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【小説】 価値のない宝石

 去年の11月、妻の誕生日の近づくころ。例年通り僕は彼女に聞いた。
「今年の誕生日は何が欲しい?」
「宝石以外なら、なんでも」
 もう、20年以上繰り返されている会話だった。
「はいはい。君は僕からの宝石は要らないんだもんね」
 妻はニヒルな笑みを浮かべ、こくりと頷いた。

 妻は、結婚指輪でさえ、宝石のついていないものを欲しいと言う女性だった。
「ダイヤモンドは永遠の輝き、らしいよ」
と、僕が石付きの指輪をお勧めしても、
「知ってるわよ、そんなの。釈迦に説法って言葉、知ってる?」
と鼻で笑った。
 そりゃそうだ、なんせ彼女は当時から、宝石を扱ったジュエリーショップに勤めていたのだから。


 あれから20数年が経ち、今の彼女はジュエリーショップのオーナーになっていた。ショップに立つ彼女は、あらゆる宝石を身につけている。さすが、ジュエリーショップの人ですなあ、といった装いだ。
 だが彼女は、仕事が終わりひとたび家に帰ると、それらを全て身体から外し、綺麗さっぱり、身軽な姿でくつろぐのだった。

 我が家のリビングの一角には、妻専用の「石保管スペース」があり、それがけっこう広い。なんでも、そこで石を休ませて「浄化」しているらしい。
 僕は石のことには興味がないので、休まった石たちが「浄化」されているようには見えなかったし、ましてや置いてあるものが何の役に立っているのかも理解不能だったが、妻は毎日「今日もありがとう」と言っては、かいがいしく石たちを休ませていた。

 そして朝、「おはよう」と石たちに声を掛け、出勤前にそれらを身に着けて、「今日もよろしくね」と言って、仕事に向かうのである。それはさながら戦友であり、戦闘服のようであった。


 そんなわけで、妻はプライベートでは宝石類を身にまとわない主義のようだったが、一つだけ、僕にはどうしても解せないことがあった。
 それは、自分は要らないといったくせに、彼女の方が僕に宝石をプレゼントしてきたことだった。

 結婚して、初めてむかえた僕の誕生日のこと。
「ねえ、もらっても困るよ。こんなに大きな宝石のついた指輪だなんて」
 困惑する僕が、そう訴えかけても、妻は耳を傾けてはくれなかった。
「いいじゃない。プレゼント、何でも良いって言ったのはあなたでしょう」
 妻は完全に人を食ったような顔をしていた。
「だけどこんな大きい石、なんて言うんだっけ。アメジスト?僕に似合うわけがないでしょうに」
「いいじゃない、あなたの誕生石なんだから。あ、ほら、似合ってるわよ」
 そう、悪そうな笑みをたたえて、妻は私の指に指輪をはめたのだった。

 悪徳商法さながらの押しの強さに途方に暮れる僕に、ジュエリーショップの店員は更にたたみかける。
「浄化のしかたを教えるわ。まず、朝起きたら、リビングの出窓に鎮座させること。あそこが一番陽当たりが良いでしょ。太陽のエネルギーを浴びさせるの」
「嘘でしょ?君がやってよ」
「何言ってるの、あなたがやらないと意味がないんだから。で、夜はあなたの書斎の机に置いて。月の光を浴びるように、カーテンは開けておいてね」
「まさか、それを毎日する…なんてこと言わないよね?」
「もちろん、そのまさかよ」

 世の中に、こんな修行のようなプレゼントがあっていいのだろうか。
 僕は、圧の強いジュエリーショップ店員に、そんなのは無理だと抗議した。
 実際、始めの何年かは、ちょくちょく忘れて出窓や書斎に指輪を置きっぱなしにしていることが多々あった。そのたびに、僕の指輪を持った妻が現れ、「はいこれ。ちゃんと移動してくださいね」と指導されるのだった。

 しかし慣れというのは恐ろしいもので、そんなことを毎日繰り返していると習慣化してくる。
 あれから20年あまりが経った今では、指輪を持って書斎と出窓を行き来することが、僕の朝晩の日課となっていた。

 繰り返しになるが、いまだに僕には「浄化」の意味がまったく分からないし、指輪についた紫水晶も浄化されているようには見えなかった。それどころか、だんだん汚れてきているんじゃないかとすら思えた。
 「浄化」にかけるその手間で、髭のひとつでも剃りたいのになあ、という僕の正直な気持ちは、この20数年、変わることはなかった。

 でも、宝石を大切にする妻がぜひにそうしてくれと言うのだから、仕方がない。年を重ねるごとに、それくらいで彼女が満足するのなら、むしろお安いご用だと思われてくるのだから不思議だった。

