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初めから君に恋してる四

四 写真のナゾとレッスン
「それと、あのさ、この写真……、もう持って来てほしくないんだけど」
蓮先輩がわざと怒っている口調で私に主張してきた。
「え? いやですよ。私の癒しなんですよ」
蓮先輩はおかしなことをいうなあ。私の勝手では?
蓮先輩の無理な要求を突っぱねてみた。
「だって、この走っているヒトさ」
「もしかして、誰だか、知ってるんですか?」
勢いよく蓮先輩に近づいた。知ってるなら、知りたい! 教えてください!
「これ、うちの陸上部の人間だと思うよ」
蓮先輩は言いづらそうだ。
「そうなんですか! 誰なんだろう? わかりますか? 知りたいんです」
私はまっすぐ蓮先輩を見た。
「なんで知りたいの? この人、普通に走ってるだけじゃない?」
「違うんです。たぶん、この人、何かと闘っているんです」
蓮先輩はやれやれと言わんばかりにゆっくり横に頭を振る。
「すっごい想像力だね。なんでそう思うの?」
なんだかバカにされた気がしたが、それよりも彼の情報がほしい。蓮先輩が煽ってきても、我慢、我慢だ。情報をもらうまで、耐えろ、私。
「そう? 顔を見たら、とんでもなく不細工かもしれないし、嫌な奴かもしれないぜ?」
蓮先輩が意地悪そうな顔をした。
美形というやつは、憎たらしいことに、意地悪そうな顔をしても美形なんですね。蓮先輩の歪んだ顔も、不思議と嫌な気はしない。
「そんなことないですよ! ちらっとしかみてないですけど、彼はかっこいいです。それに一生懸命でいい人です」
この写真の魅力について、私が語ってあげましょうか?
「え? この写真じゃ、ほとんど顔みえないよね?」
蓮先輩と私はにらみ合った。
近藤先輩と川中先輩は、少し離れたところで話の行方を見守ってくれている感じだ。
「はい、この写真では顔は分かりません。でも、この前、見てしまったんです」
「顔、見たの?」
蓮先輩が目を真ん丸にした。
どうやらかなり驚いたらしい。
「はい。実は、ニ回目に会ったとき、彼は泣いていたんです」
小さい声で思わず答えてしまった。
「二回も会ってるの?」
蓮先輩は唸った。
「そうなんですよ」
きっとあのランナーは、見られたくなかっただろうし、まさか人に言われているとは思わないだろう。やっぱり、言わない方がよかったかもしれない。しまったと後悔が心の中に広がっていく。
「泣いていたのは秘密ですよ? きっと彼も何か抱えているんだろうから」
慌ててフォローする。
「あああ」
蓮先輩はくるっと向きを変えて、頭を抱え、ガシガシと手で髪をかきむしる。
「蓮先輩、どうしたんですか?」
大丈夫? なんかまずいこと言った? 
「うう、なんでもない」
蓮先輩は顔を見せないように、両腕の中に顔を突っ伏しているが、耳まで赤い。
「具合が悪いとか? 熱ですか?」
足が痛いのかもしれない。オケ部に来るのに階段上るし。あれ、でも今は歩けるんだっけ。
ああ、もしかして疲れたのかもしれない。だから、ちょっと怒りっぽいんだ。身体がつらいときは仕方ないわね。
蓮先輩は自分の頬をぱちぱち叩きながら、私の方へ向き直った。
「この靴、陸上部でお揃いだからさ。多分、ここの生徒。これでいい? もうこれ以上調べないでね」
蓮先輩が知っていることを渋々教えてくれた。
「やった!」
そっかぁ。同じ高校なんだ。応援したいって、気持ちがいつか伝わればいいな。そのうち会えるよね?
