【回想・喫茶店日記】 夏の幻。 (2021年7月28日-8月10日より)
7月28日 水曜日
暑い。とにかく暑い。扉を開けて入ってくるお客さんたちはみんな、涼しい〜っていう顔をする。「天国だな!」と、入るなり高橋さんは言った。今日は土用の丑の日らしい。この辺だったらどこのうなぎがオススメですか、と聞いたら横で新聞を読んでいた中野さんが顔を上げて、「明日だよ」といった。明日スーパーで買えば安くなっているよ、という意味だった。その隣に座る息子の太一くんは、うなぎを緑茶で炊きなおすとふわふわになって美味しくなると教えてくれた。
7月30日 金曜日
いつも同じ服しか着ないシュウジさんが、みたことのない白黒の花柄のシャツを着てきた。しかも第4ボタンくらいまで開いていて、いつも身につけている金色のネックレスがいつもにも増して胸元で輝いてみえる。その筋の人にしか見えない。でも、肩パットが入っていたから、あれは女性ものだと思う。
8月1日 日曜日
昼過ぎくらいに、最近仲良くなった女の子が来た。彼女は、春くらいから毎週末のようにここに来て、カウンターに座る地元出身の女の子である。わたしの一つ歳の下の、貴重な同世代の存在。今日は新しいメガネをしてきた。太いフチのパンチの効いたメガネがよく似合っていた 。先月2人でご飯に行った直後、家族のことで色々あったらしく、しばらく顔を見なかった。でも先週末からまた来るようになって安心した。
今日も彼女はいつものようにサイダーをはじめに頼んだ。そして、飲んでる合間に、速くも遅くもないテンポでグラスの中の氷をストローで突っついた。今日は店が忙しくてバタバタしたけど、なぜかその音だけがちゃんときれいに私の耳には入ってきて、それがとっても心地よかった。
仕事辞めるって聞いたよ、と私が言ったら、でもまだ次の仕事をどうするか決まっていないんです、と眉毛を下げて答えた。色々探しているようで、今はカフェの仕事にも興味があるといった。その思いを話す彼女のお洒落なメガネの奥では、涙がたんまりたまっていて今にも溢れそうだった。彼女は自分のことを人に話すと涙が出てきてしまう。前にもそういう場面があって、その度にちょっと不器用なところがわたし自身にも重なった。嬉しいでも、悲しいでも、悔しいでもない。ただ、自分のことを話すことに慣れていなくて、内に抱えれるものが言葉になって出てこようとすると、身体が驚いたかのように涙も出てきてしまい、そんな自分にまた驚いたりする。そういうことがわたしにもあった。うんうん、と心の中で頷きながらも、でも自ら人に会いに行って話しをして、自分自身に向き合おうとしている彼女の姿を、わたしはどこか羨ましくも思った。
そういえば、今日はうすいさんの誕生日だと、由美さんが教えてくれて知った。家に帰ってご飯を食べてから思い出し、夜8時過ぎにおめでとうといつもありがとうの電話をした。今日は自分のために買った、いつもとは違うちょっと特別な日本酒を飲んでいるらしい。8時過ぎということはもううすいさんはそろそろ寝る時間である。「うすいさん、もう金星に行く時間ですね」とわたしが言ったら、「今日は金星ではなくて、彗星に行ってきます。」と言った。
8月4日 水曜日
暑い。とにかく早朝から今日は暑かった。高橋さんはこういう日は来てカウンターに座ると、コーヒーではなく「生ビール。」と言う。わたしは、はい、生ビールですね、と答えていつものようにコーヒーを淹れる。そして彼は「まだかァ」と言って、わたしの方に手をホイホイさせながら、借金の取り立てかのように枝豆とトウモロコシを催促してくる。高橋さんの喋り方はぶっきらぼうだけど、本当はとっても優しい。うちの庭でトウモロコシと枝豆が獲れた日には、高橋さんの大好物のそれらを一番にプレゼントしたいと思っている。
8月7日 土曜日
最近、カフェは野菜が溢れかえっている。今日は地元の農家さんが大量のはぶきのトウモロコシを、コンテナいっぱいに持ってきてくれた。
