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#読書感想

Over there 『Q』(呉勝浩)神について

「お前は輝け。太陽が嫉妬するくらい」 イカロスは太陽に憧れて焼け死んだが、 「そのイカロス」は高く高く跳び笑い踊る。 イカロスとはギリシャ神話に登場する若い神だが、 「神」と言う言葉は現代の推し活シーンなどでもよく使われている。 「マジで神」「神ってる」「ファンサが神」 ひとりひとりが勝手に意味を付けて神になる。神にする。 自分が。自分たちが。 「神をつくる」 このところ仕事の合間に読んでいた700ページ位の長編を読み終えた。 呉勝浩の『Q』。 クライムサスペンスでバイオ

黒 『夜露がたり』(砂原浩太朗)が凄い

表紙と装丁の元となっているのは広重の「両国花火」。 でも花火も屋形船も切り落とされている。 ただ黒洞々たる夜の橋があるばかりだ。 と、羅生門の最後の一行なぞもじりたくなったのは、その内容故かもしれない。 手にするとずっしりと重く感じるのは、 タイトルと帯に書かれた宣伝文の力もきっとある。 『夜露がたり』(砂原浩太朗・新潮社) 目次をみると全8篇、 それぞれのタイトルからも滲みが漏れ、否が応でも期待は膨らむ。 「帰ってきた」「向こうがわ」「死んでくれ」「さざなみ」 「錆び刀」「

芝居小屋と人 『木挽町のあだ討ち』

自分で自分の書いたものを改めて引用するなんて全然よくない。 でもふとそうしたくなったのは、 読み終えたとある1冊が、ほんとうによかったからだ。 読みながら何度もぐっときて、じぃんとして、 読み終えて、そうしたくなったからだ。 直木賞受賞作だし、人気作だし、 尊敬する劇作家たちも薦めていたから気になってはいた。 にもかかわらず、手に取るのが遅くなったのはすごくしょうもない理由だ。 「もう時代小説はええかなあ」 うんと若い頃一時期、ずっと時代小説を読んでいた。 心はずっと江戸

私労働小説 ブレイディみかこが「私たち」のクソみたいな仕事をロッキンに書ききった

クソみたいな仕事ってなに? それは「自分が自分でなくなってしまう」仕事。 クソみたいな仕事をしていたら自分が自分でなくなる。 自分が自分でなくなってしまうと自分ではない、それは、ない、 ありえない、あってはならない。のに。でも。 それでも。 クソみたいな仕事をしている主人公たち、 つまりそれは著者自身であり「私」である。 そんな「私」たちの〝私労働小説〟。 『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』 この本は、 出てすぐに買って、 勿体なすぎて1章1章読んだのだが、 毎回気持ち

1冊の本、ひとつの舞台 『歌舞伎座の怪紳士』はミステリーでもホラーでもなくハートフルなあなたの私の話

タイトル、ちょっと濃い。 〝歌舞伎座の怪紳士〟 勿論あのミュージカルをもじって付けられたのであろうことはわかる。 けれど、漢字ばかりが並ぶからかな、 怪と紳士が並ぶと圧が強いよなあ、そこが、それが、ミソやんなあ。 そんなタイトルに反して、内容は、とても、とてもやさしい。 あたたかくて、やさしい話だった。ヒネクレ者のわたしでも何度かホロリ。 劇場と、人と、人びと、物語と「私」の話だった。 多作で知られる近藤史恵さん。 最近はドラマ『シェフは名探偵』の原作者としてご存じの人も

オマージュと真実と 『カササギ殺人事件』

突然だが、パクリが嫌いだ。 パクリや利用(する・される)が嫌だ。 でもパクリっていったい何だろう。どこからどこまでを言うのだろう。 パクリというときつい言葉だが、便利な言葉もたくさんある。 オマージュとかインスパイアとかパロディとかリスペクトとか二次創作とかなんだかかんだか。 これらの言葉で言い逃れ……言い逃れという言葉もきついが、 本心からそんな気持ちでこれらの気持ちで作られるものだってあるだろうし、それぞれがそれぞれに、でも、「ん?」もあるかもしれないし、ああ、難しい。

場所と人々と彼女と、「ごちそうさま」 『今日もレストランの灯りに』

これまで知らなかった場所(世界)に ひょんなことから入り関わる事で見えてきた人間模様の泣き笑いを 著者自身の目と筆で書いたあったかくて人情味のあるエッセイ。 そんな読みものはたくさんありすぎるかもしれないこの世の中に。 でもそれらが読まれ、わたしもどれも読みたいと思うのは、 「実際に」「その場へ」そのひとが「中で」「関わる事で」ということと 「他でもないそのひとの「目」」だからだと思う。 尊敬するライターさんがSNSで紹介していたことで手に取った本作は、 読売新聞医療サイ

