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【小説】 恋しちゃったのさ、ローファーに

 伊史 剛、大学2年生。
 僕にはポリシーがある。それは、履く靴は絶対、ローファーだってことだ。体育の授業などでスポーツをする時以外、僕は必ずローファーを履く。
 高校2年生の時から、ずっとそうだ。そう、高校1年の時、階段を上がる時にパンツが見えないよう、スカートをぴっちり押さえる姿に一目惚れをした八方さんが、「あたし、ローファーの似合う男が好きぃ」と言うのを耳にしてからずっと。

 修学旅行でニュージーランドに行ったときも。夏祭りで浴衣を着たときも。スキー板も、ローファーで履けないかと真剣に検討した。いつ、どこで八方さんが僕のローファー姿に惚れるか分からない。いつ、僕のスマートさに気づくか分からない。気を緩めるわけにはいかない。

 だから僕はずっとローファーを履き続けた。たとえ、八方さんが僕に見向きもしなくても。僕の後ろの席の、色が黒いだけのヒョロヒョロの男に恋をしても。そして、そのヒョロヒョロと付き合ってしまっても。

 僕はもはや、八方さんに恋をしているのか、ローファーに恋をしているのか、分からなくなっていた。それほど、僕とローファーは一心同体、切っても切れない仲だった。僕は世界で一番、ローファーの似合う男だと、我ながら思った。誰になんと言われようと、僕はローファーが好きだし、これからも履き続けるつもりだった。

 だが今日、同じ研究室の女、裾里智海に言われた。

「伊史くんって、いっつもローファー履いてんな。どうしたん?ローファー履いてな死ぬん?さすがにジーパンにローファーはエグいやろ」

 お前の下品な関西弁の方がエグい、と思ったが、そこはローファーの似合う男伊史、ぐっと堪える。

「僕、ローファーが好きなんだよね」

「蒸れへん?めっちゃ臭そう」

「制汗剤してるから」

「いやスニーカー履いたらいいやん。抜群やで通気性。何で嫌なん?」

「いや、嫌ではないけど…」

「ふうん」

 裾里は顔面に’不審’の文字をたたえて、自分のPCの方へ向き直った。

 これまで、こんなにずけずけとローファーについて指摘されたことはなかった。友達も少なかったし、家族は僕の履物になんか興味はない。

 裾里が関西出身だからだろうか。関西の女というのは、皆こんな風なのか。それとも、裾里が僕のことを嫌いなのだろうか。いや、反対に、僕のことが好きなのだろうか。

 そんなことに思い至ってから僕は、裾里のことが気になるようになってしまった。

 そして、あれから裾里は、僕のことを’革靴くん’と呼ぶようになった。


 会話をするようになってしばらく経ったある日、裾里がとんでもない話を切り出してきた。研究室には、僕と裾里の2人しかいなかった。

「革靴くんさあ、好きな人おらんの」

「えっ」

 いきなり核心をついてくる裾里。これも、関西の女だからなのか。今日僕はこれから、生まれて初めて告白をされるのか。

「何やおらんの?…うちおってんけどさあ、失恋してん」

「おうん」

話の展開が予想外すぎて、小田和正ばりに言葉にならなかった。

「もう辛いからさあ。革靴くん慰めてや。うちと付き合ってや」

「へえん」

 意味不明だ。こいつは理屈というものを知らないのか。いや、これは関西の女だからなのか。ボケか。ボケているのか。脳の回路が混線しすぎて、小田和正が直らない。でもなぜだろう、ちょっと嬉しい。

「あ、なにそれ、付き合ってくれんの?」

「あぁ…」

「あー、でもなー。一つ約束してほしいことがあんねんけど」

「えぇ…」

 なぜ、先ほどまでお願いされる立場だった僕が、今、一方的に約束を迫られているのか。それは誰にも分からない。でも、その一つを約束したら、僕に彼女ができるらしい。それは嬉しい。

「ローファー履くんやめて」

「え?」

「ローファー。似合ってへんもん」

「えぇ…」

「うち、スニーカーの似合う男が好きやねん」

「でも、これは、僕の一部というか」

「どうせアレやろ?ママがローファー履く男が好きとか、そんなんやろ」

「いやえ」

 ほぼ当たってやがる。

「言うとくけど、似合ってへんで。だからといってスニーカーが似合うとも限らんけど。どうする?ローファーやめてうちと付き合う?それとも、これからもローファーと付き合い続ける?」

 関西女に、何やら哲学的なことを言われた気がするが、僕は伊史剛、20歳。意志の強い男だ。ローファーは僕の一部といっていい。僕はこれまでも、これからも、パンツが見えそうで見えない八方さんの思い出とともに生きるのだ。

「じゃああの、付き合ってください」

「ローファーは?」

「履きません」

「これからは?」

「スニーカーを履きます」

 裾里が微笑んだ。

 伊史剛、20歳。実は、そろそろ失恋を終わらせたかったようだ。


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