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#読書感想文

芝居小屋とうそとほんと 『万両役者の扇』

また偶然なのですが、 芝居小屋にまつわる本を読みました。 出版されたばかりの新作なのですが、ほんと、偶然。 んー? となって、手にとりました。 芝居をすることにとりつかれ「ほんととうそ」が曖昧になっていく人と、 その人に魅了されて(?)いく人びとの話。 簡単な言葉を使うとそれは常軌を逸した…… いや狂ってるんじゃなく冷静、 意外と冷静で、 いやいや、もう「ほんととうそ」「ほんとかうそか」 「自分ってなんなのか」が、 わからなくなっている、みたいなのかもしれない。 自分の“

雨の中 『羅城門に啼く』と『侠』

豪雨の中、野暮用で1時間歩かないといけなかった昨日昼前。 川沿いの国道沿いを歩いていたら 車やトラックがびゃーっと走ってその度にザバーッ。 無になった。 泣けてくるし怒りが湧いてくるし でも歩かざるを得ない辿り着けないことには。 ずんずん歩きながらザバーッをまた、またまた、浴びながらも、思った。 たぶん車に乗っている人は攻撃とか加害しようとは思ってもいない。 悪気はない。 あちらもただ仕事や目的のために走らせているだけでしかない。 雨の中の運転だ。あちらも危険だろう。 でも速

凪良ゆうの『汝、星のごとく 』 「こうである、ことが当たり前」なんて、ない

人は誰しも「思い込み」を持っていると思う。 大きなものから小さなものまで、 言うなれば 「こう、と、されている、ことを疑いすらしないこと、かーらーの固定」だろうか。 その「かーらーのー固定と凝り固まり」が、 誰かをしんどくさせたり誰かにとっての暴力となりもしかねない。 と、考えたことはあるだろうか。 「こうであることが当たり前of当たり前すぎて疑いもしない」 その向こうには、「ではない」「そうなれない、出来ない」ことやものやひと、も、「ある」「いる」。 その絶望や苦しみを考え

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

おだしやミックスジュースやお好み焼きやだしまき、そして、てっちり 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』

かわいいという言葉に違和感を感じることやときがある。 かわいいという言葉に「対象物を下にみる」意味が時に含まれているような。 とは、ちいさきもの、みたいなところからの連想かもしれないが。 例えば「あのおじいちゃん、かわいー」とかに「ん?」ってなったりすることも少なくない。いや、悪い意味じゃなく褒め言葉やよね。でも。あ、言い方かな、それだけかな。せやな。 ほな「かわいげ」はどうだろう。 これも、上とか下とかが付いて回る? かもなあ。せやな。 なのに、なんでやろ、おせいさん、 田

熱と氷と人とナカミ 私的・川上未映子論

バケツに入った氷水を頭からかぶる。 次に氷水をかぶる人を指名する。 指名された人は24時間以内にチャレンジする。 チャレンジしたくない場合は100ドル寄付する。 チャレンジ後に寄付をしてもいい。 すべてはSNSへ投稿され、リレー方式で繋がってゆく。 9年前の夏前から夏に流行ったいわゆる「アイス・バケツ・チャレンジ」。 アメリカで始まったそれはチャリティー活動、 筋萎縮性側索硬化症 (ALS)の支援拡大を目的としたものだった。 世界でも日本でも芸能人や著名人(某企業とか)が参加

そのタイトルに 『教誨』

ひとりだと、ひとり。でもそれが群れや集団となると、別だ。 集団は、時にとてもこわい。 〝個人のはっきりした言葉や意見よりも集団としての和〟 〝集団の中で波風を立たせずに生きることが美徳〟 〝空気を読め〟 そうして集団で「YES」となったことは時に絶対的に間違ったことであっても「YES」となることがある。 そうさせられてきたり、そうすることそのことを疑いもしなかったり、 いや、そうしないと排除されたりするから黙ること。 そんな暴走や暴力や沈黙が他者の尊厳や命さえ直接的にも間接的

