ヒトの武器って、なーんだ?

こんにちは。ももです。
クリックありがとうございます。
ちょっと長い記事です、ごめんなさい。


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この星…地球に生きている全ての生き物について、わたしは考えることがあります。それは「皆それぞれ、どう進化してきたんだろう?」ということです。

打ち明けた話、わたしはちょっとスピリチュアル入っているので「皆が神様から貰ったものはなんだろう?」というような言葉で考えています。ちなみにスピリチュアルは入ってますけど盲信したりはしてないし、なんなら宗教にはあまり良くない思い出があるので、わたし自身は好きではありません(他人がどうするかは勿論自由だと思っています)。特に一神教は好みではありません。ああ、アニミズムはなかなか好きです。宗教についてはまたいつか書きます。


話を戻します。


皆さんは、たとえばライオンは何を貰った(どう進化した)と思いますか?わたしは、彼らは強靭な肉体や群れを成すというアイディアなど、そういうものを貰ったのかなと思っています。
では、クジラはどうでしょうか?水の中で生きられる能力…仲間とコミュニケーションを取る力…圧倒的な巨体、それを維持していく知恵。。
じゃあ、わたしの大好きなネコは?僅かな量の光でモノを見ることができる能力、体長の約5倍の高さに届く跳躍力、素早い獲物を仕留める狩りの力、高所から落ちても無事に着地できる身体構造。そして、人間(わたし)を魅了してやまない美しく可愛い容姿…ッ!!

……すみません興奮しました。

こ、このように生き物は皆それぞれ何かしら光るものを持って生きていると、わたしなんかは思うわけですね。肉食動物ならツメとかキバとか…、捕食される側なら分厚い皮膚や仲間とのチームワーク…、鳥や昆虫、お魚などの水生生物や、植物もまた然りです。


それでは、わたし達「ヒト」は
何を授かったと思いますか?


わたしはズバリ、この頭の中身…
「脳」だと思っています。


それは「知性」と言い換えてもいいかもしれませんし、あるいは「考える力」…などとも言えるかもしれません。ツメもキバも、翼も貰わなかったわたし達の唯一にして最高級の武器…それが「脳」だとわたしは考えます。


ただこの「脳」というものが、また良し悪しなんですよね。聡明な皆さんには、わたしが何を言いたくてこれを書いているかもうおわかりかと存じますが、「脳」というのは、

ある時は、「人間にとって最高・最強の持ち物」であり
ある時は、「人間には過ぎたおもちゃ」であるということです。

わたしは、人間を含む全ての生命および事象は「多面体」だと考えています。つまり全ての物事は複数の意味や側面を持つという考えです。
わたしが思う「脳」も同じ。プラスの側面とマイナスの側面があるというわけです。

プラスの側面といえば、そりゃあもう、今日までのわたし達 人間の発展には脳が必要不可欠だったと言って過言ではないでしょう。人間社会における何もかもが、ヒトが考え、それを実現してきたからこそ生まれました。脳がわたし達にもたらした恩恵は、この人間社会まるごととも言えるかもしれません。

しかし前述の通り、プラスの側面があるのと同様にマイナスの側面もあります。人間が脳を自らの支配下におけていない時があるということです。これについては、人間の心や精神(形の無いもの)と深く結び付いているとわたしは考えるので、手短にするのが難しいです。結局のところ「心(精神)とは何ぞや?本当に在るの?」という話になってしまいます。

結論から言うと、心や精神というものは脳が作り出した「形を持たない存在」だとわたしは思っています。そして心や精神と脳は結び付きが強く、相互に影響し合います。

たとえば、あなたが人間関係で何か嫌な思いをしたとします。すると心で「嫌だなあ」と感じ、頭(脳)で「なぜ自分はこんな目にあわなきゃならなかったんだろう…」「自分の日頃の行いが悪かっただろうか」「いいや、あいつの言動が悪いんだ、自分は悪くない!」などなどと考え始めるわけです。(話が逸れますが、この例は人間の防衛本能に繋がっているものだとわたしは思います。)

この「心で感じて」「脳で考える」流れについて深堀りします。
前者(心で感じる)は、物事に対する『反応』なので、わたし達にとってコントロールが容易ではありません。何かを食べて、甘いとか苦いとか、美味しい(快)とか不味い(不快)とかを瞬時に感じるってことと同じです。それを感じないようにすることはほぼ不可能ですよね。
後者(脳で考える)は、心で感じたことに対しての『行動』のひとつなので、わたし達自身でそれをするかどうかを選べます。

例の話に戻ると、つまり、起きた事象(人間関係で嫌な思いをした)に対して「嫌だなあと思うこと」は避けられないことですが、それを受けてあなたが「どう考え、何をするか」は、あなたが選べるということです。

ところが、少なくとも現代人の多くは、「どう考え、何をするか」の点に難を抱えている人が多いという印象を受けます。わたしもその一人で、何かネガティブな事象が起きた時、自分に責任があると思って自分を責めたり、あるいは、本人の前ではなくとも誰か何かのせいにして(他責思考)SNSの鍵垢に愚痴を書いたり…。

本来は、わたし達自身で、良いようにも悪いようにも捉えられることですが、どうもその辺の舵の取りかたが結果自分の首を絞めるような人々が増えてきている…そんな印象があります。

話が長くなりましたが、こういう観点から見ると脳は人間が「手に余らせている」「過ぎた道具」なのかなあ、などとわたしは思うわけです。


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どんなことに対しても「気の持ちよう」「心の在りよう」「考え方次第」とか、そんな風におっしゃるかたがいて、それはそうかもしれません。ですが、それが最初から上手くいっていたら、誰も何も悩んでいない…とも思います。

この人間社会の疲れ切って病んでいる部分もまた、脳が作り出しているとわたしは考えている、ということですね。

いい加減 冗長なのでこの辺で失礼いたします。回りくどく長くなってしまって申し訳ないです。読んでくださったかた、本当に感謝です、そしてお疲れさまでした。

ありがとうございました!

20240511

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