自分の名前がしっくりこない。

名前は、両親が我が子に最初にあげるプレゼントらしい。両親がくれたプレゼントは、「萌々」だった。生まれてからずっとこのプレゼントに違和感があった。

小学生の時は給食で桃缶や冷凍ピーチが出るたびに、「共食い」と言われ続けた。
桃が好きで、たくさん食べたかったけど、しつこいくらいに毎回共食いと言われるから、桃が嫌いと言うしかなかった。嫌いと言い続けたら当時は本当に嫌いになった。

小学4年生の時に1/2成人式というものがあった。
親に自分の名前の由来を聞き、それを発表するという宿題が出た。
家に帰り、母親に名前の由来を聞いた。

「なんとなく」

「なんとなく?」と思わず聞き返した。

しかし、それ以降も「なんとなく」「見た感じがももだったから」といった答えしか返ってこなかった。子どもながらに「そんなたまごっちの名付けみたいに決めたのか」と思った。いくら聞いてもそれ以上のことは言われず、かといってみんなの前で「なんとなくです!」と発表する勇気もなかった。夜通し悩んだ挙句、1/2成人式では「明るい日々を過ごして欲しいと意味を込めて・・・」と適当に由来を考えて発表した。
まさか自分の名前の由来を創作するハメになるとは思わなかった。

ペットに人気な名前らしく、友人から「うちの猫もモモっていうの」と言われるとなんだか複雑な気持ちになった。
中学生になると流石に「桃!共食い!」といじられることは減ったが、今度は「お前の名前って萌え萌えじゃん」「メイド意識してるの?笑」と言われるようになった。
当時「涼宮ハルヒの憂鬱」や、「らき☆すた」、メイド喫茶の流行も背景にあると思う。


この先ずっと名前をいじられると思うと、名乗るのが嫌になった。名前を聞かれても、苗字しか言わなくなった。英語の時間は名前で呼ばれるというルールがあったが、授業中に胸に着ける名前のプレートに苗字をローマ字で書いていたら、「ファーストネームで書きなさい」と怒られた。


クラスの男子からは「ももって感じの顔じゃないよな」と笑いながらよく言われた。そんなことは自分が一番よくわかっていた。好きでこんな名前になったわけじゃないのに。なんとなくで付けられただけなのにとずっと思っていた。


外出中に家族に名前を呼ばれると恥ずかしさでその場からすぐに逃げたくなった。本気で名前を変えようと名前変更の方法を調べたりもした。

名前が嫌なことを察してくれていたのか、苗字のが呼びやすいのか、しっくりくるのかはわからないが、中高の友人たちの9割は今でも苗字で呼ぶ。みんなありがとう。

大学生になりバイトを始めたあたりから少し状況が変わってきた。


名前かわいいね。覚えやすいね。と店長をはじめ、バイト先の人は皆名前で呼んでくれるようになった。学生バイトが最初は私しかいなかったため、年上の人たちに名前で呼んでもらえる事が、恥ずかしさもありながら仲間に入れてもらえたようで嬉しかった。
街コンなどの出会いの場に行くとすぐ名前を覚えてもらえるようになった。
「共食いじゃん」という人もいなかったから堂々と桃を食べられるようになった。
社会人になり少し砕けた場での名刺交換の際に、「萌え萌えと書いてももです」と自己紹介すると笑ってもらえた。


未だにしっくりきているわけではないが、名前を利用して物事がスムーズに進む事も出てきたため、まあいいかと思えるようになった。戦い方というか折り合いの付け方を学んだ。ここまでくるのに20年近く掛かった。

先日、久しぶりDSで犬を育てるゲームを開いたら名前が「イヌ1」「イヌ2」となっていた。きっと名付けに慎重になり過ぎて決まらなかったのだと思う。DS内のチワワ達、なんかごめん。

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