藤原基央を神と崇めた女の話。

 15歳の私にとって、藤原基央は神だった。
 藤原基央はBUMP OF CHICKENというバンドのボーカルだ。いつも基本的に彼の眼は前髪でかくれていて、表情はよく見えない。ちょっと心配になるくらいに細くて、黒いスキニーがよく似あう。一時期はバンドマンといえば藤原基央の量産型といえるくらい、彼は多くのバンドマンのあこがれの的だったし、こぞって彼の真似をした。
 私も彼にあこがれていた多くのうちの一人だった。今も言われることだけれど、BUMP OF CHICHENの歌はとにかく“歌詞がいい”。私が大好きなロキノン系の音楽に母親は一切興味を示さないが、BUMPの「花の名」だけは母もお気に入りの曲である。
「あなたが花ならたくさんのそれらと変わらないのかも知れない そこからひとつを選んだ僕だけに歌える唄がある」--世界的ヒットを飛ばした「世界にひとつだけの花」を彷彿とさせる歌詞ではあるが、オンリーワンでもナンバーワンでもない。結局私たちなんて数多いる人間の一人でしかなくて、でもそんなあなたを「僕」が選んだ。みんなのためじゃなく、たったひとりのために存在することすら肯定してくれる。
……とまぁこれは私個人の解釈であり、歌詞の解釈は人それぞれだけれど、それらをぶつけ合うのも楽しい時間だ。

 話が脱線したが、元に戻そう。
    頭がおかしいと言われるかもしれないけれど、かつての私は彼の言葉に生かされていた。アルバム「ユグドラシル」「Jupiter」はもう擦り切れるんじゃないかというほどに何度も聴いた。細胞レベルで覚えているんじゃないか、というくらい、今も歌詞の一言一句を覚えている。当時の私は歌詞ノート、と題したノートに、大好きだった歌詞を書き連ねていた。そこには藤くん(藤原基央の愛称である)の紡いだ言葉たちが並ぶ。どうやって生きていたら、何を食べていたら、こんなに素晴らしい言葉が出てくるのか、私も知りたかった。当時、彼に死ねといわれたら本当に死んでしまったかもしれないくらい(絶対にそんなことをいう人ではないのだけれど)とにかく彼の言葉を信じていた。

 彼らはほとんどテレビに出なかった。自分たちの言葉で伝えることをとにかく大切にしていたから。思春期の私はそんな姿勢すらかっこいいと思ったし、言葉を大切にする藤くんが大好きだった。彼のやわらかくて、だけど強い歌声で届けてくれる言葉を、まるで神からのお告げのようにかみしめた。

 でもいつまでも変わらないものはない。私は「神が死んだ日」を今でもはっきりと覚えている。2014年にミュージックステーションに生出演して、「Ray」という楽曲を彼らは初音ミクと一緒に歌ったのだ。今までファンは、こぶしを掲げて彼らのメッセージに応えた。でも生放送の画面にいたのは、手を左右に振って穏やかに笑うファンの姿だった。
 私の見ていた彼らではない。鈍器で殴られたような衝撃だった。「神は死んだ」とツイートして、数日間食事ができなかった。たかが、生放送で彼の言葉を初音ミクが歌った。たったそれだけのことが許せなかった。
(語弊がありそうだからあえて言うが、私は初音ミクが大好きである。ミクさんの歌も聴いているしセッションにも行ったことがある)

 人々の孤独に寄り添って、いつも掲げたこぶしに勇気をくれた彼らはもういない。タイトルはもちろん、歌詞一つひとつをかみしめて聴いていた彼らの歌が、耳をすべるようになった。変わってしまったのはどちらなんだろう。私か、彼らか。勝手に期待を持っていたのも、理想を押し付けていたのも私なのに、勝手に裏切られたような気持になった。

 その日から、私はずっと、神が死んだ日のことを忘れられずにいた。
 だからメットライフドームで彼らがライブをやる、という言葉を見たとき、とうとう彼らに向き合う日が来たのではないか、と思った。メットライフドームからそれなりに近い場所に住んでいて、聴きに行こうと決めればすぐに行ける。“行こう”と思った。そこにどんな世界が見えようとも。

 まあ、そんなこんなで私は10年ぶりくらいにBUMPのライブへ足を運んだわけなんだけれど。結論を言ってしまうと「とてもいいライブ」だった。

 入場口で、LEDの仕込まれたバンドを渡された瞬間は正直不安しかなかった。狭いライブハウスで声を張り上げ「ガラスのブルース」を歌っていた彼らが好きだったから。きらきら光るネオンの向こうに彼らをみたときは、そのまま逃げだそうと思った。でも、月日がどれだけ経とうとも、藤くんは藤くんだった。ギターをかき鳴らして、叫んで、笑って。どれだけ舞台が大きくなろうとも、どれだけキラキラまぶしいネオンが彼らを照らそうとも。そこに立っていたのは、私が信じて追いかけていたあの日と同じような笑顔で、楽しそうに演奏をする彼らだった。

