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読んだり観たり聴いたり

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本とかドラマとか歌の感想など
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#舞台

芝居小屋とうそとほんと 『万両役者の扇』

また偶然なのですが、 芝居小屋にまつわる本を読みました。 出版されたばかりの新作なのですが、ほんと、偶然。 んー? となって、手にとりました。 芝居をすることにとりつかれ「ほんととうそ」が曖昧になっていく人と、 その人に魅了されて(?)いく人びとの話。 簡単な言葉を使うとそれは常軌を逸した…… いや狂ってるんじゃなく冷静、 意外と冷静で、 いやいや、もう「ほんととうそ」「ほんとかうそか」 「自分ってなんなのか」が、 わからなくなっている、みたいなのかもしれない。 自分の“

花と花瓶 ある2人の歌手の顔

「人生はその日その日の積み重ね」 近所のお年寄りが口にしたのを聞いて肚の中でツッコんで笑った。 「何? みつを的な?」 でもその夜寝る前になって「うーむ」「ほんまやなあ」なんて。 ということを、思い出したのは、テレビに出ていた2人のおじさん歌手を見てのことかもしれない。 森進一。 「こわ!」 なんなんや、あの顔。今の顔。 人の容姿をどうこういうことはいいことではない。とはわかっている上で。 わたしはこのひとの歌とこのひとにずっと興味がある。 五木ひろしより森進一派。歌に物

The Aerial Assassin サンキューマタネウィルオスプレイ

金網の中でのごちゃごちゃ血まみれぐちゃぐちゃ試合をただ観た。 直接会ったこともないその選手のことを勝手に書きたい。 入団したころから観ていた訳じゃない。 会場に足を運んで生で観たことだって両手で数えるほどだ。 新日本プロレス在籍としての最後の試合も大阪だったけれど行かずに配信で観た。 いつの間にか気付けば目で追っていた。 むちゃくちゃだからだ。 なんでそんなに身体張るねん。 知人は見るたびに言っていた。 「やさしいなあ」 どんな選手のどんな技もやりすぎくらい受けまくる

それらはコインの裏表 何とかならない時代のシェイクスピアや近松

今朝「おすすめされていた作家さんの本を買いました」というメールをいただいて、なにかが繋がったような、不思議な気持ちになったのは、 ここ最近、このnoteを思い出していたからかもしれません。 ちょうと一年前に書いたものです。 振り返りネタが続いてしまっていますがサボっている訳ではない(笑) 赦しと復讐とコインの裏表のこと。 シェイクスピアとか近松とか己のことや、 いくつかの本と舞台の話とかと併せて、なんか憑かれたような気持ちで書きました。 ちょっと長いけど、ほんま、いろいろ

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

1冊の本、ひとつの舞台 『歌舞伎座の怪紳士』はミステリーでもホラーでもなくハートフルなあなたの私の話

タイトル、ちょっと濃い。 〝歌舞伎座の怪紳士〟 勿論あのミュージカルをもじって付けられたのであろうことはわかる。 けれど、漢字ばかりが並ぶからかな、 怪と紳士が並ぶと圧が強いよなあ、そこが、それが、ミソやんなあ。 そんなタイトルに反して、内容は、とても、とてもやさしい。 あたたかくて、やさしい話だった。ヒネクレ者のわたしでも何度かホロリ。 劇場と、人と、人びと、物語と「私」の話だった。 多作で知られる近藤史恵さん。 最近はドラマ『シェフは名探偵』の原作者としてご存じの人も

鬼 野獣郎見参と松井誠

劇団☆新感線の『野獣郎見参』は好きな芝居のひとつだ。 作者の中島かずきが「〝いのうえ歌舞伎〟リスタートとなった作品」と言っているが、今も人気の同劇団の芯や方向性を感じるような1本だと思う。 安倍晴明や陰陽道をベースにした、人と妖、 同劇団が得意とする伝奇活劇(チャンバラ)だ。 晴明ブームは初演時にはまだなかった。 映画の陰陽師だったり、OSKの『闇の貴公子』が上演されたり、 で、晴明神社がなんか観光チックになったりしたのは、 再演の前後だったように記憶している。 同劇団らしく

