見出し画像

過度なコンプラ重視は可能性が広がることもあれば狭まることもありそう

パワーハラスメントに対してより厳しい世の中になってきたと思っています。また、働き方改革によって労働時間の制限が厳しくなってきています。

個人的には、このようにコンプライアンスを重視することは賛成なのですが、過度にコンプラを意識しすぎることによる弊害もあるのではと思っています。つまり、広がる可能性もあれば、狭まる可能性も大きくなるかもしれないという話です。

どこからがパワハラで、どこからがパワハラではないか、非常に難しい問題ではあるのですが、要は相手の尊厳を傷つけるような、コミュニケーションコストをかけない方法が禁止されつつあります。ここまで聞くとすごく良いことなのですが、問題はその後です。

例えば、新人や部下の指導においても、権威勾配を使って暴言を使って指示したり叱ったり、最悪は暴力を使うという、いわば上司や先輩側の払うコストが安い方法をとることができました。しかし、現代においては、尊重して、働きかけて、自主性を促して、自立自律を促して…といった非常にコミュニケーションコストがかかる方法しかとることができません。

コミュニケーションコストが高い方法は、かなり技術が必要です。そういう教育を受けていなかったり、そもそも技術習得をめんどくさいと感じる人にとっては、新人や部下に対して「何もしない」「放っておく」という選択肢が発生します。

本来仕事をする上でやらせなければならないこと、言わなければならない内容をも差し控えると、人の成長は見込めないと思います。客観的に自分を見て自分の力で自分を成長させていくことは至難の業です。

また、これまでコミュニケーションコストが安いパワハラなどは、人間の根本的な欲求を揺らがせるので、多くの人が「動きやすい」方法です。これまで古より暴力や暴言といったコミュニケーションコストが安い方法がとられてきたのは、その方法で動く人が多かったからです。現代において、その方法が簡単に使えず、コミュニケーションコストをかけるような、人を動かす技術が必要な方法しかとれないと、必然的に動かすことができない(動く可能性が低い)個体が多く出てきやすくなります。

まとめると、人を動かすための簡単な方法は制限されており、より高度な技術を持っている人しか使えない。なので、人を動かす側の人が「何もしない」「放っておく」という選択肢をとる人もいる。例えば、その技術を使ったとしても、動かない個体はある一定以上発生する可能性が高い状況だということです。

もちろんパワハラや暴力、暴言は根絶されるべき問題です。パワハラや暴力、暴言によって潰された未来もたくさんあります。コンプライアンスが守られている現在だからこそ、飛躍できる人、開花する才能もあると思います。

ただ、過度なコンプライアンスで指導ができなくなったり、時間をかけることができなくなったりすることで、狭まっている未来もあるということは、認識しておいたほうが良さそうです。コンプライアンス重視なので、今は怒ることができません。それはそれでいいのかもしれないですが、本来なら怒られて矯正できていたところが、今は勝手に諦められていることもあるかもしれません。成長できるはずなのに、成長させることを諦められているかもしれません。今まで動かせていた人、成長や飛躍できていた人の可能性も、削られてる感じはあるかもしれないという印象はあります。

そのようなトレードオフは理解しておくべきですし、コミュニケーションコストが高い方法しか使えないのであれば、人を動かす技術を教育するような機会をしっかりと設けるべきです。

また、言わなければならないこと、動いてもらわなければいけない内容まで緩めると人も現場も歪みます。特に教えられる側が内容を緩めることを要求すると、周りは指導をストップすることで、成長もまた止まるかもしれません。

伝える(伝えていただく)内容は妥協せず、高い技術で伝えていくということを念頭に置いて可能性を広げていきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?