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友達の結婚式で感じた自分の船で進む感覚

今年の猛暑もやっと落ち着きそうというニュースが聞こえ始めた9月の終わり、10年以上の付き合いのある友人の結婚式に参列してきました。
挙式が18時から、披露宴が19時からというナイトウェディング。自宅そばの美容室で髪をセットしてもらい、東京湾が一望できる素敵なホテルに出かけました。

結婚式を振り返って、今わたしの中に、とてもたくさんの感情がごった返しているので、それらの感情をきちんと言葉に置き換えていくことで自分自身の整理をしたいと思います。

友人のこと

まず、わたしは新婦側のゲストとして参列したのですが、彼女とはわたしが高校1年生のとき、彼女が中学3年生のときに学外の課外プログラムで出会いました。
当時から彼女はとても頑張り屋さんで、気配り上手で、自尊心もある子なのですが、今の彼女もそんな長所をしっかり育てて大人になった素敵な女性です。

彼女の家にも何度も遊びに行ったのですが、両親もとてもフレンドリーで「娘の友人は皆、私たちの娘・息子」というような接し方。わたしにとっても彼女の両親は「信頼できる大人」としてとても心強い、もう一つの家族のような大切な存在でした。

わたしが高校3年生に上がる頃、わたしは当時付き合っていた人との関係にかなりの難ありで、精神的にも自分を見失い、身体的にも傷を負ってしまい、そんなわたしと両親の関係も破綻寸前だったのですが、そんなときもわたしを支えつつも「しっかりしなさい」と叱ってくれたのは、彼女のママでした。
あのときの自分はとてもじゃないけれど、自分の足で立つどころかそれまで17年間築いてきた自分というものが崩れ落ちて粉々になっていたので、そんなわたしの粉をかき集めて、もう一度自分を作り直すきっかけを与えてくれた一人が彼女のママなのです。本当に心から感謝しています。

ですが、それと同じ頃、わたしは彼女のお父さんから一方的なわいせつ行為を受けてしまいました。せっかくわたしの粉をママが集めてくれたのだけれど、その出来事でわたしの粉がまた散乱。それまでの彼女との交友関係、家族ぐるみの付き合い、彼女のママへの慕頼、いろんなものが綻んでしまいました。

彼女のお父さんは昨年亡くなり、結婚式にその姿はなかったものの、ゲストとして参列していた方のほとんどが、彼女の両親とも親しくしていたこともあり、式中は「お父さん、パパ」の言葉が幾度となく聞こえました。

彼女のお父さんとわたしの出来事は、式の参列者で知る人は誰もいません。

みんなとは違う船に乗っていると思おうと思ったこと

彼女も彼女の旦那さんもとてもバイタリティーのある性格なので、来賓の仕事関係の方、大学時代の先輩、友人たち、みんな比較的問題意識を持ち、物事、自分自身をより良くしていこうという意識を持ち合わせた「前進あるのみ党」所属の方が多いように感じました。
だからこそ、披露宴自体もとても賑やかで「みんなで式をより良いものにしよう」というチームワークのようなものを皆本当に無意識的に、ある種本能のように感じ、それを実行していたように思います。

一方でわたしは、どちらかというと誰かのサポート役だったり、目立たなくても良いので、目の前にいる誰かや物事に向き合うタイプ。物事の全体を見て、改善点を見つけて変えていこうというようなことはあまりしませんで、いつも同じところに留まっているように思います。それに加え変化とか新しいことが苦手ときます。
在学時代にお世話になったゼミの教授に「あなたはその場で足踏みをしているように見えるけれど、少しずつ前に進んでいるから大丈夫です」と励まされたことがあるのですが、「足踏み」というのがすごくしっくり来たのを今でもはっきり覚えています。

披露宴が始まって数分で、わたしは目の奥がずーんとしてきて、肩にボーリング玉が乗っているような、そんな感覚に陥りました。一言で言うと既に疲れが出てきたということに過ぎないのですが、その披露宴はまるで「前進あるのみ党」の皆さんが「思い出に残る結婚式にする」という島に向かって船をこぎ出しているように思えたのです。で、わたしもその船に乗っていた。それがかなりしんどかったのです。

