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『孤島のキルケ』(17)
「地震は島全体で起こったのか。とむは、法主様は、皆は無事か」
私は、耳障りの悪いきつつきのさえずり声で、ふらんそわに島の現状を尋ねた。
「まだ全体の被害は確認しきれておりません」
「とむたちは」
「洞窟自体が崩壊して入り口が塞がれてしまったようです。もし法主様がご無事であれば、直ぐにお姿を現されるはずです。この程度の地震であれば影響を受けぬはずですから」
「私が見に行く」
「お止めください。まだそのお体に慣れておられぬのですから」
私はふらんそわを振り切って洞窟の方へ飛ぼうとした。
だが私の体は一向に言うことを聞かず、ぐるぐると宙を回るばかりだった。
「では、私の頭に捕まってくださいませ」
ふらんそわは一声高く遠吠えをした。
いきなり目の前に巨大な影が現れ突風が吹いた。
思わず首をすくめると、金色の釣り針のような物が頭上をかすめるのが見えた。
本能的にふらんそわの豊かな毛並みに身を隠すと、きつつきとなった私を丸呑みしそうなほどに大きな鷹がきるけえのかたわらに降り立った。
「こちらはキルケ様の使いです。二瓶様に危害を加える者ではありませんのでご安心を。しろばち山の山頂をねぐらにして、島全体に変わった動きがないか見守っているのです」
鷹は鋭く私を一睨みすると、ふらんそわと二言三言交わしてきるけえの傍に侍った。
「では行きましょう」
ふらんそわは豊かな黄金色の毛並みを風になびかせながら、洞窟に向かって疾走した。
ろくに飛べないきつつきとなった私は、全力を振り絞ってふらんそわの背につかまった。
松林は枯れ枝や倒木が転がっており、とても駆け抜ける事など出来ない。
砂煙を上げながら砂浜を駆けると、砂塵が私の体に振り掛かってきた。
人の形をした私ときるけえによって乱された浜昼顔の群生は、何事も無かったかのように薄桃色の花弁を夕日に向けていた。
工場が見えてきた。
館と違い、目立った被害は遠目からは見受けられなかった。
「工場は内部の損傷はあるものの大きな被害は受けていないと聞いております」
ふらんそわは短く告げると、とむが遊んでいた潮だまりを飛び越えた。
「うわっ」
着地の衝撃に転がり落ちそうになりながら、私はきつつきの足を踏ん張ってふらんそわにしがみついた。
「これは聞いていたよりも酷い……」
洞窟の入口が塞がったと言うよりも、洞窟の上部が崩落して洞窟としての形を成さなくなったと言った方が近そうだった。
「彼らがこの洞窟から出ていた事を祈りたいが……」
よろよろと羽ばたいて折り重なった岩盤の隙間を覗き込むが、真っ暗で何も見えそうになかった。
ふらんそわがゆっくりと近づいて、洞窟の近くを嗅ぎまわった。
「二瓶様、ハイブリッド型パイケーエス式潜水艦初号機は念動力で操作するのですよね」
「ああ、そうだが」
「今ここで洞窟から進水させるように念じてみてはいかがでしょう」
何を馬鹿なと思ったが、洞窟がひしゃげているのにきつつきと犬の体では石ころ一つ拾い上げることも出来ぬ。
ならば、潜水艦の側からこちらに出てきてもらえば。
いや、彼らが潜水艦から出て洞窟を歩いている最中に地震が起こった場合には、潜水艦の位置をずらすことで瓦礫が彼らの体に降り注ぐ事が考えられる。
危険極まりない。どうすれば――。
「ちょっと待て」
私はきつつきの脳みそのまま、ちっぷが入れられていた頃のように海豚の顔をした男に意識を合わせた。
彼は人の姿に戻っていた。
広く盛り上がった額を持つ、耳目秀麗な青年の姿だった。
まだ都で僧としての勉学修行に励んでいた頃の姿なのだろうか。
