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映画『もうひとりのシェイクスピア』からシェイクスピアについて語る。

映画「もうひとりのシェイクスピア」は、
実在した人物とシェイクスピア別人説を題材にしたフィクションです。
ストーリーのみならず、舞台や衣装も見ごたえ満点。この時代に触れてみたい人にはお勧めの作品です

物語には、ウィリアム・シェイクスピアオックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィア、サウサンプトン伯、エセックス伯、ウィリアム・セシル、ロバート・セシル、アン・セシルなど、エリザベス1世の時代に実在した人々が登場します。
ストーリーの中に、史実をうまく織り込んでいて見ごたえあり。

この記事では、物語の解説ではなく、史実にもとづくウィリアム・シェイクスピアについて深堀していきたいと思います。こちらを読んでから映画を見ると、さらに楽しめる内容となっています!


「シェイクスピア別人説」

というのを知ったのはつい最近。
ウィリアム・シェイクスピアは、生まれ育った街のグラマースクールに7歳から通い読み書きやラテン語を学び、演劇にも触れていましたが、大学など高等教育は受けておらず、海外での経験もありません。(もしかすると記録に残っていないだけで旅行しているかもしれませんが。)学歴も経験も乏しい彼が、あんなに素晴らしい作品を作り出せるわけがない。という、考えから生まれたのが「別人説」のようです。

オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア

が、作品を書いていたのではないか?という説が有名です。

Portrait of Edward de Vere, 17th Earl of Oxford (1550-1604)

ほんとうに、ウィリアム・シェイクスピアには劇作家としての資質がなかったのでしょうか?今から検証していきましょう!

ストラットフォード・アポン・エイボンの学校

シェイクスピアが通っていた当時のままの教室!

ストラットフォード・アポン・エイボンの立派なギルドホールの2階には、グラマースクールが開設され、街に住む男の子なら無料で教育を受けることができました。もちろん生活に余裕のある家庭の子どもしか勉学に励む機会はなかったと思いますが、ウィリアムは7歳から学校に通い始めます。朝は6時(冬は7時)から夕方5時まで。朝食とディナーがあり。広いクラスルームには60人ほどの学生がいて、一日10~11時間ぐらい、とにかく勉学に励むための場所でした。
当時、読みが主流で、筆記は「芸術」とされていたそうで、文字を書くという行為は、いまでいうアートを制作する、ぐらい卓越した技術だといえるでしょう。鳥の羽が支給され、自分でナイフでとがらせてペンを作りました。

学生時代には、演劇に触れていた。

学校の少年劇団では、ローマ時代の劇を演じることがあり、ほかの学校に行って上演したこともありました。

ギルドホールでは、1883か1884年にオックスフォード大学の少年たちが演劇を披露した可能性もあるとか。

この時、オックスフォード少年劇団のスポンサーをしていたのが、

17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア

また、ストラットフォード・アポン・エイボンのギルドホールには、1868年(シェイクスピア4歳)から1598年の間に15のプロフェッショナルの劇団がやってきて上演していました。このころの劇団は男性のみで10~12人の男性。

ロンドンからかなり遠いストラットフォード・アポン・エイボンに住みながらも、ウィリアムは学校やギルドホールで本物の演劇に触れていたことでしょう。

18歳で結婚。子供が3人生まれ、20歳ごろから何をしていたのかよくわかっていませんが、数年後にはロンドンで俳優、劇作家として活躍します。シェイクスピアは、ストラットフォードのグラマースクールで教育を受け、演劇に触れ、稀にない才能&運によってロンドンで劇作家として成功したといえるでしょう。


『もうひとりのシェイクスピア』登場人物について語る

1600年ごろのサウサンプトン伯爵

サウサンプトン伯爵 ヘンリー・リズリー
サウサンプトン伯は、シェイクスピアのパトロンでした。金銭援助のお礼としてシェイクスピアは、伯爵に二つの詩集を贈呈しています。

Henry Wriothesley and his cat Trixie in 1603

宮廷内では、エリザベス1世の寵臣(ちょうしん)で美男子の第二代エセックス伯ロバート・デヴァルーの側近でした。映画「もうひとりのシェイクスピア」でもエセックス伯と仲が良く、重要な役柄で登場。

第二代エセックス伯 ロバート・デヴァルー

Robert Devereux, Earl of Essex

母の再婚相手で義理の父、初代レスター伯ロバート・ダトリー(エリザベス女王の寵臣、女王の長年の恋人、愛人ともいえるのでは…。)の後援によって宮廷いり。長身で美男子だったことからエリザベス女王の目に留まります。のちに、女王のお気に入りとなり宮廷でのダンスは彼としか踊らなくなるほどに。しかし、ウィリアム・セシルへの反乱に失敗し、ロンドン塔で処刑される。

という感じに、実在した人物と映画のストーリーがうまくリンクして、史実を知っているとさらに楽しめるようになっています。

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参考資料として、
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