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仕事以外の私



きょう

今日は平和だった🕊️
新人教育をしながら引継資料を作って、業者さんと楽しく電話。2時間残業で終われた。

が、ふと思った。

何か仕事以外のことを書きたい!!!



何がある???


なにも思い浮かばない


最近なにをしてたっけ?頑張って思い出してみた


オペアをすると決めてから

アメリカでオペアをする。と決めたのは22年の年末のこと
さっそくエージェントに申し込んで、SNSアカウントを作って、ボランティア先の保育施設を探す日々が始まった

「条件付き合格です。0-1歳児 200時間以上 計300時間以上の保育経験を積んで、2通以上の推薦状を出してください」

ほ い く け い け ん 。 。

オペアとはベビーシッターのこと
保育経験は必須で、過去参加者も保育士や幼稚園の先生、看護師などが多い

15歳離れたいとこがいてその子に貢いだり、海外でのボランティア、高校生になっても近所の小学生と鬼ごっこをしてたわたし

親戚や友人の子どものお世話も経験時間に含めることができるが、推薦状は血縁者でないといけない


平日は7時前に出て21時に帰る生活

休みの日しか無理だ


保育園や幼稚園は土曜日しかない


🌱虐待する前に、助けを求められる社会を作りたい

🌱血のつながりが全てじゃない。家族を求める子どもたちに安心できる居場所を作りたい


そんな思いがあったことから、児童養護施設でボランティアをしたいと思った

1年限定のボランティア

👩🏻‍🦱「放課後の学習ボランティアしか受け入れていない」
👩🏻‍🦳「大学生の実習の時期と被るためフォローが難しい」
5か所断られて、2か所から来ていいよと言ってもらえた

そんなこんなで、23年1月にはじまった保育ボランティア
赤ちゃんがいる場所と、幼稚園児や小中学生がいるところの2か所での生活が始まった

土日祝 仕事がない日、インドアだった私の予定がボランティア、休息日、推し方 であふれかえった

子どもたちに受け入れてもらえるのかな

そんな不安をよそに迎えた初日
なにかに爆笑しながらバトミントンをしたり、推しのアイドルの名前を聞いたり、一緒にお昼を食べながら学校の話をきいた

道端で泣き出して抱っこする腕力もなく、どうしたらいいか分からず途方に暮れることもあった

【自分で決めたこと】

今日は休もうかなと何度思ったことか、、、
毎週7時に起きて眠い目をこすって、1時間かけて行く生活を1年続けた

気がついたらそこは第二の我が家になっていた

はじめはどこに行くにも子どもたち、わたし、そしてスタッフさんだったけど、少しずつ慣れて信頼を得たおかげか、近くの外出は任せてもらえるようになった

【この生活は3月まで】

迎えた最後の日

あいにくの天気だったけど、おままごとやLEGOをたのしんでいると、あっという間にお別れをいう時間になった

帰ったらあかんんんんんんん““““
いややあああああ

そう泣き叫んでくれた

1年だけでごめん

わたしの都合に巻き込んでごめん

「帰国したら遊びに来るから」

それしか言えない自分が情けなかった


ホームステイであり、働き先の家族を決めたのもこのボランティア先の影響だった

ホストファミリーの下の子の写真やオンライン越しに話した雰囲気が、ボランティア先の泣き叫んでくれた子に似ていた

ここならいける

なんとなくそう思った

今までは、「小学校5年生」「年中さん」と聞いても、(あ〜小さい子たちだなあ〜)くらいしか思わなかった

でも今、あの子達に近い歳の子の話を見聞きすると、その年齢の具体的なイメージがわくようになった

どうして続けられたのか

平日フルタイムで働き、休みのとき月の半分ボランティアだった

あの頃のスケジュール帳を見ると、よくこなせたなあと感心してる

なんで?

自分で決めたことだから

なにより

相手の顔が見える生活が、大変であり充実してたから

玄関開けて、「ももきたーーー」って叫ぶのを見るのが好きだった

必要とされてるのが嬉しかった

やっぱり人が好きだ

子どもと本気で関わりたい


タカラモノのような時間をありがとう。

帰国したら会いにゆきます

それまでいっぱい食べて元気に育って




また会おう




アメリカでの勤務のお父さんが、今朝動画を送ってきてくれた

英語で話す下の子が写っていた

Momo, I wan to learn ALL Japanese.

任せて😏
みっちり関西弁仕込んであげるから

ついに金曜日!!今日も頑張ろう

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