土佐の洞窟にこもりきりの姿とはとても思えぬ、涼やかな顔立ちだった。
だが彼の目は開くことはない。呼吸をしている様子もない。
真っ白な衣を着せられた彼は、野の花に飾られた草船に乗せられて清らかな渓流を西に向かって流されていた。
「なあ、法主様、あんた死んだのか」
彼は答えなかった。
「いや、少し休ませておるだけぞ」
潮だまりから、海豚の顔をした男の代わりに返事が戻ってきた。
「水神様!」
水神の姿が以前よりくっきりと私の目に映った。
「誰かいるのですか」
ふらんそわには水神が見えていないようだ。
「あの者の法力のおかげで主らは難を逃れたのよ。あれがおらなんだら主らも助からぬ所よ。荒れ狂ういしゅたるを真っ向から封じようとするなど狂気の沙汰だが、あれは主らを助けたい一心だったのよな」
飲み食いもせず喜怒哀楽も生きながらにして捨て去ったように見えた男は、人を救いたいという思いだけは捨て去っていなかったのだ。
暴風雨と飢饉から民を救おうとして成らず鳴門の渦に落ちた旅の僧は、またしても私たち人とも獣とも化け物ともつかぬ者たちを助けようとして自らを捨てた。
「では無事なのですか」
「ああ。ワシの世界でかくまって居る。本来なら主らもそうしてやれれば良いのだが、ワシの世界は神界だけに人の身の者では体が耐えられぬのよ」
「とむは、とむは無事なのですか」
私はばたばたと水神の周りをぎこちなく飛びながら尋ねた。
「とむは地震の直前に島を出たぞ」
私の問いに、水神はさも当然と言わんばかりに答えた。
「何ですと!」
私は思わず高いさえずり声を上げた。
「誰と話しているのです」
ふらんそわは怪訝そうに私を見上げた。
「水神様だ。法主様は水神様の所に居る。法主様が皆を助けてくれたそうだ」
もどかしげに潮だまりを見つめるふらんそわを、水神は子供を見るようなまなざしで見つめた。
「主はワシの事を良う知っておるはずなのだがのう。人の世で生きるために、ワシらの記憶と主自身の力を封印してしもうたのだな」
そう言うと、水神はふらんそわの頭を一撫でした。
「異変に気付いたとむは、島の一切をあの者に託してそのまま船で海に潜ったのだ。上手くいけば外界に出て、主らを助けるように動いておるだろう」
とむは元々潜水艦乗りだったから、駆動方法が違うにせよ本来はとむが潜水艦に乗るのが適任だったのだ。
だが獣体のまま外界に出てどうするつもりだ。
「神のみぞ知る、よ」
にやりと笑うと水神は水平線を指さした。
水神が指さした先に、一艘の大きな船が姿を現した。
私は海豚の顔をした男のように、意識を一心に集中させた。
船の甲板が見えてきた。
『紋次郎の兄い、化け物一匹につき生け捕りで百万円ってえ話だが、好き物のきるけえも百万円で?』
『さあな。漁協からは化け物一匹当たり百万円で、傷をつけぬように生け捕りとだけ聞いている。きるけえは俺らの好きに任せるとさ』
紋次郎と呼ばれた男は、鷹の化身の如く鋭い目つきが特徴的だった。
『きるけえも化け物には違いねえが、漁協もさすがに火の粉を被りたくねえんだろ』
『そのきるけえとか言う化け物の他に女がいたら、それもワシらが好きにしてええんかいな』
紋次郎の手下らしい前歯の抜けた男が、下卑た引き笑いで舌なめずりをしているのが見えた。
『女にゃ優しくするのが轟一家の小出紋次郎の流儀よ。手前らも漢なら、女の側からせがまれるような野郎になりやがれ』
紋次郎は、年の頃二十代後半から三十代前半位、中肉中背の侠客だった。
『きるけえに無理強いは禁物だ。手籠めにでもしようものなら、その場で俺が斬り捨てる。そうだな……。きるけえに惚れられて、きるけえが望んでとらわれに来る漢にゃ億を俺が出してやる。手前らにそんな芸当が出来るか見ものだがな』
