見出し画像

名画と読む イエス・キリストの物語

やっぱりクリスマス前なので、
つい手に取りたくなりました。

この時期以外でも、この本はよく読みます。
年1回は必ず読んでますね。


この本は
著者の中野先生がおっしゃるように、
基本的には
キリスト教名画をその背景を知った上で
より楽しむための手引書であり、
絵画に描かれたイエスの一生を
名場面を描いた名画にそって、
大まかに追っていくものです。


だからといって、
薄味のダイジェスト版と思うなかれ、
1日あれば充分読めてしまう読みやすさで
ありながら、内容はとても濃いのです。

本当に、
当時のその場所にいて、至近距離から
見ているような臨場感がすごいのです。

読者は
“ 神目線 ”もしくは“天使目線”
のようになりながら、
読み進めていくことになります。


ときに、救世主としての
誰にも理解されない孤独に寄り添いながら、
磔刑への道行きをただ見守ることしか
できないことに涙しながら、
その誕生から、
人間の身体を持つ神の子として死んでのち、
40日後に甦って天へと昇り、
ついに「神の右に座し給ふ」までの、
イエスの生涯を追体験していきます。


中野先生は、
そういうのが本当にお上手だなあと
思います。

「怖い絵」シリーズの中にある
『イーゼンハイムの祭壇画』の章は、
いつも涙なしには読めないほどです。

一枚の絵画が、
ある時代のどういう立場の人の目に、
どれほどの力強さでもって迫ってきて
いたのか。

それを、
まるでその人の身体の中に入って
その目から見るように
中野先生は見せてくれます。


以下の引用は、
それがよくわかる箇所であるとともに、
私自身がとくに好きな箇所でもあります。

ひとつは、
形をとりつつあるイエスの伝えたいこと

神の国が近づいている、悔い改めよ、
というところまではいい。
だがヨハネは、
神の怒りの凄まじさを強調し、
良き実を結ばねば
神に焼き尽くされるぞと脅すばかりで、
愛を説くことはなかった。
これまでのユダヤ教どおり、
神を「怒りと裁きの神」としか捉えていない。
イエスは違う。
彼は愛を説こうとした。
神を「愛の神」として
人々に伝えたかった。
ただでさえ生きにくいこの世で、
地にへばりつくようにして
やっとの思いで息をしている
貧しき者、苦しむ者を、
さらに鞭打つのが神の御心だろうか。
病に倒れたのは、悪しきおまえへの神罰だ、
などとどうして言いきれよう。
安息日にも働かねば食べてゆけない者を、
律法違反と咎めていいものか。
人は律法のために生きているのではない。
人のために律法はあるはずだ。
経済的にも健康にも恵まれた者にしか
守れない律法なら、
そして神が
そういう人しか救わないというのなら、
もはやどこにも
救済は無いということになるではないか…


群衆に唾を吐きかけられ石をぶつけられながら、
十字架を負い磔刑へと向かう途上で

また彼らの中には、
イエスがロバに乗ってやって来た日に
棕櫚の枝を振り、「ホサナ」と
歓迎した者すらいた。
常に大勢の流れゆく方向へ、
何ら考えもなく身を翻す
(どの時代にもどの文化圏にもいる)
付和雷同の人々は、
崇め奉ったのと寸分違わぬ熱狂ぶりで
同じ相手を貶める。
かつての人気絶頂期にも、
心の闇の部分では妬み憎んでいたとしか
思えぬほどの、それは激しさ、執拗さであった。
だからこそ憐れまねばならす、
にもかかわらず愛さねばならぬのだ。
人間の愚かさや無自覚、卑劣さや弱さを、
イエスは知っていた。
苦しみの只中でさえ、
イエスは神にこう仲介するのであった。
「父よ、
彼らを赦し給へ、
その為す所を知らざればなり」。
彼らは自分が
何をしているか知らないのだから、
どうぞ赦してあげてください、と。


この本は、
絵画を楽しむためのツールであることが
前提ですが、
キリスト教に興味はあるけど、
いきなり聖書はハードルが高いよー、
って方の入門書としても、
とてもいいと思います。

フルカラーの絵(ぜいたくにも名画!)+
ぐいぐい読めてしまう物語のおかげで、
頭にも入ってきやすいです。


今年は、
例年と違うクリスマスの過ごし方に
なることが多いかと思います。


それならそれも楽しみたいですね。


そんな今年のクリスマスのお供に、
この本をおすすめしたいと思いました。


どうかよいクリスマスを😌


画像1

表紙のこの絵はベラスケス画『キリストの磔刑』。
最も美しいイエス像と言われているそうです。
確かに。スタイルめちゃくちゃいいですね…


名画と読む イエス・キリストの物語
中野京子 / 大和書房

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?