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報道者の、顔は見えない。

たび重なる交通事故の報道で、遺族取材について思うことを書いてみたところ、いろいろなご連絡をいただきました。

まずは読んでくださりありがとうございます。

そしていろんなコメントをいただくなかで、「現場にいる人がどう思っているか知る機会がない」「もっと声を聞きたい」というお声が多く、そして感じたことは、「視聴者は、報道されているものの周囲を想像することは難しい」ということでした。

こう書くと当たり前のことのような気がして、とても反省します。そりゃそうです。芸能会見でもなんでも、記者会見の映像で質問した記者が、どういう目的の誰の指示を受けて、取材したものを誰に渡し、それが電波に乗るまでにどういう流れがあるのか。収録なのか、生放送なのか。生放送ならばどこまで事前に取材構成が練られているのか……わかるわけがありません。

ひとつのニュースができるには、(媒体にもよりますが)、現場記者、編集者/ディレクター、デスク、編成、デザイナー、プロデューサー、経営者、レポーター……など、さまざまな立場のさまざまな人たちが関わっています。それは、なにかの製造販売会社が、営業、企画、調達、リサーチ、設計、広報、総務、経営陣などがそれぞれの立場から問題提起し、そのつど切磋琢磨しながらひとつのサービスを創り、販売しているのと似ています。

そして、それがどんな構造だろうと、サービス(ニュース)の受け手にとっては完成したものがすべてです。

サービスができるまでにどんな問題があって、どんな悩みがあって完成したものなのかは、当然ながら見えません。ずっと質の悪いサービスであり続けると、買い手は「あえてこの質の悪さで作ってるんだろうな」「むしろやりたくてやってるんだろう」と思います。その流れはよくわかります。

とくに報道は、完成したもの(ニュース)がセンセーショナルなもの、ショッキングなものほど、反発が大きくなります。

今回、「現場にいる人がどう思っているか知る機会がない」「もっと声を聞きたい」と連絡をいただき、あるカメラマンのことを思い出しました。

ケビン・カーターさん。ご存知でしょうか。

1994年に《ハゲワシと少女》という写真でピューリッツァー賞を受賞した人です。

 ▷Photo by NATIONAL GEOGRAPHIC

飢餓に苦しむスーダンで、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている(ように見える)一枚です。

この写真は大きな物議を醸しました。

1993年3月26日のThe New York Timesで写真が発表されると、絶賛だけでなく、「なぜ少女を助けなかったのか」と多くの批判も寄せられました。やがて騒動は大きくなり、『報道か人命か』という論争に発展します。

カーターさんはピュリツァー賞を受賞するなど大きく評価されましたが、増えない収入と、直後に取材中に友人を亡くしたこと、プレッシャー、これまで取材先で見てきた悲惨な光景などが重なり、鬱、ドラッグの増量などの末、遺書を残して自殺します。

ピュリツァー賞受賞後の、わずか2ヶ月後のことでした。

 

カーターさんは、写真や自分の報道が評価されたことをとても喜び、両親に手紙を書いています。同時に、『報道か人命か』についてはおそらく、非常に悩んでいたのでは、と思えます。

というのも2〜3枚ハゲワシと少女を撮影した後、カーターさんはハゲワシを追い払いました。少女が立ち上がり、国連の食糧配給センターの方へヨロけながら歩いていく様子を見て、カーターさんは木陰に行って泣きました。荒んだ気持ちになり、タバコをふかしながら、しばらく泣き続けた……と手記に残しています。彼の友人も「落ち込んでいた」と話しているとのこと。
《ハゲワシと少女》の写真からだけでは、その前後にそこでなにが起きているか、誰にもわからないのです。

そのような話はよく耳にしました。国内外のさまざまな場所で震災や事件や事故や紛争の取材をする方々に、多少とはいえお会いする中で、ときには発表されていない写真や映像を見せていただく機会もありました。

急いで写真を撮った直後に駆け寄った人。
どうしても撮影できず、カメラを床に放り出して手を差しのべた人。
「今ここで撮らなければこの現状を世に伝える人が誰もいなくなる」と、自分を奮い立たせてシャッターを押し続けた人。
記者として売れたくて取材を続けた結果、罪悪感に苛まれて心が潰れてしまった人。

いろんな話を聞きました。
直接知らなくても、いろんな方の手記も残っていますね。

日々、発表される現場取材のようす。その前後で、その裏で、なにが起きているかはニュースを見ているだけではわかりません。取材された当人にさえわからないこともあるでしょう。