その奥様にと、他の常連さんから預かっている謎の紙袋が冷蔵庫に入っていた。マスターは「例のやつ、届いてます。」と彼女にそれを手渡した。「冷蔵庫で冷やしておいたほうが、サナギになりにくいらしいんです」と、あたかもコーヒー豆の保存方法を説明をするかのような淡々とした調子でそうマスターは言ったが、その袋の中には蚕の幼虫たちがモゾモゾと動いていた。まさかの出来事に、わたしはそれを直視できなかった。彼女はこれをどうにかして調理して食べてみたいらしい。カウンターに座る人たちはみんな微妙な顔をしながらそのやりとりを見ていたが、早速茹でた未だあたたかいトウモロコシを配ったら一斉にもぐもぐとかじりはじめた。その景色に、救われた気持ちになった。
8月8日 日曜日
昨日から、友人である映像作家のコトちゃんが、店を使って展示作品のための撮影をしている。シュウジさんは、ここ最近のマイブームなのか、西部警察の渡哲也のような(るりさんがそう言った。)イカついサングラスをかけてくる。そのサングラスをかけたまま、まんざらでもない顔をしてカメラの前に立っていたのが可笑しかった。
昨日、例の芋虫たちを持ち帰った彼女は、それらを素揚げにしたり、甘辛く炊いたりして持ってきてくれたが、わたしはどうしても食べられなかった。
8月10日 火曜日
いつものごとく夕方5時半過ぎのカウンターは満席で、わたしがコーヒーを淹れていたら、ある常連さんがスマホで「人類の起源」について調べていた。
掃除や片づけをしながら横耳に聞いていた限り、いつものようにカウンター陣は世界情勢について話していた。アメリカがイラクやシリアを空爆をしていることや、習近平がこう言ったとかプーチンはこう言ったとか、そういう話だ。その途中で、常連さんのひとりが「宇宙の歴史からみたら人間の歴史なんてほんの瞬きくらいのものだ」とつぶやいた。それから、じゃあそもそも人類の起源はいつなんだ、という話の流れになったのだった。
同じ地球の上でも、今も戦争が起こっているという事実を忘れてはいけないな、と思う。と同時に、宇宙を思うと、あまりにも人類の存在のちっぽけでどうしようもない気持ちになる。あれこれ発明しては戦ったり自然を汚したり、なんでそんなことばっかり繰り返しているんだろうって、自分自身が果てしなく無力に感じて落ち込んだりもした。それでも、そんなことを考えながらも、今日もわたしは雑巾掛けをしている。それに救われた気持ちになった。目の前にある日々をきちんとこなしていくことが、とても大事なことだと今のわたしは思っている。
調べによると、人類の起源は180万年前だそうだ。それを聞いた一人が、「じゃあ、カイジュウはいつからいなくなったんだ。」と言った。それは相当前じゃないですかね…と、みんなまた視線をスマホの方に戻したが、レジの前に立ってお会計中だった一人がへニャンと笑いながらカウンターの方を振り返って、「今、みなさん流しましたけど、高橋さん、キョウリュウのこと、カイジュウって言いましたよね?ねえ?!」と子供のようにからかった。彼は恥ずかしそうにニカッと笑い、一人は「気づいていたけどあえて触れなかったんだよ!」とガハハと笑った。一人は広げた新聞から顔を出してつられてハッハッハと笑う。真面目に世界情勢の話をしたオチがこれとは、呆れてしまうほどに平和である。世界ではいろんなことが起こっているし、日々の生活の中でもいろんなことが起こる。でも、カウンターは今日も平和だった。
片付けを終えて、帰り際にマスターは焙煎室の奥に突如として設置されたプールを見せてくれた。お盆休み、コロナの騒ぎでどこにもいけない娘ちゃん達のために用意したのだという。それは、素晴らしくその部屋のサイズにぴったりな、かなりちゃんとしたビニールプールだった。ついでにLEDの可愛い丸っこいライトが連なったイルミネーションまでつけてあげていた。電源を入れてライトをつけて見せてくれたが、それらはピコピコといろんな光り方をして、暗い夜の焙煎室に幻みたいにポワンと浮かび上がったその空間が可笑しくって笑えた。
あぁ、こういう日々が続きますようにと祈りたくなった。夏はなんだかよく胸が苦しくなる。こういうちいさなことでよく笑った一日の終わりには、わたしは簡単に胸がいっぱいになってしまう。
今日もうすいさんは彗星にいくらしい。
photo by Koto Takei
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