悲しみと共に生きるなら、やっぱり優しくなれる
話が通じないなぁと思う人は、
何度も話しても、
いつ話しても、
「怖い人」であり、
これ以上踏み込むと怒られるって思う。
怒られて傷つきたく無いから、
話し合いの時に距離が必要で、
こちらから距離をとる。
すると、向こうも当然距離を置く。
仲良くしたいけど、呼吸が合わない。問答のようだよ…
そんな風に上手くいかないことばかりな人とは、離れる
熊とか、ハチとかに対する方法と似ている。
ここで、その人との人間関係は、
会話ではなく、対処法になってしまう。
距離を置いたまま、ゆっくり下がって、もう近づかないのが、自分の身を守ったり、また、私が熊とかハチにならずに、人間でいる為には正しい。
会話をしないのが正しいなんて悲しいけど、自分の身体や脳が傷つけられても、元には戻らない。熊やハチは責任をとってくれないから、自分の身は自分で護っていきたい。
悲しみとともに生きるとは、こうゆうことかな?
悲しいけど、この様に生きることで、他の人の悲しみとか、自分を守った勇気を見ることが出来ると思った。
そう思わないと、ご飯も食べれない夜だった。3日ぶりにご飯を食べたい。お腹もこわしちゃうし。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?