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当事者じゃないと説得力はないけれど、それでもいいと思う


たとえば、虐待を受けたことがない人や、実際に虐待の現場や当事者に関与したこともない人が、虐待に関してあーだこーだと訴えても説得力がない。

机上の空論に過ぎない。
「どれだけ辛いか、幸せな環境で育ったあなたに何が分かるの?」と言われたら終わり。

たとえば、自らが被災したことも、被災地の現状を自分の目で見て実際に支援の現場にいたこともない人が、被災地支援についてあーだこーだと議論を展開しても、全く説得力がない。

「経験したことねーだろ。現実を知らねーだろ」と言われたら終わり。


まだ社会に出て働いたことがない学生が、仕事のやりがいやらビジョンミッションやらを熱く語っても、「あなたまだ社会に出たことないじゃん。働いてから言えよ」と言われたら終わり。

結婚や子育てを一度もしたこともない人が、結婚や子育てのメリットデメリットをいくら語っても「いや、あなたまだ何も経験してないじゃん。何が分かるの?」と言われたら終わり。


政治家なんてまさにそれで、生まれた時から裕福な暮らしをしてきて、庶民の生活を全く知らないくせに「国民の皆様のために!」とか言ってる人ばかりで、全く説得力がない。

仕事が決まらない不安や、家賃が払えないかもしれない恐怖や、食費を削るしかないギリギリな生活を味わったことあんのか。妊娠出産がどれだけ命懸けか、産後ボロボロの身体での新生児期の寝不足がどれだけ辛いか、育児と仕事を両立させる大変さを経験したことあんのか、と庶民としては怒りが湧いてくる。


でも、それを言ってたらもう誰も何も言えない。

「当事者しか触れちゃだめ!」なんてことにしたら、もうこの世界で何も言えなくなってしまう。

あらゆることの当事者になることは不可能だし、経験したことにしか携わっちゃダメだなんて不自由すぎる、優しくない。

部外者を追い出していたら、巡り巡って自分を苦しめることにも繋がっていくと思う。


だから、当事者ではない人が関わることを、「説得力がないから」という理由だけで口をつぐませてしまうのは、あまり得策ではないと私は考える。

むしろ、何事も仲間や味方は多い方がいいのだから、当事者じゃない人もできる限り参加してもらって巻き込んだ方がいい。


まず、巻き込む側じゃなく、巻き込まれる側の自分を考えてみる。

当事者じゃないのに関わろうとするとき、必要なのはなんだろう?

経験していないことをできるだけリアルに想像する力?
当事者と対話する力、勇気?
分からないことを分かりたいと思う謙虚さ、知的好奇心?

何事も当事者にならないと説得力がないが、だから関わらないのではなくて、当事者じゃないからこそ、どんどん首を突っ込んでいこうと思う。

当事者としての情報発信者にはなれないかもしれないが、ならばせめて、足を止めて耳を貸す良きオーディエンスになろうと思う。

オーディエンスとして何かできることがあるなら、それはもうある意味、当事者だと思うし。


じゃあ、巻き込まれる側ではなく、自分が当事者で他人を巻き込みたい側の場合に必要なのは?

言葉による発信力?言葉以外の表現力?
同じ当事者とつながる力?勇気?
手段(効果的なツール)を持っているかどうか?

色々と考えられるが、当事者になったらスキルとか考えなくても、自然と発信できる気がする。だって切実だから。


どちらかというと生きていく上では「当事者じゃない立場、オーディエンス」にいるケースのほうが圧倒的に多いので、オーディエンスとしての素質(?)のほうが大事なような気がする。

当事者のときは部外者の人にも寛容でありたいし、部外者のときは当事者に関心を持てる良きオーディエンスでありたい。

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