ふらんそわは身じろぎもせず、じっと近づきつつある船を見つめていた。
水神に頭を一撫でされた事で、船の様子が見えているらしい。
『二手に分かれる。まず手前ら二十二人が先に化け物屋敷に行ってこい。全身にヨモギ汁を塗りたくるのを忘れるな』
「ヨモギ汁?」
私は唐突なヨモギ汁と言う単語に首をひねった。
『霊験あらたかな海鷹四方木神社の神猫さんのお告げだ。しっかり塗っておけよ』
紋次郎の言葉に呼応するように、男達は互いの手の届かないところにヨモギ汁を塗り合っていた。
『あの神猫様が言うからにゃ、化け物屋敷も化け物も好き物のきるけえも本当にいるんだろうよ』
『化け物もきるけえもだが、一番やっかいなのはいしゅたると言う化け物だ』
『神猫様の言うことにゃ、いしゅたるは御霊だから縄でも槍でも捕まえられねえって話だぜ』
『化け物捕りを始める前から怯むやつがあってどうする!』
がやがやとだみ声でしゃべる男達を、紋次郎が一喝した。
『神猫様の言うことにゃ、きるけえに薬と呪いの秘密を教えてもらえば化け物捕り以上に金になるとよ。いいか、きるけえには絶対に粗相のないように。上手く付き合えば無限に金の生る木だ』
「上手いことやりやがったな、とむ」
脱出したとむはオオヤマネコの姿のまま、母子南島の海鷹四方木神社で神猫として祭り上げられているらしい。
それなら獣体のままでも危害は加えられない上に、島の情報を外界に伝えられるのだから大した名案だ。
私はとむの頭脳の明晰さと豪胆さに舌を巻いた。
『皆ヨモギ汁は塗ったな。このヨモギの守り袋を腰に下げて行け。きるけえは大人しく内気な女だそうだ。手前ら、この轟一家の小出紋次郎の名を汚さぬように優しく挨拶して来るのだぞ』
紋次郎の檄と共に、先遣隊らしき二十二人の男が縄梯子を使って甲板から海面に浮かべられた小舟へと乗り移っていくのが肉眼でも見えた。
「二瓶様、キルケ様の元へ戻りましょう」
「そうだな」
ふらんそわと私は、男達に先んじて館に向かった。
『ぎょきょう』とは聞きなれぬ言葉だし、彼らの着衣は人間の恰好をしたとむのそれに近い。
だが、名前と言い風貌と言い、何より母子南島を知っている事と言い、彼らは紛れもなく日本の者たちなのだろうと思った。
羽ばたきに慣れてきた私は、ふらんそわの側で力いっぱい羽をはばたかせた。
「空気の流れに乗るだけだそうですよ」
そんなものかと思いつつ、ふらんそわの背を時折借りながら羽ばたいているうちに、小舟が十艘ほど海岸に近づいてきた。
きるけえの姿は見当たらなかった。
「しろばち山の山頂にでも行っていると安心なのですが」
ふらんそわがしろばち山を見上げて言った。
私は半壊した館の陰に身を潜めて、先遣隊の様子を伺った。
波打ち際に次々と乗り付けた男たちは、緑色に染め上げた顔を左右に振りながら砂煙を上げて館へと迫り来た。
「化け物はいねが」
「女子はいねが」
だみ声で呼ばわる様はとても紳士的だとは言えなかった。
それともこれが小出紋次郎流の優しい対応なのだろうか。
「おい、いるんだろ化け物、出てこいや!」
「女は好きにしていいんだよなあ、ほら、女。俺が欲しいんだろ」
へへへと下卑た笑い声を立てる男はいやに背が丸まっていた。
「なんじゃこりゃ本当に化け物屋敷じゃねえか。建物が壊れちまってらあ」
館の前で男達が立ち尽くした。
「兄やん、こっちこっち。金目の物もありそうですぜ」
食堂の壊れた大窓を潜って、男たちは館の中に吸い込まれていった。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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