記憶にない祖父の話
最近わたしは自分のルーツを聞くことにハマっています。お肉を食べながら両親が若い頃の話を聞いて、今の自分はどうやって構成されているのかを考えてみました。(この下書きは日本にいた頃に書かれてた笑)
その根底にいるのは、記憶にない祖父の存在
祖父母は在日韓国人で、母が子どもの頃に帰化して日本姓になったそうです。
数年前、むかし住んでた家の宝探しに行ったとき、若い女性がチマチョゴリ?を着た白黒写真を発見。
それは10代で祖父と結婚した祖母の若いころの写真でした。
「なんでコスプレしてるん?」
「ばあとじいは韓国籍やったんやで」
ということは、日本生まれだけど母は韓国人?ということは、実はわたしはハーフなのか???
(一応)ハーフだと知っても、何かが変わるわけではない。韓国語も話せないし、周りの態度も、周りへの関わり方も変わらない。
強いて言えば、急に韓国が身近な存在になった気がした。
思考回路が似ている祖母とは、よく2人で出かけていた。共働きで、習い事や送り迎えはよく祖母がしてくれて、一緒に過ごす時間が長かった分、大阪人ならではの気質や、口調、最近は見た目も似てきた気がする。
おそらく、わたしという人間は、父の落ち着きのなさと、母方の祖母・叔母からの思考や価値観で形成されていて、母の血を感じることがあまりない。笑
そんな祖母とふたりでアフリカに行って、たくさん話して、自分のルーツを知りたくてインタビューや一緒に家系図も作った。
そんな中で、やっぱり頻繁に出てくるのが亡くなった祖父のはなし。祖母は50代の頃に、病気で夫を亡くしている。当時のわたしは確か3歳。
自分のルーツや、好きなことを思い出した時、祖母だけではなく、記憶にない祖父からの影響が多いことに気がついた。
わたしの3歳の誕生日の次の日に亡くなった祖父。
会社を経営して、収入は高かったけど都会にビルが建つくらいお金も使ってた。
どうやったらそうなるの?という話をいっぱい聞いた。
と笑う祖母と、
と話す母。
自分の誕生日の次の日は必ず法事。親戚みんな集まって祖父の話をする日。
「すごくあなたのことも大切にしてたよ」と聞くと、どんな人だったんだろう。と思いを寄せるようになり、少しでも祖父を感じたくてギターやカメラなど祖父の趣味をなぞるようになった。
◼︎ギター
◼︎サバイバルナイフ
◼︎カメラ
◼︎万年筆
ギターはネイルがしたくて諦めて
カメラはたくさん揃えたけど使いこなせてない笑
万年筆はどっぷりハマって気がつけば5本以上。
一度でいいから、大人になったいまの姿で、会ってみたいな。とふと思ったアメリカ時間の夜10時だった。
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