蓮先輩は大きく息を吐いて、スポーツドリンクを飲み始めた。
「さて、小競り合いは終わったかな? 2人とも仲良しさんになったね」
近藤先輩が私たちの顔を見る。
「今度から、部活前に蓮は杉浦の迎えにいくこと」
「えええ?」
川中先輩の言葉に、蓮先輩が「マジか」とつぶやいた。
「陽葵ちゃんも逃走しちゃうからね」
近藤先輩が笑いながら説明する。
「す、すいません」
慌てて謝ると、
「いいの、蓮が迷惑かけるんだから、荷物持ちでもボディーガードにでもさせて」
近藤先輩はバシバシと蓮先輩を叩いた。
「……」
私たちは顔を見合わせる。
「え? 本当にクラスに迎えに来てもらって、いいんですか? 私、一人でオケ部に行けますよ?」
私が申し訳なさそうに言うと、ぽりぽりと頭を掻きながら、蓮先輩は「ああ、大丈夫。俺が迎えに行くよ」と笑った。
「陽葵ちゃん、その走っている人って、陽葵ちゃんの彼氏ってわけじゃないよね?」
近藤先輩が不思議そうに聞く。
ゴホッゴホッ。
蓮先輩がスポーツドリンクを吹き出しそうになっている。
ああ、苦しそうにむせているよ。
「そういうんじゃないですけど。ただ、たまたま、偶然、映っていた人なんですけどね」
「でも、陽葵ちゃんはその人が気になると……。うちの陸上部の男子なんだ? へえ」
近藤先輩が写真をのぞきに来て、蓮先輩の顔を見る。蓮先輩はつぅっと視線を避けて、川中先輩の方を見る。
「もしかして、まさか好きとか? 一目惚れとか?」
近藤先輩がぽってりとした唇を尖らせる。
「なんですか、その顔、やめてください。もう、からかわないでください」
近藤先輩に言われて、顔が赤くなっていくのを感じる。一目惚れなのかなあ。こんなに気になるってことは。まさかね。
「陽葵ちゃん、この写真の人と、本当はなんかあったでしょ。教えなさいよ」
近藤先輩は私の脇腹をつつく。
「何にもありませんってば」
ゴホッゴホッ。
私の隣で、スポーツドリンクを飲んでいた蓮先輩がまたむせ始めた。
「きったないな。こぼしたの、ちゃんと拭けよ。アリが来る、アリが」
川中先輩はティッシュ数枚を蓮先輩へ放り投げる。
「何もないですって。ちょっと、気になるだけで、それだけです」
「ふーん。でも、その写真、陽葵ちゃん、すごーく大事そうにしてるよね。毎日見てるよね」
近藤先輩が疑わしい目でこっちを見る。
「大事ですよ。このまっすぐ走っていこうとする、この姿勢。逃げないで頑張っているところが、素敵じゃないですか」
開き直った。だって、この写真、好きだもの。
「そうね、つまり、陽葵ちゃんはこのランナーが好きってことね」
簡単に一言にまとめられてしまった。
ランナーのことが好き……? 好き? 好きなのかな。まあ、この写真は好きだし、彼のことも気になるのは確かだ。そっかあ、私、彼のことが好き。好きなんだ……。
好きって言葉が「すとん」と私の心に馴染んでいく。
近藤先輩が、蓮先輩を見て、ほほ笑んだ。
「ところで、陽葵ちゃんはこの人、誰だか知ってるの? 顔、見たの?」
近藤先輩が詰め寄ってきた。
「見たというか、正面から、ちゃんとは見てないですけど。ちらっと横顔は見ましたよ。一瞬です。名前はわからないですけど」
「そうなのね。名前なんかすぐに分かりそうだけどね?」
近藤先輩が蓮先輩をちらっと見て、つぶやいた。
「ああ、ほんと、名前が分からないなんて、がっかりだな」
川中先輩は、わざとらしく額に手をやって、残念というポーズをしている。
むせて真っ赤だった蓮先輩の顔が、今度は青くなっている。
「これ、いい写真だよな、蓮?」
今度は、川中先輩が蓮先輩に話を振る。
「名前は分からないですけれど、運命を感じたというか」
私は口籠る。
「運命? 何かあったの?」
近藤先輩は顔を右に傾げた。
「うーん、わからないですけど、たぶん。いや、でも、ちがうかも」
ランナーのことが知りたくて、話してしまいたかったけれど、やっぱり彼が泣いていたことは秘密にしたくって、これ以上は言えなかった。
近藤先輩と川中先輩は軽くずっこけている。すいません。思わせぶりで。
「何があったのよ、聞かせて?」
近藤先輩が突っ込む。
「部活さぼった日に彼と二回目に会ったんです。雨が急に降ってきた日です。二回も会うってすごくないですか?」
「ええ? あれ、やっぱりさぼりだったんだ」
近藤先輩がいたずらっ子のような目で、チクチク言う。
「えええええ。さぼりって最初から知ってたじゃないですか。もう、勘弁してください。すいませんでした」
とりあえず近藤先輩にも川中先輩にもあっさり謝っておく。部活はサボるもんじゃないね。
