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俺はビッグ(チーム)

年末っスね。
コロナ以降特に年末年始の特別感が大幅に減ってきた印象があるので今年も特に感慨深くもないんですが,SNS見てるとさすがにみなさんも普段どおりって感じでもないので,そこに謎のあはれを感じたりはします。
今年はアドカレにも参加してなかったので,一応自前noteくらいには何か書いとこうかなと思いました。今年のまとめとか。
とはいえ,私の中では区切りは年度なので,ラボ専用ブログみたいなところではいつも3月末に総評を書いています。ただ今年はあえて今かなと思うところがあり,そのことだけ書いとくことにしました。
研究者が年号区切りで見ているものに論文があります。Yamada (XXXX) とかのこのXXXXのところですね。いつもこれが新しい数に変わった際になんだか新鮮な気持ちになったりするものです。
で,2022年の私の論文を見ていると,大変おもしろいことになってるなあと自分で思いました。詳細は私のホムペで見れます。↓

私は普段から雑誌のIFとかブランドとかどうでもいいと言っていますし,DORAにも署名していますので,掲載時に巫山戯ながらとかでしかそれには言及しません。ですがあえて,イキリマウントとかそういう意味ではなく,今年の目立つ業績を雑誌名とIFだけ並べてみます。
・Nature Communications (IF=17.69)
・Nature Human Behaviour (IF=24.25) x 4本
・PNAS (IF=12.78) x 2本
・PNAS Nexus
・Scientific Data (IF=8.50) x 3本
さすがにおかしい。

私は2017年くらいから,メガコラボやマルチラボと言われるような国際共同研究に,なかばその仕組みの調査目的で,ためらわずいくつも飛び込んできました。それらがたまたま2022年に掲載されたという偶然が起きたもので,今後もこんな風なワケはないと断言できます。たまたまです。現に今も参加しているマルチラボ関係はそんなに多くありません。もちろん,私自身が何かすごい研究者になったとかいうわけでもありません。テクスチャみたいな著者リストの中でも最末端の共著者なだけです。しかしそのたまたまが無視できないような結果を見かけ上もたらしているので,デモンストレーションの意味でまとめてみました。

何が言いたいかというと,「で,これをどう評価しましょうか?」ということです。「マルチラボの木っ端著者なんてゼロ扱い」でしょうか?それとも雑誌ブランドやIFをそのまま真に受けてスゲースゲーと評価するのでしょうか?どちらも何か変じゃないですか?後者をやめようみたいなことはよく言われています。でも前者については,マルチラボがだめなんだったら,じゃあ何人の著者の時まではゼロ以上で評価してくれるのでしょうか。普通は非筆頭の共著論文でも評価はゼロなんかにしないですよね。むしろ国際共同研究は褒め称えられがちです。そうした「正統派の」国際共著論文と「邪道の」マルチラボはどこで切り分けられるのでしょうか。というか切り分けるのは妥当なのでしょうか。IFを共著者数で割りますか?その手の簡易な分割や調整もうまくいかないのは「未来は手の中論文」で述べたとおりです。評価はみんなの心の中だけの問題だから具体的なやり方は特に決めなくていい?でも何らかの個人賞とかにこれらをリストして応募したら,やっぱり選考時に評価しないといけないです。もっと言うと,マルチラボには院生も参加しています。かれらが学振に申請したらやっぱりこれを評価しないといけないです。名前が紙面には直接載っていない(けれどメタデータとしては共著者として個人名が公的に記録されている)コンソーシアムオーサーシップという場合もあります。どうしましょう?

と,いうのがビッグチームサイエンスにおける評価問題として最近議論されているものです (Forscher et al., 2022)。私もこれについて特に明確な答えを持っているわけじゃないのですが,議論する際に使い勝手の良さそうな素材を入手したなと思った年末でした。みなさまよいお年を。

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