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#多様性を考える

2054 ドラマ『不適切にもほどがある!』にありがとうを言いたい

ドラマ『不適切にもほどがある!』については何度か書いた。 回を重ねるごとに、違和感と「これはあかん」が重なりもし、 入り込めなく集中できなく(集中して楽しめなく)なった。 最終回を「どう終わらせるのかな」っていう期待はあったのだけれど、 「んー………?」「うんうん」「なるほどな」「でもなあ」 だからもう一度観なおしたらほろりとはなりもしたけれど、 いろんな人の気持ちを考えて「どうなんやろうなあ」となったのもほんとの気持ち。 悪い意味でもいい意味でもいい意味でも悪い意味でも 「

The Aerial Assassin サンキューマタネウィルオスプレイ

金網の中でのごちゃごちゃ血まみれぐちゃぐちゃ試合をただ観た。 直接会ったこともないその選手のことを勝手に書きたい。 入団したころから観ていた訳じゃない。 会場に足を運んで生で観たことだって両手で数えるほどだ。 新日本プロレス在籍としての最後の試合も大阪だったけれど行かずに配信で観た。 いつの間にか気付けば目で追っていた。 むちゃくちゃだからだ。 なんでそんなに身体張るねん。 知人は見るたびに言っていた。 「やさしいなあ」 どんな選手のどんな技もやりすぎくらい受けまくる

不適切とモヤとスタート地点 ドラマ『不適切にもほどがある!』を再び考える

ドラマ『不適切にもほどがある!』が、結構叩かれているみたい。 「せやろな」「せやな」と思った。 1話目を観たわたしはうれしかった。 笑ったり笑ったり、なつかしさを感じたりもしていたから。 時事ネタがではない。 「よく観ていた頃の小劇場」感、がちゃがちゃごちゃごちゃ生き生き感、ギャグやオフザケを散りばめながら「言いたいことを伝える」を感じてだ。 でも、かな、だから、かな。でも、かな。 2話目くらいから「ん?」を思い始めた、「ん?」と「んー?」だ。 「ああ、これは、叩きがいがある

誰かと、時代と、生きること 『不適切にもほどがある!』

クドカンの新作ドラマが昨日から始まったことを知らなくて、 ばたばたが少し落ち着いた??な昨夜、 ネトフリで何か観ようとしたら配信されてた! 観た! じわっと涙がでた笑いながらも。 思うところ考えるところがたくさんと、 ドラマは勿論あの頃舞台とかから観てきたからこそ変遷というか いろいろ思うところがあること、 そのひとが、今、≪こんな≫ドラマを書いて、放送されていること、その内容に、じわっと。 物語は始まったばかりなのだけれど、 いろんなこと思い出したり重ねたりして、もう胸がい

こよひ逢ふ人みなうつくしき マキノノゾミが描く与謝野晶子と若者たちの物語に

考える。 世の中には、いや、人間は、人間だからこそ、 あまりにもあまりな〝決めつけ〟が多いんじゃないか、と。 思い込みによるそれだったり、 自分にとって都合がよくないから 見たくない聞きたくない自分の中に入れたくないことだったり。 そうして自分の気持ち良かったり楽だったり、 自分と自分だけがよかったりすることだけに甘んじたり、 それだけを事実現実として〝そうじゃないもの〟を 例えば考えたり歩み寄ってみようとしてみたり、 考えもせずに「自分とは違う」「自分たちとは違う」として、

ご飯を食べる 『きのう何食べた?』と『生きるとか死ぬとか父親とか』

わたしは最近よく泣く。 泣き笑いだの笑い泣きだのという言葉はかなり使いやすいというか便利だ。 言葉だけが独り歩きしているような感も否めない。 でもほんま、すぐに泣くようになったし、笑うようになった。 自制心もといかっこつけで隠しているけど。 むかしは怒りの感情が大きかった。今もある。 でも今はそれより泣くし笑う。 人気ドラマ『きのう何食べた?』は、 漫画のときから読んでいたし観ていたのだが、 ドラマseason1の際には、 なんだかすごい勢いで広まっていった両手放しの大絶

