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「論理的」こそ公平で優しい


学生時代、ずっと数学が苦手だった。


「数学は答えが一つだから好き。
国語は答えが一つじゃないのが意味不明」


何度こんな感じのセリフを、
数学好きの人から聞いたことか!!笑


私は国語が好きだった。

だって、国語は答えが一つじゃないから。
(漢字などは除く)

いろんな解釈、答えが許されるんだよ!?
それがおもしろいんじゃん!と思っていた。



そして、いつからか

「数学は、論理的」
  ↓
「論理的な人は、なんか冷たい、優しくない」

みたいな偏見・思い込みがずっとあった。


だけど最近、
それは全然違ったなと思うようになった。


むしろ、論理的な方が優しくないか?



論理的な話は、筋が通っている。

どんな相手だろうと同じように説明ができて、筋が通っているので相手も納得しやすい。簡潔で分かりやすい。優しい。


一方、非論理的だったら、つまり、その時の感情任せで明確な根拠もなく整理もされておらず筋の通っていない感じだったら、説明があいまいで相手も納得しづらい。無駄にモヤモヤさせてしまうだけで相手に優しくない。

主観的なものは他者の頭の中での再現性が低く、正確に理解してもらうことが難しい。

「ん?なんでそうなる!?おかしくね?」
と言われたら、そこから話が進まない。

最悪の場合、それ以上、聴く耳を持ってもらえないことすらある。お互いにとってあまり気持ちのいいものではない。



論理的であれば、相手に
「ふむふむ、なるほどね、確かにね」
と納得感を与えることができる。

時には
「でもさ、こうも考えられない?」
と建設的な反対意見をもらえるかもしれない。

その反対意見も論理的であれば
「あ〜確かにそうだね、ありがとう、その視点は抜けてたわ。じゃあ、こういうのはどうだろう…」

と、感情的になることなく冷静に納得でき、さらに次の議論へスムーズに発展していく。めちゃくちゃ有意義。


もしも反対意見が非論理的で
「それは絶対あなた間違ってる。理由?私の経験則。私がそう思ったんだから正しいに決まってる」
みたいな、かなり主観的なものだったら

「は?反対するなら何がおかしいか分かるように説明してよ。根拠もなく全否定?人格否定?」
と納得できず、無駄な傷や怒りだけが残る。

これはほんと時間の無駄。全く有意義じゃない。




論理的であることは、
冷静で客観的で公平だ。

だから、相手に優しい。はず。



なぜ私は、「論理的な人=冷たい、優しくない」だなんて、変な偏見を持っていたのだろう。


淡々と話す人が多いから?

もしかしたら、筋の通った内容かということ以上に、淡々として冷たく感じる言い方や表情など、表面的なことにばかり気を取られて、肝心の相手の伝えたいメッセージを重視できていなかったのかもしれない。


完全に私の受け取り方の問題。

私は一体、相手の何を見ていたんだろう。
ちゃんと相手の話を聴けていたんだろうか。






論理的なみなさま、今まで本当にすいませんでした。
この場を借りてお詫びします。
もうそんなくだらん偏見は捨てました。


数学は相変わらず苦手ですが、
どうか私もそちらの仲間に入れてください。


感情的であることも人間としてもちろん大事ではあるが、相手へ優しさの視点で言えば「論理的」こそ公平で優しい。と思う。

成熟した大人としてとても大事なスキルだ。
マジで必修科目。

ロジカルシンキング、
もっと訓練して、しっかり習得したい。


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