見出し画像

自由なアート表現で、私たちはもっと自由に生きられる(絵の苦手なももばちがアート活動を広げる理由)

最近になって、誰もがアート表現やものづくりを楽しめるシェアアトリエ・工房や、アートを身近に感じてもらうためのワークショップ、自己表現アートをきっかけに対話を深めるアート対話ワークショップなどを始め、自分自身も自分で描いた絵を販売するという試みを始めたももばちですが、ほんの少し前まで、絵を描くことにずっと苦手意識があって(今もなくなったわけではありませんが)、
まさか自分がアートに世界に足を踏み入れるなんて、ましてや自分が絵を描いて販売するなんて、想像すらしていませんでした。

▽シェアアトリエ・工房、ワークショップについて

▽ももばちのアート作品販売ページ

絵が好きだった子ども時代と、絵の世界との決別


ここに至るまでに何が起きたのか、ざっと説明します。

遡ること保育園児時代。
「大きくなったら何になりたい?」と聞かれると、すかさず「絵描きさん!」と答えるくらい、当時は絵を描くことが大好きでした。

父が知り合いの絵描きさんに頼んでアトリエを見学させてもらった時、絵や画材で溢れかえった秘密基地みたいなその空間に魅力され、以来「アトリエ」というものに強い憧れを抱くようになりました。

しかし、小学校に入学し、「評価の対象となる絵」と出会ってから、いつしか私は絵のセンスがないんだと自覚し、早々に絵描きさんという夢を諦めてしまいました。

それからは特に美術部に入るわけでもなく、絵画教室にも特に惹かれず、美大なんてものは眼中にもなく、
絵の世界を離れて、「言葉」で表現する道を選んできました。

ただ、思い返せば、中学の美術の授業が好きで、水彩画とかは全然描けなかったけど、鉛筆のみを使うデッサンは、(上手くはなかったかもしれないけど)結構好きで、他の科目の授業時間にも、ノートの端によく分からないアメーバみたいなものを、陰影を付けて立体的に描いたりしていました。

高校3年生で部活を引退した後は、仲の良かった美術部の友達に誘われて、なぜか美術室に籠って友だちが描く絵を眺めていました。

大学入学後は、お花や果実などの植物をリアルに再現する「大人の塗り絵」シリーズにハマって、色鉛筆で塗り絵を楽しんでいた時期もありました。

絵の世界とは、そんな付かず離れずの距離感を保ちつつ、それでもやっぱり、「私は絵が描けない」という呪いは消えることなく、絵が描ける人たちの存在を、別の世界の住人かのように遠い目で眺めていました。

「色を塗るだけの絵」との出会い

私の中で「絵を描く」ということとの距離感が少し近づいたのは、大学卒業後、私が嫉妬するほど素敵な絵を描く友だちに教えてもらった、パステルアートとの出会いがきっかけでした。

パステルアートとは、パステルと呼ばれるチョーク状のスティックを削り網で粉末にして、コットンや指を使って、色とりどりの粉末の顔料を紙に塗りつけていくアート手法です。

ただ色を塗り重ねていくだけでも、淡い色のグラデーションを楽しむことができるし、消しゴムで消せるので、練り消しで色の濃淡を出したり、自分で輪郭を描かなくても、ステンシルという型を使うことで簡単に様々なモチーフを描くことができます。

輪郭を描くことがとにかく苦手な私は、色を塗ったり消したりするだけで成立する絵があることに衝撃を受け、どハマりしました。

しかしこの時はまだ、絵が描けないコンプレックスは残ったままで、「評価される」ような絵が描けるわけでもない私が、「絵が描ける」なんて言ってはいけないと思っていました。

正解のない絵、なんでもアリなアートの世界との出会い

絵を描くということへの価値観が、根底から覆えされた出来事がありました。

それはつい最近、美術界の巨匠ゲルハルト・リヒター展にたまたま訪れた時のことです。

そこでまず1番に目に飛び込んできたのは、大きなキャンバスに、何がモチーフなのか全く想像もつかない、ただただカオスに色がひしめき合っている絵でした。

ゲルハルト・リヒター作

かと思えば、大きなキャンバス一面が灰色一色で塗りつくされていたり、

プロジェクターで投影した写真をあえてピントがボケてるように描いてみたり、

ピントがぼけすぎて何が何だか分からない映像作品があったり、

写真を塗りつぶすように絵を描いていたり、

目がチカチカするようなデジタルの配色パターンが一面に広がっていたり…。

なんかもう、なんでもありなんだなって思ったんです。

当然このリヒターという人物の作品は、世界的に高い評価を受けているわけですが、そのリヒターでさえ、意味わからないほど自由なアート作品を生み出している。

アートって、本来どこまでも自由なものなんじゃないのか。

そこに上手い下手とか、もはや評価しなくていいじゃないか。

もちろん、美術の専門的な技術を習得した人にしか生み出せない「上手い絵」はあるのだろう。
「評価される絵」を突き詰めることにも、もちろん意義はあると思う。

でも、表現としてのアートは、「評価」というものさしを超えて、誰にでも開かれた自由なものであっていいのではないか。

「評価される絵が描けない」と、
「表現(アート)としての絵が描けない」は、
イコールではないのではないか。

こんな自由な絵を、私も描いてみたい!

