肉屋のお肉騒動
「ビールを飲んでみたいんだぁ。」
という義母の言葉を受けたのは同居2日目。つまり、義父入院翌日のことである。
何でも、医師から1日上限100ccまでなら、と、飲酒の許可を得ているのだと言う。
「でも、飲み過ぎちゃうと透析の時がきついじゃない?先生が言うより少なめ、50ccくらいで、ねっ?」
計量カップで50cc計ったビールを、小さいグラスに移して手渡す。
何ヶ月かぶりのお酒を義母はとても喜び、味わいながら飲んだ。
その翌日、土曜日、透析後。夫は仕事で不在だった。
その日の昼食は、義母の提案でファストフードのハンバーガーの宅配を頼むことになった。
「おかあさんの奢りよ!あんちゃん、遠慮なく好きな物頼んで!内孫君は何が好きかな?ね、全部頼んじゃって!
おかあさんはコレが良い!トマトの入ってるやつ!トマト、大好きなの!」
と無邪気に笑う義母に心も表情もほぐれた。
ポテトにがっつく息子を2人で温かく見守りながらハンバーガーを頬張ったあの時。
あの時、義母が大好きだと、この同居は上手くいくと、思ったことを、はっきり覚えている。
透析患者の義母に何故トマトやビールを与えているのか?理由はこちらに記載している通りだ。
参照note…私は何を間違えたのか?
https://note.com/momo_anne_s/n/n2c4c86809bf3
そして義母の入院である。
参照note…義母の発熱と咲子の助言。
https://note.com/momo_anne_s/n/n9bd37a2566f8
そして2022年6月上旬。
義母の退院日は義父の退院の2日後だった。
退院する義母を共に迎えたいということで、その間義父は我が家に宿泊した。
退院のお祝いは、すき焼きとホールケーキ。
お祝いと言えばすき焼きとケーキというのが義実家の習わしなのだそうだ。
ケーキは、ガーデニングが趣味な義母が喜びそうな、ピンク色のホイップクリームが花に見えるように絞ってあるものを注文していた。
その声掛けに私が部屋に行った時、何だか義母の表情が険しいことに気付いた。
夕飯の少し前まで、突然、義姉(長女)が家族総出で訪ねてきていたから疲れているのだろうと考えた。
「おかあさん退院のお祝いを言いたくて!」
と。お陰で荷解きも手付かずだし、夕飯は想定より1時間も遅れている。
お腹も空いていることだろう。そもそも体調が万全では無いのだ。
「あらぁ?なーんだ。お肉屋さんのお肉じゃないのねぇ。」
顔をしかめる義母は、心底がっかりしたというような口ぶりだった。夫は困惑しつつも頭を下げた。
「すまんね。姉ちゃん達も来てたし、肉屋まで買いに行く時間がなくて。母ちゃん、ビールも買ってあるよ、飲む?」
「おかあさんは病気なのよ?ビールなんて飲める訳ないでしょう。」
蔑むような口調だった。義母は肉を一切れ程しか口にしなかった。
『お父さん退院おめでとう』『お母さん退院おめでとう』の文字が記されているクッキープレートが乗った花のケーキに至ってはろくに目も向けなかった。
「みんなで全部食べて。
おかあさんのこんな体じゃあ、大きなケーキなんて食べられないのよ。」
スーパーで一番上等な国産牛を使ったすき焼きは、肉屋のお肉程ではなくても、とても美味しいものだったと思う。
しかしこのお祝いの席は常に緊張の糸が張り詰めており、同席した私の感想としては、何の味もしなかった。
それ以降、義母の主張には全く一貫性がなかった。
レタスのサラダが食べたいと言った直後に、生野菜はダメ、野菜は全て茹でこぼした後水にさらすように、と言う。
生パセリを口に運びながら。
ポトフを作って出した所たいへん喜んで下さり、スープも全部飲み干した。
かと思えば、器に盛り付けた果物の缶詰を見るなり眉間に皺を寄せこう吐き捨てる。
「おかあさんの体にはね?水分取りすぎは良くないのよ。汁、捨ててきてくれる?」
梅干しは体に良いのだと言っていっぺんに5つも食べたり
六枚切りパンの上にカットバナナ1本分ハムと1枚とマヨネーズ乗せたトーストを所望したり…挙げていたらキリがない。
入院前の義母とはまるで別の人間のようだった。
一連の義母の言動の根底にある物は何だろうか?
この時期の私は、病気と、それによる苦痛がそうさせるのだと。
原因は病気起因のみだと考えた。
私の知っている義母はいつも優しくて明るい人だった。
夫と義姉達が知っている義母も。
そんな義母を歪めてしまう、病とは恐ろしいものだ。
唯一、義父に対しては辛辣だ…それは義母に限らずだが。
障がいのある方を見かければ大声で差別用語を発したり、失敗した人を見て腹を抱えて笑ったりする
そんな義父の言動を考えれば、辛く当たるのも仕方ないと言える。
要はきちんとしていれば問題ない。
病気のせいで食べたい欲求のコントロールも難しいのだろう。
やはり食事はきちんと管理すべきなのだ。
そう結論づけた私は透析クリニックの栄養士に相談し、注意が必要な食材、調理法を印刷したものを二部頂き、一部は義母に渡し、もう一部はキッチンで管理した。
「栄養士さんが言うんだから間違いないです!私におかあさんの体がきつくないご飯を準備させて下さいね!」
これには義母も何も言えなかった。
毎日、徹底した透析患者向けの献立を出し続けた…続けようとした。
これを徹底するのは難しかった。
大量の差し入れを持ってくる複数の存在が…義姉2人と、義父と、親族達が、いたからだ。
差し入れの度に義母をなだめ、時になだめきれず、それが壮大な争いの引き金になったりした。
本当は分かっていた。
『肉屋のお肉騒動』の時を始めとする義母の言動が、ただただ芯から優しくて明るいだけの人間には絶対にできないものだ、ということを。
もちろん病気のせいもある。慣れない環境のせいもあるだろう。
しかし義母の放つあの威圧感は…熟練した経験に基づくものだった。
そうでなければ私も夫も、あんなに振り回されることはなかったはずだ。
義母の言動の『根底』にある物は本当に病気だけなのだろうか?
『余命半年から一年』という義母の病状を慮り、私は気付きを胸の奥に仕舞い込んで暮らした。