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”行旅死亡人”を知っているだろうか

行旅死亡人とは、行旅中に死亡して身元の分からない遺体を指す。ただし、行旅中といっても旅行中とは限らず、行き倒れで身元もわからず、遺体の引き取り先の無い無縁仏が多くを占める。

日本では毎年8万件以上もの行方不明届が出されている。この8万件は、あくまでも「認識ができている数」なので、人知れず消えていった身寄りのない人々を考えると相当数が毎年行方不明となっていることが想像できる。


行旅死亡人の存在を知ったのは今から8年前。当時は尽きぬ好奇心から、「存在を失った人々」を覗きに、警察署のWEBサイトを訪れたのが最初である。各自治体の行旅死亡人を知らせるWEBサイトでは、遺体の発見場所、歯列、着衣、所持品などがわかる範囲で丁寧に掲載されている。顔貌が分かる遺体の似顔絵を公開している警察署もいくつか存在する。

ある故人は何も持たず、身につけているのは草臥れたベージュの股引きと一枚の半袖シャツ。履き物も無い。長い年月のうちにどこかへ紛れて見つからないのか、もしくは履くことさえ忘れてしまったのか。彼は帰るべき場所を忘れてしまったのだろうか。

ある故人の持ち物は、電子タバコ、ポケットティッシュ、折れたブティックのカード、懐中電灯、お菓子袋、トラロープ、替えのパンツと空の財布。物言わぬ所持品から見える、鬼気迫る死の決意。ほどほどの長さに揃えたトラロープ。彼は一体どんな気持ちで切り揃え、どんな想いでリュックの隅へ綺麗に丸め込んだのだろうか。

憂いと疑問が沸々と湧き、居た堪れない気持ちになった。

ここには痛いくらい純度の高い孤独がPDFに詰め込まれている。誰にも探されず、誰にも求められない虚しさ。彼らは生まれてから死ぬまでの間、孤独が病となって蝕み、緩やかに存在は死につつあった。少なくとも死ぬ直前に関しては、完全に”名前を持った彼等”は死んでいた。そして、死して尚孤独に蝕まれる遺体への憐れみを感じると同時に、心の片隅で似たような孤独が疼き共鳴した。

それから、毎年気がつくと行旅死亡人を覗きに来るようになった。動機は線香を手向ける追悼の気持ちに近い。誰の記憶にも残らず消えることは恐ろしい。それは故人だって同じであったはずだ。彼等は私たちであり、私である。一人一人に決して短くは無い人生があり、愛し愛された瞬間があったはずだ。でも、”独り”が彼等を殺した。孤独から逃れようと死を選んだが、陰惨なことに、死しても”宛のない孤独”が付き纏っている。

私だけは見ようと思った。名前は分からずとも、想いを馳せることができる。顔を知らずとも、記憶することはできる。生きている間に偶然出会い目を合わせ、「こんにちは。」と挨拶を交わせたら違っただろうか。私がのうのうと幸せに暮らす間、誰かは苦しみに殺されている。罪悪感を紛らすための自己満足だ。只、知ってしまったからには目を逸らせなかった。見続けるしか無かった。無視できるほど強くないのだ。”伝われ”と強く願わずにはいられない。

「大丈夫、私が覚えているから。」と。


1人、特に印象的な女性がいる。

1本のトレッキングポール、女性物のリュック、ホルダーに入ったペッドボトル。リボンのついた黒の財布と、ミッフィーのタオルハンカチからそれなりに生活を楽しむ瞬間があったのだと感じられた。

衣類は雨風に晒されて傷んではいるものの着古したようには見えず、登山の用途に合わせて買い揃えたようだった。

彼女は1枚メモを持っていた。読みやすい女性の字で書いている。「自死です ご迷惑 かけます」と。


孤独は、人を無惨に殺す厄介な病である。合掌し、心で花を手向ける。

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