夢になるといけねぇ 寄席写真家橘蓮二の目にやられろ

学生時代の劇団の先輩に文楽のカメラマンが居た。 最もお世話になった先輩の一人だ。 でも当時特に伝統芸能に詳しかったとか好きだったとかいうことはなかったので驚いた。 学生時代ぶりに「Momo、歌舞伎とか落語とか好きやん? 大衆演劇とか。実は私今ね……」とか連絡が来て、会ったり、話を聞いたり、頻繁にお茶したりしていた。 「おじさんたちの撮るの、なんか違う気がするねん。お洒落に撮りたいねん」 ということで公演中の楽屋にも同行したりしたが、わたしはド緊張。 お会いしたうち、お一人はも

プロとプロの仕事と気持ち テレビという舞台(リング)で

「ジョブチューン」という番組をつい観てしまう。 気付けば、仕事のBGMがわりのはずが、結構ガチで観てしまう。 何度か炎上案件にもなったのでご存じの方も多いかもしれない。 例えば大手のコンビニやファミレス外食チェーンの人気メニューを、その道の職人というか海外でも活躍する日本を代表する(らしい)シェフやパティシエたちが「ジャッジ」をする。 試食し、合格か不合格かの札をあげて、理由や能書きをのたまう。 のたまう一流シェフだのパティシエだのはなんかパンチの効いた感じの人が多

人間の、人間な ある舞台や映画やドラマから

松尾スズキが好きだ、いや、好きではないかもしれない。 役者としての松尾じゃないよ。 ショッカーの創設者だったり 相撲のワル親方だったり競馬で負けて60円しか持っていないお巡りさんだったりじゃない。 劇作家として作家としての松尾さんがつくるものが好きだ。 よく使うモチーフは下ネタ・宗教・障がい者・格差・セックス・ギャグ。 好きとは言いたくない、好きではない、そう言いたい。でも。 芥川賞受賞作『ハンチバック』を読んだ時のわたしの感想は以前に書いた。 他の感想をひろっていると

舞台とリングと、人間と 『教養としてのプロレス』のこととか

突然ですが、 わたしはなにかを「絶対にそう」「絶対にこう」とかすること言うことがあまり好きではありません。 たいへんにこわいことであり危険なことではないかなと常々思っています。思うようにしています。 そういった風潮や群れることはなんだかどこか「こわいなぁ」となります。 例えば「なにかが絶対に悪」とか。 みんなが言っているから悪とか、 みんなで言ってみんなで悪にしちゃうってこともとても多くない? だから、どちらか一方に肩入れをし過ぎてしまうことはとても危険じゃないかなぁ

Myself

連休中、NHK-FMで「今日は1日長渕剛三昧」というのを聴いた。 放送すると知ったときは苦笑した。 「そんなん1日聴いたら頭おかしなるんちゃうん(笑)」 でも結局、半分以上仕事をしながら聴いていた、聴いてしまったのです。 最後の部分は外出の用が出来て聴き逃したのに、後追いで全部聴きすらしました。 ファンでもないのに。好きでもないのに。 番組時間午後0時15分~9時30分。途中ニュース中断あり。 それどころか、地震が発生したため、途中ぶった切られたりした。 でも9時間強。も

人間と、業と、ええ顔と/『タイガー&ドラゴン』

ドラマ『タイガー&ドラゴン』、御存じですか? 2005年に放送されたTBS制作の宮藤官九郎脚本の落語ドラマです。 大人気だったから当時よくテレビを観ていた人たちはタイトルだけで懐かしい気持ちになるかもしれない。 ここ数日、仕事のBGM代わりに流していました。 年が明けてからNetflixでの配信も始まったと知り、 思わず1話に手を出したのがいけなかった。 もう何度も観ているのに! 主人公は天涯孤独のヤクザの虎児(長瀬智也)。 借金を取り立てるために接することとなった 西田

「推し活、悩む」@コロナ禍、な皆へ。……大丈夫!

推し、居ますか? 推し活、してますか? 皆、このコロナ禍、どないしてますか? 特に「会いに行ける世界」に推しが居る皆さん! どちらの言葉もあまり好きではないのですが、 いわゆる「ファン活動」「追っかけ」というといいでしょうか。 舞台演劇、音楽、アイドル、スポーツ興行……。 ジャンルは様々ですが、きっとそれらの世界に「推し」が居て、 信仰とまでいうとオーバーですが、生きる力をもらっている人はたくさん居るのだと思います。 そして、逆もまた。そんな客席の皆の想いが、「舞台」に立つ