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  • おはようとおやすみのまんなかが今。

    今日も明日も明後日も。 おはようからおやすみまでの時間をいきる。 広告業界の片隅で呼吸をするしがない個人の 笑って泣いてもがく日々、頭のなか。

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今を変えたかったアラサー女が、キャリコン資格の勉強を通じて「自分の価値」に気づいた話。

昨年7月からはじまり、約9カ月。 私はキャリアコンサルタントの資格をとるべく 仕事のかたわら、学校に通い、講座を受講し そこで得たツテで勉強会に参加していた。 ――受講動機は単純。 「今を変えたかった」からだ。 ―――――― ★仕事 二十歳で夢を見て出版業界へ飛び込むが、 布団で眠ることすら許されない過酷な現実から逃亡。 その後、夢を捨てきれずライターになるも、 後輩の驚異的な才能に心折れ、後輩の育成に注力。 営アシ兼進行管理・ライターとして細々と働く。 ★恋愛 8年付

    • 藤原基央は、星でも神でもない。

      わかっている。 彼は、1億以上の人が生きるこの日本で 唄を生業にしてきたというだけの ちいさな個人であることを。 まあ街頭アンケートで 「この人知ってます?」投票をしたら 10代~30代くらいの音楽大好き人間には 「藤原基央!」「藤くん!」と叫ばれる 知名度をお持ちだとは思うけれど 全国民の誰もが知っている有名人ではない。 うまく喋れないことを音に込めようとするし、 仲間と音を鳴らすことを楽しんでいるし、 なんかうまく言えないけれど 私は彼が「人間」であることを知っている

      • 藤原基央を神と崇めた女の話。

         15歳の私にとって、藤原基央は神だった。  藤原基央はBUMP OF CHICKENというバンドのボーカルだ。いつも基本的に彼の眼は前髪でかくれていて、表情はよく見えない。ちょっと心配になるくらいに細くて、黒いスキニーがよく似あう。一時期はバンドマンといえば藤原基央の量産型といえるくらい、彼は多くのバンドマンのあこがれの的だったし、こぞって彼の真似をした。  私も彼にあこがれていた多くのうちの一人だった。今も言われることだけれど、BUMP OF CHICHENの歌はとにかく

        • 19時過ぎ、上司の電話に気をつけろ。

          定時をすこしすぎた頃、上司からの着信。 ももかさんはもう帰りました、って言ってほしかったな。うっかり取り次がれちゃったな。 「社長がももかさんと飲みたいって!」 ああ、やっぱり。 私の口をついたのは 「あーごめんなさい、仕事終わらなくて。また次の機会に…」 定型文と化した、なめらかな嘘。 ああ、これで何度目でしょう。 次こそは。次、こそは。その次、こそは。 いつからこんなにも自然に嘘がつけるようになってしまったのか。それが大人になるということなのか。 初めて嘘をついた

        今を変えたかったアラサー女が、キャリコン資格の勉強を通じて「自分の価値」に気づいた話。

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        • おはようとおやすみのまんなかが今。
          4本

        記事

          深夜2時、夢を殺した。

          5歳の私は、たしかスチュワーデスになりたかった。 なんでなりたかったのかは、ちっとも覚えていない。空を飛びたかったのか?遠くに行きたかったのか? でも間違いなく言えることが、ひとつだけある。 あの時の私は何者にでもなれると思っていた。 絵を描けば賞を取れた。走るのも速かった。周りの子より、難しい文字を知っていた。 望みさえすれば、自分は何だってできると、根拠もなく信じていた。 ーー小学校3年生のとき、親が離婚をした。 しあわせな家庭だと思っていたものが、見せかけだったと知

          深夜2時、夢を殺した。

          さようなら、を告げる練習。

          お世話になった山内さん(仮名)が、退職する。しかも、会社都合による左遷を断った、という理由だ。山内さんとの思い出を振り返っていたら、なんだかとても心が苦しくなってきたので、本人にさようならを告げる前に、その練習をしようと思う。 私が入社したのは、およそ3年前。期待と不安を胸にいっぱい詰め込みながら、会社のドアを開けた日のことを今でも覚えている。「今日からお世話になります」と挨拶をして、鞄から真新しいペンケースとまっさらなノートを取り出す。これから沢山の知識や技術を頭と身体に

          さようなら、を告げる練習。