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#救われる
質問14:「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10:10)と聖書にあります。主イエスが私たちの罪を赦し、私たちを信仰によって義なるものにしてくださったと私たちは信じています。さらに、一度救われれば永遠に救われ、主が再来なさると私たちはすぐに携挙され天国に入ると私たちは信じています。ではなぜ救われ天国に導かれる前に終わりの日の神の裁きの働きを受け入れなければならないとあなたがたは証を立てているのですか。
主が十字架の上で亡くなったとき、私達を贖われたので、罪は全部赦されていると信者は考えています。私達はもう罪人ではないと。信仰を通して義になり、最後まで耐えていれば、救われ、主が戻られた時、直に天国に招かれると信じていますが、それは真実でしょうか?神はその主張の根拠になる発言をされていますか?もしこれが真理にそぐわない見方だとしたら、どうなります?主を信じる者として何事も主の御言葉をもとに
もっとみるキリストが真理、道、そしていのちであることをどのように理解するべきか
「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。」(ヨハネによる福音書 1:1-2)
「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。…めぐみとまこととに満ちていた。」(ヨハネによる福音書 1:14)
「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書 14:6)
わた
奉仕における協調関係の大切さ
山東省済南市 梅傑
最近、教会は働きの手引きを発行し、各階層の指導者に対してパートナー(共に働く同労者)と組むよう求めました。当時、私はそれをとてもよい采配だと思いました。素質が乏しい上、やるべきことが山のようにあったからです。教会のありとあらゆる働きを済ませるにはパートナーの助けが絶対必要でした。
こうして、パートナーとなった姉妹と二人で教会の司牧の働きに取り組み始めました。しかし徐々に、彼