私が免許を持てない理由

幼稚園には定期券を持って1人で乗っていた。

時々こーちゃんという子もバス停に現れて、一緒に乗り合わせることもあった。 こーちゃんは落ち着きのない子で、私も子どもだったけども「そりが合わないな」と腹の中で思っていた。

幼稚園のすごくおっかないサナエ先生との一日がようやく終わり、やれやれとバスに乗り家に向った。

その日はこーちゃんも乗ってきた。同じバス停で止まるので、「ボタン俺押すから!押すなよ!」とすごんできた。

はいはいなんぼでもおせ。わたしは毎日押してる。どうぞ押せ。

せっかちこーちゃんはさっさとボタン押して

さささっと降りた。

私も降りて、バスがぶるん!と発車したとたんに

「キキキーーーッ!」


変な音がした。

バスの去った後、反対車線からきた軽トラックにこーちゃんははねられた。

倒れていた。頭から血が出てアスファルトも赤くなっていた。

声も出ない、動かない。

そうしたら、トラックの運転手さんはこーちゃんを抱きかかえ軽トラの荷台にこーちゃんを乗せて走り去った。

どこをどうやって帰ったか覚えていない。

家でもだんまりの私を見て母がしつこくどうしたのどうしたのと聞いてきた。

「こーちゃん車にぶっかって血が出ちゃった」と泣いた。

母は慌ててこーちゃんのお家に電話をかけた。わたしは少しそこからの記憶はない。

でも、次の記憶はこーちゃんが眠ってる病室だった。あたまに包帯を巻いて。

こーちゃんのお母さんは「うちの子が飛び出して…もう… 本当にかすり傷で…」

こーちゃんはわりとすぐ幼稚園にいつも通り現れた。

バスの車内アナウンス

こーちゃんは聞いてなかったのか、幼稚園の先生の注意も聞いてなかったのか。

車内でこういうアナウンスが流れていたよ

「あぶないよ、飛び出し危険バスのすぐ前すぐ後ろ」


バスを降りた直後バスの後ろから反対側に飛び出したら対向車もたまったものじゃない。  まさか!だもの。

完全にこーちゃんが悪かった。

でもほぼなんともなかったからいいけど、今考えるとちょっとおかしいなと笑ってしまうのが

軽トラの運転手さん、農作業用軽トラの荷台にそのまま農作物的にこーちゃんを乗せてどっか行ったこと。

慌ててるから仕方ないけど、なんだかふふふ、となる。

どこの誰かわからない幼稚園児を乗せて病院へ。

その事故の背景が見えなかったら人さらいみたいな ふふふ。

こーちゃんとはその後クラスは違っても高校まで一緒だった。 そして今では

親友だ。あの時の話をして盛り上がる。




わけない


そりが合わないなと思ったんだから。 かかわりもなく、卒業しても全くどうなったかわからない。


ただ、わたしの中に車を運転する事が怖いという記憶だけはしっかりと焼き付いている。 もしあんな事があったら、と思うと。絶対に車を運転することが出来ない。

だから、幼稚園時代に路線バスには生涯お世話になる。そう決めたのだ。



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