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【喫茶店日記】2月15日 火曜日 17年。

2月15日 火曜日

出勤するやいなや、マスターは今日の新聞をキッチンに持ってきて、おくやみ欄を見せてくれた。そして、「〇〇さんのお父さまが亡くなられまして。明日裏のJAで葬儀があるのでもしももさんも行けたら。」と教えてくれた。とある常連さんのお父様が亡くなった。彼らの営む小さな家族経営の温泉旅館に、時々わたしは休みの日に行く。一人明るい時間からお邪魔して、貸切状態のお風呂に浸からせてもらっていた。だから、電気のついていないお風呂へ、よっこらよっこらと足を引きずりながら、蓋を外し、電気をつけ、どうぞ、と案内してくれたお父さんの姿が一番最初に思い出された。いつだかには、「美人はタダだよ」なんていうお茶目な冗談を言ってくれた記憶もある。(勿論ちゃんと五百円お支払いしたけど。) 無口だけど時々チャーミングな一面を見せてくれるおじさんだった。最近行けてなかったことを少し後悔した。どうやらお部屋の掃除中に倒れたとのことだった。

今日も穏やかな時間が昼の店内には流れていた。

ようちゃんは今日もやってきた。ここで働いていると小さい友達も増えるのだが、ようちゃんは中でも一番小さい。なんて言ったってちょうど生まれて六ヶ月記念日を迎えたところだから。お腹にいることからお父さんとお母さんはお店に来てくれていたから、そのまだ名前のなかった小さな命が「ようちゃん」になって現れた時は、わたしまで感動してしまった。ようちゃんはいつもお父さんとお母さんの膝を行ったり来たりしながら、薪ストーブの火や天井でくるくる回る空調、それからわたしが運んでくる茶色い液体を不思議そうに見つめている。毎週末必ずのように会うのだけど、見るたびに目のあたりから顔がはっきりとしてくるのがわかるから、その度に驚いてしまう。お父さんそっくりである。でも、まだほっぺたは落っこちそうなくらいのプニプニで、口はほっぺに潰され富士山の形をしている。今しかないそのほっぺを…!と会うたびに遠慮なくプニプニさせてもらい、わたしは幸せである。ちょうどレジの横の席に座るお母さんが、座ったまま高い高いをすると、棚の向こうでぴょっこり顔を出すようちゃん目が合う。たまに笑ってくれるけど、大体キョトンとした顔でわたしのことを見つめている。きっと気がついたらそこらを歩き回るようになっているんだろうな。まだ喋ったことはないけど、いつかお喋りできる日が楽しみな友達である。

1日を終え、閉店作業をしているとマスターはふと振り返り、「おかげでまで、今日無事に17周年を迎えられました」と言った。そうか、17年前の2月15日がこの店のオープンした日だった、とその時思い出した。ありがとうございます、18年目もよろしくお願いします、と感謝の気持ちを伝えて、挨拶を交わした。

「ももさん、17年前って何していましたか?」と聞かれた。

ちょうどさっき顔を出したマスターの下の娘であるまーちゃんの姿を思い出した。まーちゃんは次の4月で5年生になる。時々おばあちゃん(マスターのお母さん)と店に来て、宿題をしていることがある。宿題が終わったら小さめにカットされたケーキとサイダーが待っている。オシャレが大好きな女の子で、ちょっと丸い体系がまた可愛い。(本人は気にしているみたいだからそれは言わないけど。)どんな大人に対しても態度があまり変わらず、タメ口で、あのね、まーちゃんね、と話す。それも本当に可愛い。わたしにも同い年の友達かのように話してくれるのが嬉しくて。わたしも二人姉妹の下だから、お姉さんっぽい態度がとれないし、いつもまーちゃんには親近感をおぼえるのだ。

ああ、17年前のわたし、まーちゃんと同い年です、と言って、流石にマスターと二人で笑ってしまった。マスターはわたしが小学校5年生になるころから、ずっとこの店で変わらずにコーヒーを淹れている。変化はあれど、その時から変わらずに来ている人たちもいると思うと、本当にすごいなぁとため息が漏れてしまう。

じゃあ、と17年後を考えてみる。

ようちゃんは17歳、まーちゃんは27歳(ちょうど今のわたしの歳)で、わたしはその頃44歳だ。わたしはちょうど今のマスター夫妻くらいの歳になるのかぁ。その頃にはまた、世の中も変わっているだろうな。誰もが想像していなかった出来事が、わたしがこの土地に来てからのたったの数年の中でさえ起こっているのだから、いつ何が起こるかわからない。今のわたしは、これからもこの土地にいることに何の疑いも持っていないから、きっと気づいたら17年後もこのあたりにいるだろうな、とも思うが、頭のどこかで(いやいや、人生何が起こるかわからんぞ〜)と呟く小人も同時に現れる。

マスターは「大丈夫ですよ。ももさん、順調ですよ!」と励ましてくれた。(多分、先のことを考えるわたしが不安そうな顔をしていたのだろう。)見透かされているような気がして可笑しかったのと嬉しいのとで笑ってしまった。笑ったら力が抜けてなんか大丈夫な気がしてきた。「意外と27くらいの時に考えていたことって、あんまり変わらないですよ」とマスターは加えた。

未来は漠然としたまま、でも、17になるようちゃんにも会ってみたいな、とか、27になってもまーちゃんはまーちゃんのままで、おばさんになったわたしにも遠慮なくタメ口でお喋りしてくれてるといいな、とか、そんなことを思ったりしている。




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