見出し画像

生きて帰らなければならなかった特攻隊員

大阪の下町。お世話になっている町工場の社長さんとお昼を食べに行こうと、車で出かけていた。

会社のことや生い立ちなど、なにげない雑談をしていた時に、その方が「僕のおじさんは特攻隊だったんだ」と言った。「必ず生きて帰らなければならない特攻隊だった」と。

"カミカゼ"と呼ばれた特別特攻隊の乗る戦闘機「零戦(ゼロセン)」の積まれていたのは、片道だけの燃料だった。一度飛び立てば帰れない──片道切符の飛行機で、敵艦に突撃したのは有名な話だ。

20歳になるかならないかの青年達は、突撃する前夜に「明日はお前だ」と知らされ、翌日、命を落としていく。毎日毎日、見知った顔がいなくなる。

しかし突撃する一機の後ろには、いつもあと二機がいた。燃料満タンの彼らは、仲間の特攻を見届けると、Uターンをして基地に戻り報告をする。「見事、敵艦に突撃しました」と。

社長のおじさんは生きて終戦を迎え、家に帰ってきたと言う。だから社長は知っていた。当時のことを、見届け役の特攻隊本人から聞いたから。

仲間たちの死を見届ける。
それは、どんな気持ちだったろう。

そんな心の内に興味を持ってしまってもいいもかととっさに戸惑って、わたしは絶句して、なにも聞けなかった。

生きて帰らなければならない特攻隊。
散る仲間たちの背中を見届け続けるゼロ戦の青年。

"お国のために"と見送られ、"お国のために"と死ねなかった彼らは、「戦争が終わった」との知らせをどのような気持ちで聞いたのだろう。彼らの気持ちを思おうとするけれど。わたしの想像ではなにも届かなくて、ただ呆然としてしまう。

8月15日、今日は終戦の日。

・・・・・・・・・・・・・

そして特攻隊は。

ハワイのパールハーバー。
日本軍が奇襲攻撃を仕掛け、アメリカとの戦争も開始した真珠湾。

そこのアメリカ海軍基地内に、神風特攻隊の激突の跡が残る『戦艦ミズーリ』艦がある。

戦艦ミズーリは、アメリカで最後まで現役で活躍し、太平洋戦争での日本の降伏調印式場となった戦艦だ。

今は記念艦となっているその艦内には、神風「特別攻撃隊」についての展示がされている。

ここはアメリカだ。海軍の栄光を称えた場所だ。しかし、英語と日本語によるカミカゼに敬意を表した丁寧な展示に、わたしは脱力してなかなか足を進められなかった。

たくさんのラストレター(遺書)。

「日本男児として死んできます」
「戦闘機で敵を全部やっつけます」

「お父さんはきみたちの
 遊び相手をすることができません」
「お父さんの仇を討ってください」

アメリカも、日本も。
誰も死を望んでいない。
望んでいるのは、平和だ。

そんな思いと海軍内という複雑さのなか、私はひとつの手紙の前で立ち止まった。穴澤利夫少尉のラストレターの、その最後の部分。そこにだけ唯一、漏らしてしまった呟きのような人柄があった。

   *

(以下、引用)

今更何を言うか、と自分でも考えるが、ちょっぴり欲を言ってみたい

1.読みたい本
「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

2.観たい画 
ラファエル「聖母子像」 芳崖「悲母観音」

3.智恵子(婚約者) 
会いたい、話したい、無性に。

当時、23歳だった。

何度も、何度も、読み返してしまう。

↓ こちらは
婚約者の智恵子さんについての記事
http://nezu3344.com/blog-entry-1099.html

    *

耳を傾けて、知り、受け継いでいかなければならない。彼らの声を、彼らの息づかいを、繋がなければ……。そう思って背筋を正そうとするけれど。うまくいかなくていつも呆然としてしまう。

8月15日、今日は終戦の日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?