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心理的安全性って呼ばない方が良いのかも

全員発揮のリーダーシップが成功する上では、心理的安全性の存在が一つの鍵になります。そこでこの概念を授業で扱い、心理的安全性をクラスやチーム内に構築するよう呼びかけるわけですが、ここで多くの受講生が心理的安全性を誤解してしまうことがハードルになっています。

異論が言えないのは心理的安全性じゃない

心理的安全性を、ネガティブな反応を恐れずに異論・提案を言える状態ではなく、単に平和だったり楽しかったりする状態だと捉えてしまうのです。

なので例えば「やり方を変えた方がいいと思ったのだけど、心理的安全性を下げてはまずいなと思って言えなかった」といった発言が出て来ます。異論・提案を言えないという低いレベルで保っても本来の目的からすれば意味が無いのですが。

しつこいですがたとえて言うなら、これから新大陸を発見しに行こうと荒れることもある海に乗り出して行こうとしているのに、それに耐えうる船を作るとか操船技術を磨くとかではなく、「安全なところにいた方が良いね」と陸にとどまっているようなものです。

もちろん、僕らも手をこまねいているわけではなく「異論を言えない状態では心理的安全性があるとは言わないよ」とか「異論や(一見)批判的なことを言えるような心理的安全性を作るには何が必要なんだろうね?」と投げ掛けるのですが、その時は頷かれても、ちょっとすると「波風立たない=心理的安全性」に戻ってしまいます。

「心理的安全性」は違う呼び方が良いのでは

この現象を一緒に見ていた日向野さんは「英語圏には「人間同士は普通ぶつかるのである」という常識ないし諦念があるのに対して、日本では「人間同士ぶつからないように注意するのが常識じゃね?」ということですかね~ 相当根深い」と言われていて、呼称を変えた方がいいのでは、とも言われていました。

僕も、違う呼び方をした方が良いのではないか、と思い始めています。あるいは心理的安全性の概念を正確に伝えることにこだわらなくても良いのかも知れません。例えば「異論・提案受容性が不可欠である」とか「異論・提案活用度を高める必要がある」とか言った方が、目的を果たせるのかも、と思います。

でも「言った方が良いかも」と思うことも言わずに表面的に保っていることが心理的安全性だなんてイメージ自体をぶっ壊したい、とも思ったり。

(文責:早稲田大学 グローバルエデュケーションセンター(GEC) リーダーシップ開発プログラム 副統括責任者 高橋俊之)

心理的安全性って呼ばない方が良いのかも│モメンタム・デザイン (momentum-design.com)

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