氷室冴子の『いっぱしの女』が嫌いな人はいないんじゃないか

大好きな作家の大好きなエッセイが2年前に「復刊」していたことを今更知った。 あ、いや、たぶん書店に並んでいるのは見ていた気がするのだけれど。 先日、移動中にとおった古書店で「あ。」と懐かしく手に取って移動中に読み終えた。 ああ、どの話もはっきり覚えてる、と、ページをめくった。 この本を語るに使い古されまくっているから言いたくないけれど 「時代をこえてもみずみずしい」「不朽」 まさにこれだったし、現代、現在だから、より響くものがある、みたいのも同意同感。 復刊し、あたらしく解説

毒を食らわば川上未映子、そして光 『すべて真夜中の恋人たち』

ストーリーを言ってもネタバレにはならないかもしれない。でも言いたくない。 ストーリーじゃなく何も言いたくない。先入観なしに、が、きっと、ぜったい、いい。 あ、珍しくぜったいなんて言葉を使った。使ったし、使いたい。 川上未映子、『すべて真夜中の恋人たち』という作品を読んでの気持ちです。 すこし、セリフを引用してもいいですか? 「何かにたいして感情が動いた気がしても、 それってほんとうに自分が思っていることなのかどうかが、 自分でもよくわからないのよ。 いつか誰かが書き記し

私はここに居る、釈迦はここに居る 『ハンチバック』

容れものと中身、身体と気持ち、 両のバランスがうまくとれている人って、世の中にどれくらいいるんだろう。 誰しもがいつもどちらかに傾いたりバランスをとれずにいたりするのではないか。 そのズレ故に自分自身や他者とのもやもやや苛々、摩擦や不調を感じているのではないか。 話題の芥川賞受賞作『ハンチバック』を読みました。 主人公は自由に(という言葉の意味もよく考えたらわからないけれど)体を動かすことが出来ない。 それこそ本屋にも行けないし、紙の本を読むたびに体が押し曲がるようだと言う

地図、羅針盤、花 『闘いの庭 咲く女』

〝自分らしくあり続けながら、この居心地の悪い世界で居場所を作ること。 自分の幸せは自分で決めること。そして、他者を踏みにじるのではなく、自分が上がること〟 ドキリとして、じわりと沁みてきませんか?  ジェーン・スーが13人の女性たちにインタビューをした『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』からです。 最終章、漫画家の一条ゆかりの生き方考え方を聞いた彼女が彼女の生きる〝地図と羅針盤〟を称しての文章であり、この本に登場する皆に共通する生き方であり、本著が書かれた理由でもあると

イワシの頭 川上未映子『ヘヴン』

のっけから嫌な話をするがここ最近いやがらせにあった。 ちいさなものが重なったりした。 「でもこう感じるのもわたしの主観やもんなあ」とも頭の中で考えてしまっていた。 そもそも慣れている、とも思ってしまっていた。 ちいさいころは容姿というか体のことや他のいろんなことを理由に除者にされることが少なくなかった。 そうしていろいろ自分を守るためやつくるためにやってきたいろいろの結果、それでも嫌な目に遭ったり「いろんなこと知ってる人」という風にしか見られなかったりもして悔しさを感じたりも

最低男と愛しきA~Eの女たち/『伊藤くん A to E』

何この写真。モロゾフのプリン。いただきものです。 大阪の芸人がよくネタにしますね。 「大阪のオバハンは食べ終わったモロゾフのコップ洗ろて使う。麦茶とか入れる」 オバハンじゃなくても大阪じゃなくてもやりますよね? 「ストロベリーソース入り ピスタチオのプリン」 食べていて3段の層を「わ、きれい」と撮ったのですが、 まさか使うつもりはなかったので全然きれいじゃなく、 食べさし写真にて失礼しました。 プリンを食べながらとある1冊を思い出しました。 プリンは出てきませんが、チェリ

Living Well Is the Best Revenge/優雅とは、人間とは

すべては。 このタイトルに尽きるような気がしてなりません。 筆者の力、訳者の力、 このノンフィクションの主人公である夫妻の気持ち、 きっとずばりそのもの、 『優雅な生活が最高の復讐である』 ……何への? 初めて読んで、 圧倒され、ぼぉっと、 動けず頭もまわらずの状態で「まず」の感想を、 語弊を恐れずに無理矢理一言で言えばこの言葉だったかもしれません。 「こわい」 やっぱり語弊があるなあ。 ちょっとなんか他に言葉、あるなあ。 でも、なんというか、 その、途方もなさのようなも