【取材記事】海外で暮らしてみたいという夢を叶えた女性のはなし
COOP留学を聞いたことがありますか?カナダで1年以上で生活しながら学び、働き、稼ぐプログラムです。
今回は、COOP留学でバンクーバーで生活しているMikiさんに話を聞かせてもらいました。
Mikiさんは学生時代、南米に留学した友人の影響で海外に興味を持ち、違う環境に飛び込めば「人の目をする自分」が変われるかもしれないと思っていました。大学時代に海外留学を願うも、コロナで断念。2年間の会社員生活を経て、2024年12月からカナダで念願の海外生活をスタートさせています。
そんな彼女の、いままでと、これからを伺いました。
時間は有限だと気づいた。身軽なうちに海外に住みたい
ーー12月からバンクーバーでCOOP留学をしているんですね。簡単な自己紹介をお願いできますか?
99年生まれ、中部地方で育ち、就職を機に上京して2年間ひとり暮らしをしていました。学生のころから海外で生活してみたいと思っていて、仕事を辞めて2023年の12月からバンクーバーで生活しています。
ーーなぜカナダで?ワーキングホリデーとは異なるのでしょうか?
COOP留学は、カナダにしかない制度です。学校に通って、専門知識を学んで、その知識をもとにアルバイトをしたり、インターンシップをしたり。学生時代からずっと、海外で生活してみたいと夢見ていたので、思い切って住むことにしました。
最初3ヶ月間は語学学校に通っていて、いまは週4日夕方から夜にかけて、マーケティングの授業を受けて、それ以外の日は飲食店で働いたり、友人と出かけたりしています。
ーーもともと海外に興味を持つきっかけはなんだったんですか?
高校のとき仲良くなった子が「航海士になりたい」って夢を教えてくれたんです。「もし夢が叶ったらたくさんの国を訪れるけど、海があることが前提。内陸国に行く機会はないから、ボリビアに行ってくる。」って1年間留学に行ったんです。(笑)
自分の好きなことが好き。と芯を持って生きる姿に憧れて、その影響で海外に目を向けるようになりました。ちなみにその子は夢を叶えて、今は航海士として働いています。
大学のころから留学や、ワーキングホリデーに興味があったんですが、大学3年のときにコロナが流行ってしまい、海外に行けないまま上京してITのシステム開発の企業に就職しました。
営業として働きながら、東京でひとり暮らしをしてみると、家族と離れて感じる有難さもあれば、20代の終わりが見えて来て、これからどう生きたいのか自問自答する日もありました。
ーー地元を離れて、慣れない新生活の中で夢を思い出させたのはなぜなんですか?
社会人2年目のときコロナが落ち着く一方で、少しずつ仕事に限界を感じていました。仕事を辞めたとして、次何をするか考えた時に、コロナで叶えられなかった「海外に行ってみたい」という夢を思い出して、今だと思ったんです。
ワーキングホリデーも考えましたが、働いても働かなくてもいい全てが自分次第のイメージで、挑戦したい仕事がなかったのと、考えすぎる性格から有効に時間を使える気がしなかったので、勉強しながら働けるCOOP留学に決めました。
コロナで止まった夢を動かすタイミングがいまだと思った
ーー学生のころにやり残したことを少しずつ叶えていってるんですね。マーケティングを学ぼうと思ったのはどうしてですか?
場所にこだわらず仕事ができるようになりたいと思ったんです。たとえば将来結婚してパートナーの転勤があっても、自分の収入を維持したままついていけるようになりたいと思って選びました。
ただやはり、海外で生活しながら学ぶのは簡単じゃないなと感じています。日本にいたころオンライン英会話をしていて、TOIECは800ちょっとありました。でも実際に来てみて、知ってるのと話せるのは大違いでした。
はじめはお店に入っても何を言ってるかわからなくて、雑談なんてもっと分からず、全然話せなかったんです。カレッジが求める英語力を得るために語学学校に通い、韓国人の子と仲良くなりましたが、同じ国同士で固まることが多く、韓国語中心の会話が増えて、寂しさを感じていました。
ただ幸運だったのは、仕事や住む場所がすんなり決まったことです。友人の中では何十件送っても面接にも行けないって子がいたんですが、わたしはネットで10件、手渡しで10件渡して、いまのお店に決まりました。
それと今は一軒家でシェアハウスに住んでいます。1階に男性陣、2階にわたしと日本人の女の子、週何回かは女性のオーナーが泊まりに来ています。
ちなみに1階とは完全に出入り口は別だし、行き来も禁止なので、どんな人が住んでいるのかも知りません。オーナーはよく作りすぎた料理を分けてくれて、気づけば小さな楽しみになっています。
ーーわたしも仕事探しがすごく大変なイメージがあったので、話を聞いて少し驚きました。今は語学学校を卒業して、飲食業とマーケティングの授業を受ける生活のようですが、その環境には慣れましたか?