取材をした人がそもそもどこまで知識があって、事前にちゃんと情報を手に入れていたのか。どうやって取材してどうやって形にしたのか。どういう立場の人がそれを編集し、さまざまな人の手に渡り、目に触れて、誰がそれに許可を出したのか。最後にテレビでニュースを読み上げる人は、どこまで現場を実感しているのか……。

しかも媒体によって状況はさまざまです。そうなると、視聴者や読者が想像することは、もう大変です。

 

だからこそ、発信側(メディア)と受信側(視聴者)は、よりお互いの顔が見えて声が聞こえるようになるといいなと思います。

メディアの中の人たちの顔が見え、声が聞ければ、視聴者にとって親近感が増し、自分ごととして捉えやすくなります。どういうつもりで発信しているかが想像しやすくなります。
しかし、特定の誰かのファンになってしまうと気持ちが入って客観的に情報が見えなくなるかもしれません。また、現在、実際に顔を見せて発信をしているメディア関係者に対して、顔をかくしてキツく誠実でない言葉を吐きかけ、疲弊させたり追いつめたりしていることもあります。

一方で、メディアの側からも視聴者の顔がもっと見えた方がいいです。映る人の人権が尊重されない街頭取材や、目にした人を傷つけるかもしれない表現は、いたるところで見られます。そしてそれに批判の声をあげても実際の報道に反映されないと感じている人も多いことでしょう(それが黙殺されたのか、メディア内で検討された結果なのかも、また見えないのですが……)。
しかしもっと視聴者の顔が見えて声が聞けたなら、寄せられた批判の声が「多数の騒ぎ」ではなく「どういった人のどれほど切実な思いなのか」を実感しやすくなるかもしれません。それに、人間を「国民△名、視聴者△名という数字でとらえずに、◯◯さん、××さん」という一人ひとりの人格・個人としてとらえられるのではないでしょうか。ただ反面、それほど丁寧に時間をかけると企業や経済としてまわらない、報道関係者ひとりひとりの生活ができなくなる、なんてこともあるかもしれません。

理想論かもしれません。
難しいかもしれません。

でも、顔が見えず声が聞こえないままで互いに押し通したら、ただでさえ大きくなったひずみがさらに溝を深くしていくような、そんな不安を感じています。というか、これまでの関係性では成り立たないことは、多くの人が感じているのではないでしょうか。

『インターネット元年』と言われてからもう24年。発信と受信の関係はゆっくりと変わり、世界と自分の距離も変化してきました。どうやったって、90年代や00年代の感覚ではいられないでしょう。流されるままでは、蓄積した不審はもっと不審をつのらせるばかりでは……という怖さがあるのです。
だからこそ、今の時代、ひとりひとりが発信できる手段を手にいれやすく、また会社というひとつの大きな組織に歳をとるまで守ってもらえるとも断言できない現代には、もうすこし、マスメディアとパーソナルの距離が近づいてもいいのではないでしょうか。

報道者の、顔は見えないのです。
視聴者の顔もまた、見えていないのでしょう。

先日のnoteに「現場にいる人がどう思っているか知る機会がない」「もっと声を聞きたい」といくつか連絡をいただけたことはありがたいことでした。
今のわたしは、数年前のように事件・事故のニュースや、報道と呼ばれるものの発信には関わっていません。けれども、仕事として発信側の立場ではあります。だからこそわたしも、もうすこし自分の話もしてみてもいいのかなと思いました。

今、メディアの創り手ではないいわゆる一般の方に取材をすることもあれば、メディア側の人に取材をする立場でもあります。ふと考えると、なんだか不思議な場所にいるのかもしれないなと思います。でもだからこそ、どちら側にも、歩み寄ろうとしている人がいることを知っているし、その存在を感じます。お互いがもっと良い関係が築けたら……

そのための具体的な答えは見えていません。それでも、なにかしらメディアとパーソナルを繋いだり、それぞれの顔が見えたり、はたまたまったく違う関係性を模索してみたり……そして、すこしでも良い社会になったらなという気持ちで、いま、筆をとっています。

 

 
(追記
先日のnoteを書いた後に、大津の事故のご遺族から取材を断るという旨の入ったコメントが出ました。こういうコメントは以前から出ますし、もしかしたらコメントが出しやすくなったりしているのかもしれません。
このように、辛い状況にある方や、日頃からメディアの前に出る生活をおくっていない方については、とくに、気を配る必要がありますし、もっとハッキリと共有の取材ルールを決めてもいいのではと思います。

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