放っておいたって死ぬよ。
タイトルの通りです。
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すごーく自分勝手な意見なのは解ってます。そしてわたし、ちょっと怒ってます(笑)。そしてこれはわたしの勝手な随想でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなく、また、どなたか他人に押し付けようというものでもありません。
これを読んだら誰かが不快になるかも。そんなことは解っています、そしてそれがわたしの「書く自由」とは一切関係が無いことも。
皆さんには読むかどうか決める「読む自由」があります。つまり「読まない自由」もあるということ。わたしはここに但し書きをしましたので、怒りの感情に任せていちゃもんつけてくるようなことはお慎みを。。お願いいたしますね🥹🙏
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タイトルバック!
放っておいたって死ぬ!!
死にたい人!
ハイ!わたしもかってはそうでした!
そんな過去の死にたいわたしへ。
はっきり言いますが小賢しいです!
ニンゲン風情が、生まれてくる意味だの、生きる価値だの、ごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃ、うだうだグチグチ、うるせーです!
黙ってたって死にますよ!ええ、わたし達は生まれてくる時に「寿命」という、それはもう有り難〜〜〜い時間制限も授かっていますからね。
安心してください、
毎日を怠惰に生きても
毎日を一所懸命に生きても
善人も、悪人も、
みーーーんな等しく死にますよ。
生死の前にはみんな平等!
こんなに安心できる事実が他にありますか?
この世でどんな人生を生きようが関係ない。
命あるものは、全員もれなく死にます。
死にたい人みんなに言えそうなこととしては、
決断を急ぎ過ぎ!ってこと。
だって生きてたら絶対死ぬんだよ?別に自分から死にに行かなくても、絶対に死ぬんだよ。死は全ての生き物に確約されてる。自分で幕を閉じずとも。旅は必ず終わる。すっごい安心しない?この世に独りぼっち、置いていかれることはないんだよ。
あなたに酷いこと言ったアイツも。
誰かに迷惑かけたあの日のあなたも。
しょーもないnote書いてるわたしも。
全員、そのうち死にます。
ほら安心!(^ω^)
どうせ放っておいたって死ぬんだからさ、
ゴミみたいな1日を生き続けたっていいんだよ。
そうはいっても「今すぐ死にたい!!」っていうせっかちさんもいらっしゃるでしょうね。誰かの命はその誰かのものなので、わたしにはその命をどうこうしろと言う権利も無いですし、わたしは自殺を止めようとかは思いません。できるだけ、自殺してほしくないけど。それを他人に押し付けようなんてことは、思いません。
わたしも、死にたい人に死ぬなって言いたい人間というわけでもないんです。わたしも昔は死にたかったのです。この歳になってなんとなく思いますが、死にたい人から「死」(という最後の逃げ道)を無理矢理に取り上げて奪うことは、酷なことです。もしかしたらそれがその人の「表現方法」である場合もありますし。
それから、死にたいとまで追い詰められてる人は、ストレスや病気のせいで視野が狭くなり過ぎていて、もう「死しか見えない」「死しか考えられない」状態の人も多いと思うんですよね。これわたし経験したのですが、この場合ってなかなか難しいんですよね。
あと「生きていたくないから、死にたい」って人もいて、わたしもこの気持ちも経験しましたけど、これも難しいですね。
それから、「(幻聴などから)死ねと言われていて、死にたい」というのもあって、わたしは主にこれを経験したのですが、これも難しいんですよ。幻聴の言うことはとっても説得力があって、且つ自分より強い者の言葉(命令)という認識があるので、逆らうのが非常に困難なんですね。
難しい難しいって、何が難しいのかは書くと長くなりそうです。わたしが疲れそうなので今回は書かないことにします。笑
話があちこち行ってごめんなさいね。
つまりはタイトルの通り、
勝手に死ぬんだからそんな死に急がなくても大丈夫だよ〜。なーーーんの意味も価値も無い毎日を無駄に過ごしてもいいんだよ〜。たとえゴミカスみたいなあなたでも、あなたが存在するっていう事実が、あなたが生まれてからこれまで祝福され続けてきた証拠なんだよ〜。
ってことが言いたかったのですが。真剣な余り少し怒りが入ってしまいました。。不快だったかたには、ごめんなさい。
わたしの高校の時の同級生の女の子。
もう一人といつも3人で。仲良くしてもらってました。彼女も自殺でこの世を去りました。30歳でした。若すぎる。
いつかわたしが死んで彼女に会ったら言いたいことは山ほどあるのに、あると思うのに、なんて言おうか、開口一番、やっぱりインパクトのあること言ったほうがいいかな、それとも優しい言葉のほうがいい?そんなことを考えているだけで、今も、涙だけ溢れて止まらないのです。
「誰かが悲しむからやめてくれ」とか「生きていたら必ずいいことあるから」とか「気の迷いだよ」「気の持ちようだよ」とか「生きていれば幸せになれるから」とか「逃げるな」とか「あなたのためを思って言ってるんだよ」とか「自殺なんかしたらご先祖様に会わせる顔が無いだろう」とか「親不孝者!」とか「生きているって奇跡なんだよ」とか「世界にはもっと不幸な人がいるよ」とか「昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった今日がどうたらこうたら」とか。
「放っておいたって死ぬよ」とか。
人は自分勝手に言いますよね。
ごめんなさい。
死んでもいいんじゃないですか。
そんなに死にたいならさ。
そんなに生きていることがつらいならさ。
でも、もしかしてやっぱり
「生きる」を選んでくれるなら
この世界はあなたのために、
明日もここにあるよ。
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最後に。
この記事を書いた人(わたし)には、生涯をかけて守りたい約束が、たった一つだけあります。それは、「死ぬまで、生きること」です。
わたしは9匹の猫と暮らしたことがありますが、その中で初めて亡くなったコの最期を見た時に心に決めた、わたし自身との約束です。
彼はとても賢く、元気で、よく食べるコでした。病気をして、ガリガリに痩せ細り、最期は水も飲めなくなって、亡くなりました。わたしは当時16歳かそこらでした。初めての、同居していた家族との死別。わたしは改めて命の有り難みを知り、それを教えてくれた彼にありがとうを伝えたい、そのためには、わたしは往生して、胸を張って彼に会いに行こう。そう思ったのでした。
当時わたしはもうアームカットをして、死にたい死にたいと思っていましたし、幻聴にも早く死ね、このゴミカス、お前なんか生きてたってなんの価値も無い、クズだ、生にしがみついて浅ましい、人様に迷惑がかかるだけ、生まれてきた罪を死を以て償え、今すぐだ、わかったら早く死ね、と毎秒毎秒言われていました。
それでも彼の生き様、死に様を目の当たりにして、彼に恥ずかしくない自分で、また彼に会いたい、そう思ったのです。
わたしは彼に―――こういう「キッカケ」に―――たまたま巡り会えた、幸運な人間です。だからこそ、これを大切にしなくてはいけないんだと思いました。だからわたしの人生の目標の一つは「死ぬまで生きる」ことです。この星が生まれて、脈々と受け継がれて、悠久の時を超えこの手に流れてきた水滴の一粒なような この命、何があっても自分から投げ捨てるものかと心に決めたのです。わたしは運良く、自分とのその約束を守り続けることができています。そして、これからも守り続けていきます。わたしだけの寿命が来るまで。
いい加減に書くのをやめますね。
ありがとうございました。
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