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「人の文章を直す」ということ

現在いる部署では自社HPを運営しており、その中で公開するブログを社員でコツコツ書いています。

内容は、地域のお店や場所を紹介するものから、普段の何気ない日常を綴ったものまで実に様々。

私も2か月前くらいから書き始め、スローペースですが、やっと10本ほど溜まってきたかというところです。

自分の書いている文章が「正しいのか」は、正直全くわかりません。

ただ、ありがたいことに、「読みやすい」とか「いいね」とか言ってもらえることがありました。

自分が伝えたいことを書いて、周りから褒めてもらえる。
学生の時にちょっと味わった、面映ゆいような気分になりました。

4月にこの仕事に就いたはいいものの、自分の役割はなんなのかわからず、もやもやしたものを胸に抱える日々。

今もまだもやもやは消えませんが、とにかく求められること、今は「文章を書くこと」に必死にしがみついて、存在意義を見出していくしかないかなと思い始めるようになりました。

そんな折、同じ部署の子の文章を読んで直してほしいとの指示が。

特に文章の勉強をしたことがない私にとって、人様の文章を直すという経験なんてない!

……わけではありません。

ただ、文章の質が全く違い、どちらかというと固い文章とでも言いましょうか。
型が決まっている文章について、「論理破綻がないか」「誤字脱字がないか」「言い切ってしまって本当にいいのか」といった観点から修正したことがあるくらいです。

ブログのような、気持ちの入った文章を直すことと、型のある文章を直すことは全く別物

そうわかっていたはずなのに、やってしまいました。

前職で修正していたように、Wordの校閲機能で修正し、なぜ直したか理由をコメントで示したファイルを送り戻す。

なんて配慮のかけらもない対応をしてしまったのでしょう。
しかも、対応の悪さを上司から指摘されてやっと気づくというひどい有様。

反省し、文章を書いた子にも謝り、顔を突き合わせて修正趣旨を丁寧に説明しました。

ファイルで戻したのは、自信をもって修正することができなかったことの現れかもしれません。

自分が施した修正に自信があれば、一つひとつ堂々と指摘すればよいだけですから。

これから、自分で文章を書きながら、他人の文章を直しながら、noteでいろんな人の文章を読みながら、少しずつ「書くこと」について学んでいこうと思います。

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