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わたしにとっての居場所

今日は、わたしにとっての居場所について書こうと思います。

昨日友達とドライブに行った中で感じたことです。

役割で居場所を作っていた

小学生の頃から大学生の今まで、リーダーと呼ばれる立場になることが多かったです。

思い返すと、リーダーになって誰かのために何かをしたいというよりは、自分の居場所を求めていた気がしています。

色んな人と話したり、一緒に何かをする中で自分が居なくてはならないと主観的に感じていたかったように思います。


もともと内気な性格なので、リーダーという役割がなかったら特定の人としか関わることがなかったかもしれません。


リーダーになって何をしたかったのか

リーダーになって知らず知らずのうちに自分の居場所を作っていたのは先に書いた通りですが、大学生になってからはリーダーとして役割がない人に対して1人ひとりの居場所を作ろうとしていました。

自分が役割なしには居場所を作り出すことが苦手だったからこそ、他の人の居場所を作り出したかったのだと思います。決してその人にとっての居場所でなくてはいけないわけではなくて、「ここはそのままの自分でいれる場所だよ」というスタンスです。

どこまで実現できたかは分かりませんが、誰か1人でも居場所になっていればうれしいです。


きのうドライブに行った

さて、ようやく本題ですが、昨日アルバイト先の同期5人とドライブに行ってきました。私は店舗を異動したので関わることが少なくなってしまいましたが、そんな中でも誘ってくれたことが本当に嬉しかったです。

5人とは4ヶ月間しか一緒に働けなかったので、過ごした時間はそんなに多くはないです。会った回数も10回あるかな?ぐらいです。

なので、気の知れた本当に仲がいいという関係ではなかったです。


そんな中で、私はそこまで自分から話すこともなく、みんなと一緒に音楽にのってみるぐらいで、自分の世界とみんなの世界をくっつけているような感覚でした。みんなの世界の中にいるけど、1歩引いているように感じていました。

でも、そんな私を受け入れてくれていることが1番うれしかったです。関係性とか先ほど書いた役割に縛られず、自分を自分のまま受け入れてくれていると感じられたからです。

私が黙って窓を眺めていたら「車酔いしてない?」「何か飲み物買ってこようか?」とさりげなく声をかけてくれて、その場のノリについていけなくても「大丈夫だよ」と声をかけてくれて、周りの友達は私を寛大に受け入れてくれていました。


ドライブで感じたこと

今までは人との関わりの中で、役割をもらうことで居場所を作っていたし、自分のことを必ず受け入れてくれる人としか遊んでいませんでした。自分の考えとある程度同じ考えを持ち、共感し合える人といることが私にとっての居心地の良さとして居場所に繋がっていました。

でも、今回を通して役割や深い関係性がなくても相手を大切にしたいという気持ちが居場所を作っていくのだと気づくことが出来ました。

私がリーダーとしてしたかったことと同じように役割がなくても、たとえ考えが違っていてもその人といる中で作り上げていく居場所も大切にしていきたいと感じました。


今回は、わたしにとっての居場所について書きました。

居場所って主観的で不安定なものですが、だからこそ自分にとっての色んな種類の居場所があるのだと思います。

自分にとっての居場所を考えつつ、自分以外の人の居場所についても考えられる余裕を持ちたいです。





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