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【人相学】『武者鑑』小松内府重盛/建禮門院/江口妙女/西行法師
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小松 内府 重盛
重盛は、清盛の 長子にして、温厚篤実の 君子なり。然も、文武を 兼備して、忠孝 全く 克 諸人を 悦服せしむる。
寔に、本朝の 賢人なりといえど、眼精 薄く、鼻 和らかにして、骨なきが如し。口は 小さく、色 白黒し。歯は 廿四枚にて、間 大にすきて見ゆる。是、夭死の 相ありしといへり。惜しむべし。不幸短命にして、世を 早く 辞せり。
嗚呼、此 君あらば、平家も 一朝に 亡ぶまじきに、天命は 是非に 及ばず。悼しいかな、此人。
※「長子」は、長男のこと。
※ 「篤実」は、情が深く誠実なこと。
※ 「悦服」は、心から喜んで従うこと。悦服。
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建禮門院
建禮門院は、徳子と申て、清盛の女なり。高倉院の 中宮に 立て、人皇八十一代 安徳天皇を 産 奉 り、国母と 仰がれ、富貴 此上なしといへども、寿永の 大乱には、西海の 浪に 漂ひ、天皇は 二位の 禅尼と 共に 竜宮城へ 行幸ありて、其身は 源氏の 捕 となり給ふ。不幸、亦 此上なし。
中宮は、顔面長く、額 少し 廣く、頤 圓く、眼小さからず、細く長くして 大いに 出世の相ありしが、又、手の背高く 肉なし。臋 痩て 尖れり。是、中年 以上にいたりて、造化わろき 相もありしといへり。
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江口妙女
妙は、江口の 里の 遊女なり。幼少より 哥道に心を 委ね、類ひ稀成 賢女なり。其顔面に 對しては、口至つて 小さく、耳に 血脉 多くありて、常に 頬先 薄 紅 なりしが、これ遊女になるの 相なりとかや。
一年、西行法師 この里に 来りて、宿を 乞けるに、不許 ありければ、あら心なの人ごゝろと 言ながら
〽 よの 中をいとふまでこそかたからめ
仮の 宿りを 惜むきみかな
と 詠すてて 行んとする 言葉の 下に、妙女
〽 よをいとふ人としきけば 仮の宿に 心 とむなと 思ふばかりぞ
と 返しけるにぞ
西行大いに 感じ、かゝる 流水の 勤めのうちにも、又、如此 の 賢婦 ありとて大いに 讃られしとかや。
※ 「哥道」は、歌道。
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西行法師
西行は、佐藤 兵衛尉 憲清とて、北面の武士にて、文武の 達人、殊に 和哥の 神仙たりしが、無常迅速を 観じて 発心なし、身を 雲水に 任せて 諸国を 経歴なし、一生を 風流に 暮しけるが、或年、鎌倉の 鶴ヶ岡にて、頼朝に 謁し、営中に 召れて、夫より弓矢の 古実を 論ぜしに、其 賞とて 白銀の 猫を 賜りけるが、幼子のみて、是をほしがりしかば、何の 惜気もなく与へしといふ。寔に、無欲の 聖なりし。
西行は、生れつき 隠逸にして、言語多からず、少からず。口大いにして、唇厚く、紫色に 光 ありしとかや。是、出家して 名を 発るの相なりし。
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