 突然噴き出す煙とか、天井に浮かぶ丸や三角のネオンとか。まばゆいばかりに空から降り注ぐ銀テープとか。そして、その銀テープに群がるファンの姿とか。月日が変われば、表現方法も変わるし、それを追いかける人たちも変わる。でもそれを許せなかったのは、私がきっと彼らの表面しか見ていなかったから。

 「ベイビーアイラブユーだぜ」って笑いながらマイクを持つ藤くんを見る日が来るなんて、10年前の私は想像もしていなかったけれど。そして大切なギターから手を放して、肩を組んで歌う藤くんなんて、あり得ないとまで思っていたけれど。年を重ねて、私も少し広い視野で物事を見られるようになったんだろうか。メンバー4人が誰一人欠けることなく、その舞台で笑っていることに「ああ、よかったな」と素直に思った。

 今回は、今週出たばかりのアルバムを背負ったツアー。アルバム曲がメインになるし、それをわかった上で参加した。だから、そこに昔の曲が入ってくるとしても、メジャーな「天体観測」「ガラスのブルース」(彼らの初期のヒット曲である)程度だと思っていた。

 だから彼らが「涙のふるさと」のカップリング曲である「真っ赤な空を見ただろうか」を歌ったときは涙が止まらなかった。とにかく歌詞も曲調も大好きな曲で、この曲に何度も背中を押されてきた。他人の痛みをわかりたい、でも所詮「あいつの痛みはあいつのもの」だから分かれない。それでも別の人間だったからこそ僕らは出会えたし、夕焼けがきれいなことを話したいと思える。歌詞の解釈を語り始めると、何時間でも語ってしまうくらいに名曲だと思っている。藤くんが、夕焼け空をきれいだと思う心を「馬鹿正直に話すことを馬鹿にしないで」という歌詞を「馬鹿正直に話すあなたが好きだよ」と今日は歌っていた。素直に生きることを、きれいなものを馬鹿みたいにまっすぐにきれいと告げる滑稽さを、いつも彼らは肯定してくれる。それはもうずっと前から、変わらない彼らの根幹なのかもしれない。

 他のメンバーが去ったあと、藤くんがひとりしゃべり始めた。
 今こうして集まったみんなも、数週間後、何年後。もしかしたら明日には、笑えなくなるかもしれない。なんの歌も心に響かなくなるかもしれない。そんなとき「俺らの歌を聴いて」なんて無責任なことは言えないけれど、それでも彼は歌い続けるし、彼らの歌は変わらず「在り続ける」。ずっとその場所で待っていてくれる。そのことは、ずっと変わらない。

 私にもかつて、詐欺にあって心を病んで、世界のすべてが真っ黒になった日があった。彼らの言葉も音楽もなにも受け取れず、泣く気力すら忘れた日があった。天井の隅を見つめて、ただ日が暮れて夜が来て、朝が来る毎日を繰り返していた。
 それでもずっと藤くんの言葉は、音楽は、私のことも待っていてくれて。ある日、彼らの曲がすっと私のなかに入ってきたことがあった。「つらくたってかなしくたって生きていくしかないんだ」って、その瞬間に覚悟ができた。

「悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう 誰に祈って救われる」「終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる」これが私の一番すきな、藤原基央からのお告げ。
 祈るんじゃなく、終わらせるんでもなく。どうせいつか終わる人生という名の旅を、必死で生きていく。

 勝手に神とあがめて、勝手に裏切られたと思ったその人も、今日までをがむしゃらに生きて、そこで生まれた言葉たちを届けてくれていること。彼らは確かに生きていて、今を楽しんでいる。つらいことがあれば泣いて、あらがって。それは私と同じように。

 藤原基央は神ではなかったけれど。私の生きる道を照らしてくれる、かけがえのない存在であることに変わりはなかったと、10年ぶりにその姿を認めて気づけた。そして、10年前と変わらずにBUMPの話をして、笑って泣ける友だちがいてくれることにも、感謝しかない。

 いっぱい笑って、今日を楽しんで、お風呂に入って、おなかを冷やさないようにタオルケットに包まって眠る。そんな彼が、この先もずっと大好きな唄を歌っていられますように。

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