「まあ、仕方ない。杉浦は春休み返上して、オケ部に来てくれたし、蓮のお世話係になってくれたから、それでチャラだな」
川中先輩は、ずり落ちたメガネを指で上に押し上げ、書類を片付けながらつぶやいた。
「オケ部って基本的に休みはないんですか」
「ないよ。もう休んだ(さぼった)し、大丈夫だろう?」
「うう……」
いいです。部活がんばりますよ。
「ああ、陽葵ちゃん、いじけちゃった。かわいそうにねえ」
蓮先輩が私の頭をポンポンとした。
「大翔のせいよ。かわいそうにねえ」
近藤先輩は私の両手をぎゅっと握る。
「休みたいときは連絡してくれれば、休んでいいから。あと、休んだら指が動かなくなるから、家でちゃんとやっといて」
川中先輩が肩をすくめる。
「さてと。俺は忙しいから、あとは頼んだぞ」
川中先輩は近藤先輩に顔を向けた。川中先輩の顔の表情が柔らかくなる。近藤先輩も川中先輩を見る目が優しい。二人って、やっぱり特別な信頼関係があるんだなと感じた。
川中先輩はドアを開けて廊下へ向かう。
「二人でさぼっちゃおっか? 大翔、俺ら家で自主練してくるから」
蓮先輩が笑う。
「ちゃんとやれよ!」
川中先輩は、挑発的な蓮先輩の言葉に振り向かず、手を振って去っていく。
蓮先輩は悔しそうな顔をした。
「あ、大翔! ちょっと待って。ここは二人で大丈夫そうだから、私も行く」
近藤先輩が川中先輩を追いかけて行った。
「あいつら、仲いいな」
蓮先輩は穏やかに笑った。
「ところで、なぜ、いまピアノが弾きたいんなんですか」
「なんでって言われてもなあ。陸上部で練習していた時、よくオケ部の音楽が聞こえてくるんだよ」
「はあ」
まただ。ということは、私のピアノの音も聞こえていたってことだよね。ああ、恥ずかしい。
「なんかさ、オケ部の音楽の練習ってさ、同じところを何回も弾いて、できるようにして、一つの曲を弾けるようにしていっているじゃない? 頑張ってるな、つらいのは俺だけじゃないんだなって、勇気をもらえてさ。行進したくなる曲とかさ、走りたくなる曲ってあるじゃん? そんな曲を聞くと、急にやるぞって気になったり。音楽って不思議だよな」
「そうですね。たしかに」
私は頷いた。
「俺さ、正直にいうと、春休みに聞いたピアノが忘れられなくてさ」
蓮先輩が恥ずかしそうに言う。
「え?」
「ずっと聞いていたんだ。つっかえても、間違っても、あきらめずに弾いていて。何度も繰り返し同じところを練習し、ゆっくり弾いて。それから、早く弾けるようにスピードを上げていった。諦めずに弾きつづけるってすごいよな」
「……」
春休みのピアノっていったら、私のこと? ええ?
「陽葵、照れてるの? かわいい」
私のピアノのことじゃないですか。練習風景を褒められるなんて。まさかのまさか。恥ずかしくなる。
それに、かわいいとか、どさくさ紛れにいいましたよ。
もう、この軽そうな先輩、どうにかなりませんか。わんこみたいなふわふわの髪の毛しているくせに。うらやましい。きっと誰にでも言っているんだ。そうに違いない。
「しばらくしたある日、それがさ、ちゃんと1曲に仕上がったんだよ。仕上がった曲を今度はまた何べんも弾いて、つっかえないようにして、完璧にしていった。俺、陽葵のピアノ、ずっと毎日聞いていたんだ。ケガをして、陸上をこれからどうするか迷っていた時でさ。足は治ったけれど、もう元の通りには走れないわけ。でも、走りたいって気持ちもあってさ。でも、走ったとしても、将来につながらない。つながらないのに走るって、何の意味があるのかって考えていたんだ」
私は眉根を寄せた。
「私は、ただ、譜面通り弾いただけです。もっとうまく、もっと深く表現しなきゃいけないのに、まだできないんです。蓮先輩がいうようなすごくなんかないです。私だけの音というか、スタイルがないというか、そういうのがないんです」
「そんなことないよ。俺、川中が弾くピアノも聞いたことがあるんだけど、川中のピアノと陽葵ちゃんのピアノは全然違う。近藤のピアノも上手いけど、俺は陽葵のピアノで頑張れたんだ。テクニックとかはまったくわからないけど、俺は陽葵ちゃんのピアノの音が好きだよ」
「そ、そうですか?」
蓮先輩のストレートな言葉にためらいながら、私は先輩の顔を見た。
「陽葵の曲だった。俺の心に勇気をくれたのは」
蓮先輩は静かにピアノの前に座った。
「蓮先輩……」
「だから、俺もピアノを弾いてみたくなったんだ」
私と先輩の間がぐんと縮まったような気がした。私の拙い演奏が先輩の心に届いたことが嬉しかった。