20XX年に 北斗の拳、ベルセルク、旅芝居の芝居

古いアニメや漫画を語ったり、 キャラの台詞や引用をすると「さむっ」「知らんし」となる時代らしい。 『ベイビーわるきゅーれ』の主人公たちが言っていた。 このところ仕事中のBGM代わりが『北斗の拳』だったわたしには「!」である。 せやけどここからどんどん広がっていった、考えた、色々。 「さむっ」「知らんし」すみません。 すごく長くなりましたが、よろしければお付き合い下さい。 きっかけは先月放送されたNHK『アナザーストーリーズ』(再放送)だ。 原哲夫&武論尊による「制作秘話」を

人間の、人間な ある舞台や映画やドラマから

松尾スズキが好きだ、いや、好きではないかもしれない。 役者としての松尾じゃないよ。 ショッカーの創設者だったり 相撲のワル親方だったり競馬で負けて60円しか持っていないお巡りさんだったりじゃない。 劇作家として作家としての松尾さんがつくるものが好きだ。 よく使うモチーフは下ネタ・宗教・障がい者・格差・セックス・ギャグ。 好きとは言いたくない、好きではない、そう言いたい。でも。 芥川賞受賞作『ハンチバック』を読んだ時のわたしの感想は以前に書いた。 他の感想をひろっていると

針と種 100分deフェミニズム

『別冊NHK100分de名著 フェミニズム』 お正月に放送された番組が書籍化したもの。 本に、読むものにしてくれ、出してくれて、本当によかった、と思った。 すこし語らせて下さい。 番組を観たときはしみじみと2つの気持ちになった。 100分にまとめるにはテーマも情報量も多すぎる。 収録は8時間を超えたとのツイートも見た。 「これはまとまらへんやろ、1テーマ(1冊)でもまとまらへんやろ」 4人の出演者がそれぞれこのテーマに沿った1冊を紹介する、というかたちで進む

人と人、利他と人 『ぼけと利他』

最近のわたしの口癖は「他者(人間というもの)は理解できない」なんです。 ちょっと語弊があるな。 「理解しようと思ったって自分じゃなく違う人やねんからたぶん無理(と思うくらいがいいのかも)」 これも語弊があるかも。 「理解したと思って他者を判断したり決めつけたり(さらに区別したり)だなんてめっちゃ傲慢だ。他者は他者だ。だから考え、接し、(例えば悩みながらも)続けなくてはいけないのだ。それって楽しいかも」 これが近いかなあ? 理解できない、とか、無理だから、「マイナス」ってか後ろ

『ごめんね青春!』 そしてやっぱり、「皆と」「皆で」みたいなこと

先月、『ごめんね青春!』というドラマを観ていました。 2014年のTBSドラマ、ネットフリックスから配信中。 同じ宮藤官九郎作の『タイガー&ドラゴン』や『俺の家の話』は もう台詞の物真似を出来るくらい好き。という話は以前にも書きました(これ)。 でも、この『ごめんね青春!』は本放送時、途中だったか1話目で観なくなっていたのです。 その頃リアタイ出来なかった理由もあったのかもしれない。 でもそれだけじゃなく、観始めて全体的にちいさな「ん?」をたくさん感じたからだと思う。 この「

なゆかとサトラピ

ここ最近2冊のコミックエッセイを読んだ。 コミックエッセイというのはおかしいかな。 でも間違ってはないかなあ、とも思う。 ひとつは、峰なゆかの『AV女優ちゃん』。 それまでの人生からデビューから業界のいろいろを描いたエッセイ漫画。 もうひとつは、フランスのイラストレーターで漫画家マルジャン・サトラピの『ペルセポリス』。 イランで生まれ、イラン革命そしてイラン・イラク戦争を体験し、大人になってゆく自伝的グラフィックノベル。 生まれた国も、育った時代や環境も違う2人が描いた作品は

この1冊/そしてここから👊✨な、ちょっとした(でも、つぶやいておきたい)つぶやき

何年か前から、きっかけを経て、「ちゃんと学ばねば」いや「学びたい」と思っていたテーマでした。  恥ずかしながら自分自身の中でずっと麻痺していたこともたくさんある。 勝手なイメージから近づかなかったりして大きくは興味を持ってこなかったことなども自覚しだした。で、ようやっと、もある。 思わせてくれたきっかけは、劇場活動、我が推し活です。 大好きな舞台人いや表現者であるひとりの踊り子さんです。 彼女の舞台や舞台姿からいろんないろんなこと、たくさんのことを教わっています(と思って