それに気づいたとき、わたしはこの船から降りようと下船を決意しました。もちろんわたしもわたしなりに「思い出に残る結婚式にしたい」とは思ってはいるけれど、皆が乗っている船の環境がどうしても自分に合わない。それなら無理して一緒に乗船するのでも、ギブアップして浜辺に戻してもらうのでもなく、わたしはわたしの船で「思い出に残る結婚式にする」という島に向かえばいいのだと思い直した、という感覚です。

そうすると、これがかなり楽。皆が乗っている豪華客船の方を横で眺めつつつ、たまにこちらに手を振ってくれる皆さんにも笑顔で手を振り返し、わたしはわたしに合った速度の船で前に進むのです。

結婚式の開式から披露宴のお開きまで、約4時間半に渡る「思い出に残る結婚式にする島」への船旅でしたが、これは他の食事会やイベント事に関しても同じように考えられるのかな、と考えています。

でも披露宴みたいに大人数な会であれば、極端な話、会全体としての自分の存在感はおのずと小さくなるので、そこまで気兼ねなく自分用の救命ボートをちゃぽんと横に浮かべて併走できるけれど、少人数の会だったら?

より一層、一体感みたいなものを少人数で確立させることが求められる場だと「空気を読む」事態が発生しがちだなと思います。すると、冷静になったらそんなこと全く思っていないような発言をしてしまったり、自虐ネタを盛り込んでしまったりする。それで後で一人になったときに「なんであんなこと言っちゃったんだろう」と自分のことが嫌になってしまったり。

わたしは物事に対する自分の考えをすぐに言葉にして発言することが得意でないからこそ、そういう少人数の場ですぐに回答を求められたり、その場の雰囲気を盛り上げないとと思ってしまったりすると、突拍子もない思ってもいないような発言をしてしまいがちなところがあります。
なのでまだまだ訓練が必要だけれど、どんな場にいようとも、どんな大きさの船に乗船しようとも、自分には自分にとって居心地が良い船の中の環境があるということをなるべく意識して、今もある、そして今後も出てくるであろうコミュニティの中に身を置くようにしたいと思いました。

ものすごく親しいわけではないけれど久しぶりに会う友人が集まる会、仕事でお付き合いがある人達との会、色々な種類の色々な緊張感のある会があるけれど、その場が盛り上がる、盛り上がらないは自分一人に課せられていることじゃない。
別にみんなが喜ぶ、その場が楽しい雰囲気になる発言をするのだけが良いわけでもない。
自分の速度で、自分の温度感で、自分が思うことを言えば良い。それを良しとしないようなコミュニティなのであれば、できる限りその場限りにする。仮に良しとされないことを言われたり、態度をとられたとしたら、それについて考えることで自分の考え方や感じ方の幅を広げることに繋がれば良いけれど、そういう人たちにもフィットするように自分を拡張することはそんなに必要ない。しょうがないんだと思います。

浜辺に残っていたわたしの一部

披露宴の話に戻りますが、わたしはわたしの船に乗り換えて自分のペースで披露宴に参加していたのですが、どこかやはり気持ちの片隅に黒い影が消えないのは、豪華客船に乗船したときからわたしの一部が船に乗り込んでいなかったからなのだと思います。

彼女のお父さんとの出来事を引きづっている自分は、お祝いムード一色の中にどうしても身を置けなかった。わたしは心から真正面に彼女や彼女のママ、友人たちと向き合うことができないのです。

披露宴で数年ぶりに彼女のママに会い「ママ、おめでとう。彼女、本当に綺麗だね。わたしも幸せになったよ。ちゃんと報告に行きたかったんだけれど、色々あって会いに行けなくて、本当にごめんなさい」と伝えました。ママは涙を滲ませながら抱きしめてくれて、よかった、よかったと言ってくれました。
ママを目の前にしたとき、そのときだけは浜辺に残されたわたしもママに向き合っていたと、今振り返るとそう思います。
わたしの中にある、お祝いの気持ち、うれしい気持ち、彼女のお父さんへの怒り、全てを打ち明けたいという葛藤、そもそもわたしが全て悪いのではと自分を蔑む気持ち、彼女や彼女のママへの感謝の気持ち。
全部がそのとき一緒になって、それを自覚して、彼女のママと話ができたことは、これからのわたしにとって意味のあることだったと思います。


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