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【小説】 Draw Your Rainbow

 「虹描きは、不要不急です」
 そう、文科省のお偉いさんに言われた楓は激怒していた。
 「たくさんの人々が家に拘束されている今こそ、虹を描かなきゃいけないんです!」
 それでも、先方の言い分は一向に変わらなかった。
「疫病の蔓延を抑えるために、不要不急の外出は控えてください」
 壊れたレコードのようにそう繰り返すので、楓は怒りに任せて電話を切った。

 だめだ、埒が明かない。月読さんに電話しよう。私の上司は月読さんであって、文科省なんかじゃない。虹描きの価値が分からない人になんか、何を言っても無駄だ。そう思った楓は、月読茂に電話をかけた。

 楓は幼い頃から、虹に向かって願い事をする癖があった。いつも、願うことはただ一つ。
「しゅうしょくさきがみつかりますように」
 それは、身体の弱かった楓の将来を憂いだ、母親の口癖だった。

「就職先が、見つかりますように」
 大学三年生の秋、一人暮らしのベランダから見えた虹に向かって、楓が手を合わせていたときのこと。

 なんだか虹がぷるぷると立体的に震えているように見えたので、ふと手を伸ばしてみると、虹が手に触れた。驚いた楓が自分の手を見やると、指の先に、ぷるぷるの虹の絵の具がちょこん、と乗っかっていた。

 黄とオレンジの混ざった色のそれを、楓はじっと見つめた。どうしよう、これ。匂いを嗅いでみたり、陽にかざしたりして眺めていると、不意に「プルルルル」とポケットのスマホが鳴った。こんな通知音に設定してないはずなんだけどな…と不思議に思いながらも楓が電話を取ると、誰だか分からない陽気なおじさんが、電話の向こうから大声で話しかけてきた。

 それが月読さんだった。
「あーもしもし?君かいな、うちに就職したい言うんは」
 えっ、と楓が返事に窮していると、「お嬢ちゃん今、虹さわったやろ?それや、その右手のやつ」と電話口のおじさんが言う。
 それ?…それって、私のことが見えてるの?楓がベランダから下を覗き込むと、上下ジャージ姿のおじさんが電話をしながらこちらを指差していた。

「…あの、どちら様ですか」
「ワシ?ワシは月読や。みんなからは、おツクさんと呼ばれとる。今から君の上司になる神様や。ほら、その指の絵の具、空に塗りつけてみ」

 自分で自分のことを神様だという、上下ジャージ姿の関西弁のおじさんに一抹の不信感は覚えたものの、楓は空に向かって絵の具のついた指をツツ、と滑らせてみた。ボワッ、と、そこの空が黄色みを帯びる。
「ちゃうちゃう、もっと大胆に。虹を描くみたいに。ぐるーっといってみ」
 月読さんに言われるがまま、指をぐるっと動かした。
「ほら。虹でけたやろ」
 見れば、そこに虹が浮かんでいた。先程まで見ていた虹の横に、少しだけ黄色成分の多い虹。

 月読さんの横を通り過ぎた親子の、「あ!見て、お母さん。虹が2つも出てる」「ほんとだ、珍しいわね」と話す声が聞こえる。
 満足気に笑いながらその親子を見送った月読さんは、「ホンマはあかんねんで、あんな近くに虹作ったら。でも、今回だけ特別や。就職祝いの虹ってことで」と電話の向こうでガハガハと笑った。

 それから二十年、楓は虹描きの仕事を続けてきた。日本で虹描きの存在を知っているのは、神様以外には文科省のごく一部と、その直轄である神社本庁の数人のみであった。

「もしもし。あー、玉依(たまより)?どうしたんや」
「玉木です。先程、文科省に連絡を取ってみたんですが、疫病の問題が深刻だから、虹描きなんぞ不要不急の外出は控えろと言われてしまいまして」
 楓の口調に不満感がにじみ出る。
「不要不急?虹描きが?アホぬかせ。急を要するに決まっとるやないか。誰や、そんなこと言うたんは。文科省のイワナガか?」
「イワイさんです。こんな時だからこそ、みんなの窓辺に虹を届けたい、って、わたし何度も言ったんですが」
「そらそうや。引きこもって雨が降った後ぐらい、人間に虹を見せたらなアカン。玉依が正しい」
「出来るだけリモートワークに切り替えてください、なんて言われちゃって。でもそんなこと、出来るわけないじゃないですか」
「あ、それは出来るで」
「出来るんだ」
 楓は思わず神様に向かってタメ口をきいてしまう。
「そういえば十年くらい前に、天照さんが言うとったわ。技術的には可能や、って。せやけど、『出来るだけ足を使って働いてもらってください、それが日本のやり方です』いうてな。まあ、ほら、天照さんもけっこう頑固な人やろ」
「私は存じ上げませんが」
「ちょっと待っとってえな。聞いてみるわ。さすがに今回は、リモートワーク許してくれそうな気がするし。ほな、十分後に掛け直すさかい」
 それだけ言うと、月読さんはさっさと通話を切ってしまった。

 果たして十分後、虹描きの仕事はリモートワークが可能だったことが判明した。
「リモートワークで使う神様タブレット、発注しといたから。二十分後くらいに届くはずや。その中のグーグルマップに、指で虹を描けばええんやって。簡単やろ。良かったな、玉依」
 そう言われた楓は、「だったら始めっからリモートワークさせてくれよ!」という言葉を、どうにかこうにか飲み込んで言った。
「玉木です!」

 それから一ヶ月。
 疫病収束の兆しは、未だ一向に見えず、誰もが外出自粛にうんざりする毎日を送っていた。
 楓は、タブレットとにらめっこして、各地に虹を書き続ける。


「早く外に出たい。毎日毎日、おんなじ景色。あなたの顔も見飽きたわ」
「俺だって、君の愚痴はもう聞き飽きたよ」
 とある場所で、とある夫婦が話をしていた。

「…あら。見て、あそこ。虹が掛かってる」
 妻が窓の外を指差した。
「本当だ。今日はラッキーだ。それに、なんだか少し黄色っぽい虹だね」
「そうかしら。でも、虹が掛かってるということは、あそこには雨が降っているのよ」
「そうなの?」
「そう。雨に太陽光が反射してるの。さっきまで、このあたりが土砂降りだったみたいに、あそこも今ごろ土砂降りよ、きっと」
「傍から見たら、こんなに綺麗なのに」
「雨の中にいると、虹には気づけないものなのよ」
「教えてあげたいなあ。もうすぐ雨がやんで、綺麗な虹が見えますよって」
 んもう、と妻がため息をつく。
「そんなことする暇があったら、智也に社会の厳しさを教えてあげてよ。あの子、絵描きになりたいだなんて言い出して」
 夫が、ううむ…と腕を組んで、天井を見上げた。

 天井の先の、子ども部屋。
 そこでは今まさに青年が、ぷるぷるの虹に手を伸ばそうとしているところであった。


いつもありがとうのかたも、はじめましてのかたも、お読みいただきありがとうございます。 数多の情報の中で、大切な時間を割いて読んでくださったこと、とてもとても嬉しいです。 あなたの今日が良い日でありますように!!