかったので、今年になってはじめて、テラスの席にもお客さんを案内できるようにと、布巾で綺麗に拭いて準備した。黄砂のおかげで布巾はあっという間に灰色になった。

あまりに風が強くて、テラス席に置いてある灰皿が吹き飛ばされた音がしたので急いで拾いにいったら、そこには紐で繋がれたハルちゃんがいた。あったかくなってようやくテラス席で飼い主様を待つお犬様に会え、わたしは嬉しかった。相変わらず真っ白でモコモコだった。生き物も動き出す、春。


3月6日 日曜日

今日はとにかくずっと忙しく慌ただしかった。

みきおくんが友達と4人できた。お昼すぎから日が暮れるくらいまでずっとおしゃべりしていたのだけど、卒業式を目前とした(もう卒業式が終わったのかな?) 高校三年生の男の子3人と女の子一人の姿が、とっても、よかった。高校生のころの私たちがおしゃべりするのなんて、マックか近所のイトーヨーカドーのフードコートだったりしたけど、ここで育った子たちはそんなお店はないから、その代わりにこの喫茶店でケーキとスコーンとカフェオレを前に、おしゃべりしているのだ。その感じがたまらなくよかった。もうすぐこの街を出て行ってしまう若者たちの今を垣間見れたこと、わたしはとても嬉しかった。その洋服や髪型のかんじとか、時々聞こえてくる楽しそうな会話とかの、そのかんじ。

春かぁ、としみじみした。
こうやって世界は変わり続けているのか、と漠然と思った。

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