毒を食らわば川上未映子、そして光 『すべて真夜中の恋人たち』

ストーリーを言ってもネタバレにはならないかもしれない。でも言いたくない。 ストーリーじゃなく何も言いたくない。先入観なしに、が、きっと、ぜったい、いい。 あ、珍しくぜったいなんて言葉を使った。使ったし、使いたい。 川上未映子、『すべて真夜中の恋人たち』という作品を読んでの気持ちです。 すこし、セリフを引用してもいいですか? 「何かにたいして感情が動いた気がしても、 それってほんとうに自分が思っていることなのかどうかが、 自分でもよくわからないのよ。 いつか誰かが書き記し

私はここに居る、釈迦はここに居る 『ハンチバック』

容れものと中身、身体と気持ち、 両のバランスがうまくとれている人って、世の中にどれくらいいるんだろう。 誰しもがいつもどちらかに傾いたりバランスをとれずにいたりするのではないか。 そのズレ故に自分自身や他者とのもやもやや苛々、摩擦や不調を感じているのではないか。 話題の芥川賞受賞作『ハンチバック』を読みました。 主人公は自由に(という言葉の意味もよく考えたらわからないけれど)体を動かすことが出来ない。 それこそ本屋にも行けないし、紙の本を読むたびに体が押し曲がるようだと言う

地図、羅針盤、花 『闘いの庭 咲く女』

〝自分らしくあり続けながら、この居心地の悪い世界で居場所を作ること。 自分の幸せは自分で決めること。そして、他者を踏みにじるのではなく、自分が上がること〟 ドキリとして、じわりと沁みてきませんか?  ジェーン・スーが13人の女性たちにインタビューをした『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』からです。 最終章、漫画家の一条ゆかりの生き方考え方を聞いた彼女が彼女の生きる〝地図と羅針盤〟を称しての文章であり、この本に登場する皆に共通する生き方であり、本著が書かれた理由でもあると

人と人、利他と人 『ぼけと利他』

最近のわたしの口癖は「他者(人間というもの)は理解できない」なんです。 ちょっと語弊があるな。 「理解しようと思ったって自分じゃなく違う人やねんからたぶん無理(と思うくらいがいいのかも)」 これも語弊があるかも。 「理解したと思って他者を判断したり決めつけたり(さらに区別したり)だなんてめっちゃ傲慢だ。他者は他者だ。だから考え、接し、(例えば悩みながらも)続けなくてはいけないのだ。それって楽しいかも」 これが近いかなあ? 理解できない、とか、無理だから、「マイナス」ってか後ろ

ファンタジーとおにぎり

きのう夕方のこと、 出先の近鉄電車の駅構内にあるファミマに寄ったらこんな声がきこえてきた。 「運動後の水分補給に一番ふさわしい飲み物は?」 カーン、ピンポーン。早押しボタンを押して答えるクイズかなんか? でも、答えめっちゃむずかしない?! 振り向いたら私学の中学か高校だか、いや、中学生やろなあ。 運動部(なにかはわからんかったが)の男の子たち3人が喋っていた。 そのうち1人が手にとったのは紅茶花伝で もう1人が手にとったのはリポビタンDだった。 「おまえ、それありえへんって

すべてほんとう 『散り花』

生き様。 今では誰もが結構気軽に使うけどきっと意味としては重いであろうこの言葉を浸透させたのは(一説によると)プロレス中継の際の古舘伊知郎らしい。 と、聞いたか読んだかしたけれど、定かではない。 でももっともらしいな、と思ったりもする。 なんだかもうほんとに浸透しすぎている言葉じゃないですか。 わかるようでわからなく、わからないようでわかるような気がする言葉じゃないですか。 なんてことを思い出したのは、 プロレスを描いて(正確には闘魂三銃士(だけじゃないけど)を描いて) 第1

台所は劇場 『それでも食べて生きてゆく』

人はひとりとして同じひとは居ない。 生まれも生い立ちも考え方も性格もちがう。 だからこそ、さまざまな人と共にする、奇跡のような空間と時が愛しい。 そんなことを劇場体験(長く、と、特に近年の大事な)で深く思うようになり、 だから、それぞれの気持ちやライフストーリーにも更に想いを馳せることが増えた。 元々、興味があったのだとは思う。でも、たぶん、更に。 そんなこんなで、このnoteにも長渕三昧だの、のど自慢だの、〝街は劇場〟だのと出てくるし、書いている。 (勿論、これも思うところ