「で、陸上はどうするんですか? サボるんですか?」
「うわあ、陽葵ちゃん、俺の傷をえぐるねえ」
蓮先輩はしかめっ面をわざと作る。
「気になるじゃないですか。蓮先輩、オケ部の練習をなめてはいけません。ピアノの練習をしたら、陸上の練習ができませんよ。本当は走りたいんじゃないんですか?」
「走りたいから、自分で走り始めたよ。治ったはずなんだけれどたまに痛いんだよね。気のせいなのかな。ま、陽葵ちゃん、そこは心配ご無用だよ。俺はちゃんとピアノも練習します。よろしくね」
蓮先輩は私の頭をわしゃわしゃとなでた。
「あ、もさもさになっちゃうじゃないですか」
手櫛で軽く髪の毛を整える。ひどい。乙女の髪になんてことしてくれるんですか。
「ありがとう。俺が前に進めたのは陽葵のピアノのおかげだ」
「本当ですか?」
訝しげに蓮先輩を見る。
「ピアノが弾きたいなら、オケ部に入れ。ただし、学校も、リハビリも、走る練習もすることって川中と約束したんだ。ね、だから、陽葵、俺のこと手伝ってよ」
「……蓮先輩」
どうやら本気でピアノを弾きたいらしい。
弾きたいって気持ち、大切だよね。
自分の中にあった、遠い昔の気持ちがよみがえった。
蓮先輩が弾けるようになるように、ピアノが楽しいって思ってもらえるようにしてあげたい。私、先輩の熱に感化されてしまったみたい。
「陽葵、俺にピアノを教えてください」
「はい。わかりました」
蓮先輩が軽く礼をしたので、おもわず先輩の頭に手を置いて、髪の毛を撫でてみる。
「お返しです」
先輩の髪は細くて、柔らかくって、サラサラとしていて触り心地がよかった。私の髪の毛とはちょっと違う。いいなと思いながら撫でていたら、耳まで赤くなった蓮先輩が私をみていた。
世界が二人だけになったみたい。私たちは見つめあう。
「おーい、蓮!」
私たちはビクンと飛び跳ねた。それからばつの悪そうに笑い合う。
「なんだ?」
蓮先輩は冷静を装って、返事をする。川中先輩が近藤先輩と一緒に第ニ音楽室に戻ってきた。胸に紙の束を持っている。
「蓮、お前、何が弾きたいって言っていたっけ」
「校歌! 俺、校歌弾いてみたいんだよね」
「というわけ。陽葵ちゃん、よろしくね」
「杉浦、よろしく」
川中先輩と近藤先輩は私の顔を拝んだ。
「弾きたい曲が、校歌……。蓮先輩は、変わり者ですね」
「だろ?」
蓮先輩は胸を張る。
「いいやつなんだけど、こいつ、ちょっと変なんだよね」
川中先輩が蓮先輩をバシッと叩いた。
「オレ、ケガ人なんだから、気軽に叩くのやめてくれない?」
蓮先輩がわざとらしく痛がった。
「何言ってんの? 普通に歩けるでしょ。走る練習もしてるんでしょ」
近藤先輩も「バシッ」と背中を叩いた。
「そうだけど……。少しは労われって」
蓮先輩は大げさに顔をしかめた。
「ケガ、大丈夫なんですか」
大丈夫だと言っているけど、心配になる。
「さっきも、こいつ、普通に先生と歩いて来ただろう」
「あ、そうだ。たしかに」
蓮先輩の登場シーンを振り返る。
「昔みたいに早くは走れないってだけで歩けるから。陽葵は心配しないでいいよ」
蓮先輩が苦笑する。
「はいはい。じゃ、陽葵ちゃん、こいつに校歌を教えてあげて。楽譜はこれね」
近藤先輩は、川中先輩が抱えていた紙の束から一部ずつを取り出して、私と蓮君に配ってくれた。
「近藤先輩、校歌の楽譜、用意が早いですね」
感心しながら、楽譜の初見をする。頭の中で音符を音に変換する。メロディーが頭と心に鳴りだした。
面白いアレンジだ。すごい。
「二人でちゃんと練習しろよ。まだオケ部の定期演奏はないからって油断するなよ。そうだ、文化祭でこいつに校歌を弾かせてもいいな……。うん、面白い」
川中先輩が手であごを触る。
「文化祭で弾けなかったら、陽葵ちゃんの責任ね。大変だわ。ふふふ。よろしく」
近藤先輩は楽しそうに私と蓮先輩を見る。
ひー、勘弁してください。
「今から練習すれば、陽葵ちゃんとなら、六月の文化祭までに間に合うわ」
「そうだな」
川中先輩と近藤先輩が話し合っている。
決定? それって決定事項なんですか?
「ほんと? じゃ、俺、やっちゃおうかな」
蓮先輩は頭に手を組んだ。
マジで言ってる? この人たち。
勝手に出場してもらおう。文化祭は、最近できたクラスの友達とゆっくり回るのが夢なんですけど……。
私の気持ちはどっかに置いて、どんどん話が決まっていっているのだった。

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