そうですね。週4日夕方から9時ごろまで授業を受けていますが、いまの講義はすごく実践型で熱心な先生なので楽しく学べています。
通い始めたころ「地元企業のGoogleプロフィールを改善させるボランティアをしよう」って課題があったんです。たとえばそのお店がパン屋さんだったとして、Google mapで検索したときに、パンやそのお店の商品に適した用語や写真があるのかを確認して、改善を行いました。
いろんな飲食店にメールで手伝わせて欲しいと送り、日本食レストランでボランティアさせてもらえることになりました。InstagramやGoogleプロフィールの運用をすると、実際にお客さんの伸びがよくなったんです。ボランティアでしたが3ヶ月経ったある日、オーナーが謝礼を払うと言ってくれて、自分の勉強や挑戦が役に立ってすごく嬉しかったです。
少しずつ友だちができて、行きたい場所が増えて、バンクーバーが好きになった
ーー誰も知らない状態で来てみて約8ヶ月経ちましたが、ホームシックになることはありましたか?
精神的にしんどくなるほどのことは、なかったかもしれません。ふとしたときに、日本食や家族が恋しくなることはあるので、溜めすぎず月に何度か家族に連絡してひたすら話すようにしています。
0からのスタートでしたが、語学学校で韓国人の友だちができて、今通ってるマーケティングの学校で台湾人の親友ができたんです。その友だちや、友だちの恋人繋がりでどんどん輪が広がっていって、行きたい場所や叶えたいことがたくさんあって、どれから手をつけるか迷っているほど充実しています。
ーー生活費は飲食バイトで稼いだお金でやりくりされてるんですか?
基本的にはそうするよう心がけています。ただ、COOP留学は後期の有償インターン以外、普通のアルバイトは週20時間までと決められています。
時給17ドルで、20時間フルで入れてもらえたとしても1300〜1600ドルほど。繁忙期が終わり少しずつシフトが減らされていて、チップをいくらもらえるかが大事になってきました。
家賃が月800ドルで、食費や外食費も考えるとギリギリなのが現実です。その上たくさん旅行に行こうとしていて、日本のころの貯金も切り崩している状況です。
ずっと夢だった異国での生活。刺激に溢れた日々はどんな効果をもたらしたのか
ーー人の目を気にする自分を変えたいと思って来てみて、なにか変化はありましたか?
カナダで生活してから、前よりも自信を持って生きれるようになった気がします。関わる人たちは言葉も、考え方も、今までの背景も違って当たり前。そんな環境で、すてきな友人や仕事仲間に恵まれて、小さなことに感謝するようになったし、違いを認め合えることに喜びも感じるようになりました。
来てすぐは本当に全然スピーキングができなくて、恥ずかしさと悔しさに襲われる日がありました。仕事中に電話で指示されたことが聞き取れず、結局できてなくて迷惑をかけたこともあります。
その経験から、プライドや恥ずかしさは一回置いておいて、「分からない」と素直に伝えて聞き返すようにしました。友だちをたくさん作って、話しながら一緒に英語を勉強したり、Youtubeや英語学習アプリを使ってインプットを増やしたり。そんな繰り返しで今は生活するのに困らないレベルのスピーキングを身につけられています。
ーー成長スピードの速さを感じます。COOP期間も折り返しに近づいていますが、残りのカナダ生活や帰国後の仕事や生活で思い描くものはありますか?
2年間はバンクーバーで生きようと思ってとりあえず来てみたので、これからのことはあまり考えないようにしています。
20代のうちに結婚して、子どもを育てたいという夢があり、まだ見ぬ素敵な旦那さんに出会うには、魅力的な自分でいたいと思っています。そうなるためにはスキルを身につけて稼ぐ力が必要。まずはカナダにいるうちにGoogleやInstagramの運用件数を増やして、マーケティング業界でインターンをして向き不向きを知りたいし、オンラインの日本語教師にも挑戦してみたいです。
先を考えて不安になることもあります。でもいまは、頑張って築き上げたこの環境が好きで、自分で決めて生きてこれたことが嬉しくて、学生時代に憧れていた「異国で暮らす」という夢を叶えている今の自分を誇りに思っています。起こっていない不安に襲われる前に、今ある幸せを再認識して大切に過ごしていきたいです。
ーー編集後記ーー
私とMikiさんはコロナが来てすぐの頃、オンラインのコミュニティで出会いました。世界が一変して、自由な外出さえままならない日常が始まり、コミュニティ内でどんな社会人になりたいのか理想を語り合う日々。お互い「海外で生活したい」という夢を持っていたものの、まずは日本で社会人になる道を選びました。
住んでる場所も離れていたため、会えるのはごくたまに。他のメンバーも交えて「日常報告会」と称してオンラインで近況報告をしあう日々。そんなある日「仕事やめてカナダに行くことにした」とキラキラした目で話してくれた彼女の姿が今も印象に残っています。
「私たち海外にいるんだね。夢を叶えていってるんだね」海を眺めながら語り、過ごした、最新でオフラインの日常報告会。0から積み重ねて作り上げた居場所で、そして近い将来は日本で、彼女はどんな人生を歩んでいくのか。ひとりの友人として、これからも刺激を与え合える関係性でいたい。そう願ったインタビューになりました。
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