 今年の11月。妻が50になる年だった。
 例年通り、僕は彼女に聞いた。

「今年の誕生日は、何がほしい?」
「そうねえ。宝石が欲しい。ネックレスがいいな」
 予想外の返答に僕はのけぞった。
 今、ここにきて、僕から宝石が欲しくなったのか?いったい、どんな心変わりがあったのだろう。そして、いったいどれほど高価な宝石をねだられるのだろう。
 面食らった僕に、「じゃあ、週末、一緒にお店に行こうね」とだけいって、妻は話を切り上げた。それから、僕が何を聞いても、彼女は「欲しいものはもう決まってるから」と言うばかりで、何も教えてはくれなかった。


 かくして、むかえた週末。
 2人で、妻の職場に客として来店する。

「あ、オーナー。待ってましたよ」
 気さくな感じの女性が、気さくに対応してくれる。妻とは仲が良さそうだ。
「もう石はあるの。これなんだけど。このままのカットで、ペンダントトップにしたくて」
 そう言って妻が鞄から取り出したのは、こともあろうに、僕が毎日、書斎と出窓を往復し「浄化」していた、あの指輪だった。

「あれっ。それ」
「あー、はいはいはい。水晶、ですかね」
「そうなの。元はアメジストなんだけどね」
 僕が口を挟もうとするも、女性2人で話がどんどん進んでいく。
「えっ、アメジストなんですか?」
「そうなの。もとは綺麗な、濃い紫色だったのよ。すっかり色あせちゃったけど」
 そう言えばそうだ。僕は、そこで初めて気が付いた。なんだか汚れてきている気がしていたけど、あれは色が薄くなっていたからだったのか。そう言えば、貰った時はかなりの紫色だった気がする。

「えー、オーナーともあろう人が、何でこんなことになっちゃったんですか」
「うふふ。なんでだろうね」
 そう言って妻は、悪そうな笑みを浮かべて僕を見上げるのだった。
 僕が悪かったのか、と聞こうとする僕を制し、妻は石の土台についての打ち合わせを始めてしまった。

 何が何だか分からないまま会話から置いていかれた僕は、どうして20年以上も前に僕が貰ったアメジストの指輪がここにあるんだろう、妻はずっとこれが欲しかったということなのだろうかと、ひとり考え込んだ。


「ねえ、僕の指輪のアメジスト、ずっと欲しかったの」
 帰り道、ようやく発言権が与えられた僕は妻に質問した。
「そうよ」
 こともなげに妻は応えた。
「なんだ。それなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに。君が管理していたら、あの水晶も色あせたりしなかったんじゃないか。あれ、紫が抜けてしまっていたんだろう。僕の管理が悪かったのかな。せっかく君に貰ったのに、申し訳なかったね」
「あら、何を言ってるの。ああして、色が抜けたのが欲しかったのよ、私は」
 妻は、くくくと嬉しそうに笑う。
 疑問符でいっぱいだった僕の頭の中は、さらに疑問符でいっぱいになった。

「でも…でも、色が抜けるのは良くないことじゃないの」
「そうよ。もちろんよ。もうね、アメジストを毎日わざわざ太陽光に晒すなんて、最悪。ぜったい駄目よ。退色しちゃうんだから」
「えっ…、それは、だって、君がそう言ったんじゃないか」
「そうよ。毎日毎日、せっせことあなたが太陽に晒し続けた結果。それが、綺麗サッパリ色の抜けちゃったあの水晶、ってわけ」
「君は、そんなのが欲しいの」
「そう、私はそんなのが欲しかったの」

 そこで僕は、少しの間考えを巡らせ、そして答えにたどり着いた。
「…なるほど。君は始めから、僕が毎日毎日、太陽光にあてて色を薄くしたあのアメジストを、僕から貰うつもりだったんだね?毎日太陽にあて続けたという、僕の行為とともに」
「そのとおーり!」
 妻が嬉しそうに、勝ち誇った顔で僕にうなずいた。

 後日、仕上がったペンダントは僕がこっそり店へ行き受け取っておいた。

 迎えた、妻の誕生日当日。
 「してやられました」と書いたメッセージカードを添えて、妻にペンダントをプレゼントする。

「ねえ、知ってる?アメジストはね、加熱したらシトリンになるの」
「シトリン?」
「そう。黄色の水晶。私の、11月の誕生石」
「あ、あーはいはい、うん、そうね。そうだったね」
「んもう、覚えてなかったくせに。だからね、この石はあなたが長い年月をかけて、シトリン化させたものとも言えるわけ」
「なるほど、君の誕生石に近づいたのか。でもさ、この石、アメジストにしろシトリンにしろ、宝石としての価値はあるのかな」
「ないわよ。価値なんてない。わたしたち以外にはね。そんなもんでしょう?」
 そう言って、くくくと笑う妻の首もとに、僕がペンダントをつける。とても綺麗だった。


(完)

 思いついたので書いたら案外ボリュームが出ました。
 ギリギリに仕上がったこの子も、参加させてください。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!