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HAPPYにいきる☆

って書いてる人、いませんでした?
「今年の目標」とかの欄に。

HAPPYに生きる☆
たのしくすごす!

って奴。だいたいいつもソワソワしてるタイプの奴。私はそういうのを見るたび、「内容薄すぎやん」「そんなん誰でも出来るやん」と馬鹿にしていた節がありました。
これまでは。

30を超え、妻となり母となり、「子どもから見たわたし」を常に意識するようになって今、ようやく私はその難しさ重大さに気づき始めた。

果たして私は、HAPPY☆に生きられているだろうか。娘から見た私は、果たしてHAPPY☆な母ちゃんだろうか。

娘が「イヤだーー!!」と言うたび、物事が進まなくなって、イライラして、不機嫌まる出しの顔になる。体のどこかが不調で、つきまとう痛みや息苦しさに全然スッキリできなくて、いつも暗い顔をしてしまう。どこからか辛いニュースが流れ込んできて、漠とした不安に心がゆらゆら、つい、心ここにあらずが顔に出てしまう。気づいたら、マイナスの感情を引きずってしまう。

はて、私はこんな顔を娘に見せたかったのだろうか。


私の母は暗い人だった。誰かと話したり、旅行などのハレの日には、楽しそうにしてみたりお喋りになってみたりができたけれど、いざ「生活」を送るにあたってはいつも、文句有りげな顔をして、不安ばかりで気楽になることのできない人だった。

そんな母を見てきたからこそ、私は娘に「過去の私が見てきたような母親」を見せたくなかった。はずだった。

なのに気がつけば、マイナスの感情に絡め取られて、このざまである。HAPPYに生きる☆を馬鹿にしたツケが回ってきたに違いない。

怒りやしんどさや不安の中でも、☆HAPPYに生きる☆を志すのが人生じゃないのか。そうして人に安心を、気楽さを、心強さを与えられる人を、私は尊敬しているのではなかったか。


「うちの母はいつも朗らかで」
「お母さんは太陽みたいな人で」

それはありふれた台詞のようで、しかしこの世の救いのような出来事でもある。お金にはならない。いかにも簡単に思われる。しかし最も価値のあるものであり、最も困難なものの一つだろう。


「HAPPYに生きる☆」

ふと気を抜けば難しい顔を、不安な顔をしてしまう毎日の中で、あの日鼻で笑った誰かの言葉を、何度でも何度でも思い出さなくてはと思った。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!