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26時

大抵次の日が3限からの日とか休日だった場合、深夜に家で映画を観ることにしている。

何故だか自分は恋愛映画が好きで恋愛系の邦画をずっと見漁っている。「溺れるナイフ」や「ちょっと思い出しただけ」が好きだ。陰影をはっきりと切り取ってる映画に弱い。

いつもは大体学校帰りにゲオにふらっと寄り、何を借りようか30分くらいだらだら悩んだり、お風呂に入る前にふと思い出してチャリを爆走させ借りに行くこともある。映画を借りると、何故か気が大きくなりコンビニでアイスも買ってしまうことも多々ある。ちなこういう時のアイスいちばん美味い説ある。

自分は映画を観ている時が一番自らを客観視出来ると思う。映画ではこれから起きるストーリーが決定されていて、順調に順当にそれを享受することが出来る。だからストーリーにどんな意外性やどんでん返しがあっても安心できる。なぜなら創作物だから。結果が決まっている事実が、そこに存在しているから。いきなり次の1ミリ秒後に、轟音を立てた後真っ暗な画面になることは無い。小説や漫画も然り。

映画を観ながら面白いなあ、と思いながらも"その頃一方自分は…"と考えてしまう。自分のこれからは、1ミリ秒後は何も保証されていないから。そう考えてしまうのは、そういう病気なんだと思う。だがしかし、これが良いのかもしれない。結果が決定されている映画とそうでない自分との対比が、より自分を冷静にし客観的にさせる。そうして、自分と向き合うことで自分を救う言葉を生み出すこともある。

映画を観ている中で自分について考えるのは刹那的なもので、取り留めもなく生まれては消えてを繰り返す。そしてこれらを繰り返すことで、人生観が形成される実感がある訳でもなければ"自分"を塑する作業として役立っている訳でもない。しかしながら、この行為は何かを引き連れてくるものでなくこの行為自体に意味があるのかもしれないと思い始めた。

自分を見つめ直す。瞑想に似ている気がする。自分を見つめ直す。なんだか高尚な作業をしているように思えてきた。自分を見つめ直す。

映画を沢山観よう、小説も漫画も然り。

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