私の中にあった、「評価のモノサシ」が、あっけなく崩れさっていくのを感じました。

同時に、これまで「評価される絵」を突きつけられたことで私をアートの世界から遠ざけていた「評価」という壁に対して、行き場のない悔しさや疑念、怒りが湧き上がってきました。

よくよく考えてみると、私がこれまで目にしてきた日本画は、何かしらのモチーフを描いている作品がほとんどで、上手い下手の評価がしやすい絵ばかりだったなと…。

いわゆる「抽象画」をはじめとした、自由なアートの世界に、もっと早く出会えていたなら…

そう思うと、早々に夢を諦めてしまった自分が、どうしようもなく悔しくて、

私と同じように、「評価される絵」の世界を前に、「絵が描けない」と諦めている人たちに、自由なアートの世界を知ってほしくて、
評価のモノサシを外して表現することの楽しさを感じてほしくて

私は、「評価される絵が描けない人」の代表として、こんなアートもありなんだ!ってことを、身をもって証明してやろうと心に決めたのです。

友人がやっているシェアアトリエで、アクリル絵の具という、とてつもなく扱いやすく表現の幅が広い絵の具に出会い、画材によって色んな表現ができることを知り、その時描きたい絵のイメージに合わせて様々な画材を使い分けることができるようになりました。

そんなこんなで、決して上手いとは言えない自分の絵を、あえて販売してみる試みを始めました。

その目的は、絵を売ることそのものではありません。

「こんな絵が販売されている」という事実をひとつのきっかけに、
また、日常の中に気軽にアート作品を飾るという体験を通して、

絵に限らず、表現ってもっと自由でいいよねっていう空気感をじわじわ広げていきたいのです。

自由に絵を描こうとすると、自分の中にあった「評価のモノサシ」と対峙する

「自由に絵を描く」というのは、簡単なことではありません。
シェアアトリエ・工房やアートワークショップの中でも、「目に見えない自分の気持ちを自由に描いてみてください」と投げかけると、多くの人たち、特に大人たちは困惑した表情を浮かべます。

それもそのはずで、私たちがこれまで生きていた世界には、多くの場合、「正解」があります。
目に見える特定のモチーフ、たとえば「カバを描いてください」と言えば、よりカバらしいカバ、「正解」に近いカバを描こうと、皆それぞれに手を動かし始められるはずです。その時、どう見てもカバのように見えない絵を描いた人は、「自分は絵が描けない」と感じることでしょう。

ところが、「目に見えない自分の気持ちを自由に描いてください」というテーマには、「正解」が存在しません。どうやって描けば「上手く」描けるのかと考え込んでしまう人は、自分の中に「評価のモノサシ」があることに気づきます。「評価のモノサシ」を手放さない限り、自由な自己表現はできないのです。そしてそれは、絵を描くときだけでなく、日常のほとんど全ての行動が「評価のモノサシ」によって制御されているということになります。

自由なアート表現は、自分の中の「評価のモノサシ」の存在に気づき、それをゆっくり外していく体験なのです。
評価のモノサシを外して自由になった時、最初は何をどうしたらいいか分からずに困惑するかもしれません。
しかし、人には本来、自分の内側の感覚を感じとる力があります。
最初から完成形をイメージしようとするのではなく、まずは自分の内側の感覚をじっくりと感じ、感じ取った感覚に近い画材や色を選んでいきます。
その行為そのものが、すでに自由な自己表現の一歩なのです。

アート表現として評価のモノサシを外した自由な自己表現ができた時、きっと日常の中でも、自分が捉えわれていた評価のモノサシに気づき、自分の内側から湧き出る感覚を信じて表現してみようと思ってもらえるんじゃないか。
まわりからの評価が必要な場面ももちろんあるけれど、もう少し自分の内側の感覚と繋がって生きる生き方もありなんだって、そう思ってもらえるんじゃないか。

そんな可能性を、私は信じたい。

アートという一つの自由な自己表現をきっかけとして、「評価」のものさしを外して、自由に自分を表現して生きられるきっかけをつくる。

それが、私がこの一連のプロジェクトを通して実現したいことです。

▽「自己表現アート」について

まずは私自身が自由に表現することを入口に、アートを、誰にとってももっと身近で日常にある存在にしていきたいです。

▽ももばちアート作品販売ページ

そして、だれもが自由な表現を気軽に楽しめる基地としてのシェアアトリエ・工房の他、様々な地域でのアートワークショップなども実施していきます。

▽シェアアトリエ・工房について

▽自己表現アート対話ワークショップ

最後に伝えたいこと

これまで「評価のモノサシ」と共に生きてきた人にとって、それを完全に消し去ることは難しいし、必ずしも消し去る必要性はないと思います。

でも私が伝えないのは、絵に限らず、評価のモノサシを外して自由に自分を表現できたときの楽しさなのです。

それは、どんなに小さいことでもいいと思います。
好きな音楽に身を委ねて身体をリズムに乗せて動かしてみたり、昔好きだったことを久々にちょっとやってみたり、自分が今やりたいと感じることを、その感覚に素直になってやってみること。

自分の内側の感覚を大切に、その感覚を信じて生きることが、自分を自由に表現して生きるってことなんじゃないかと思っています。

そんな生き方が、あなたの人生を少しでも明るく照らしてくれますように。
それまで感じていた息苦しさから、少しでも解放されますように。

いただいたサポートは、自分のヤミも人のヤミも愛しあえる、しんどい時にしんどいと言えるつながりを広げていくための、ももばち企画の事業運営費に活用させていただきます。