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国立新美術館 「李禹煥」展 現代アートの巨匠は誰にでも共鳴をくれる優しい人なんじゃないかと思う

「李禹煥(リ・ウファン)の展覧会には行かれましたか?」

とある方から尋ねられました。

「これは、哲学の世界ですよね?」

と興奮気味に話していたのです。

最近身体の調子の良くないその方が、
横浜から都内まで行ったというのだから、
私も「観に行きます」と答えました。

秋らしい天気の休日、
乃木坂の国立新美術館へ
さぁ哲学の世界を楽しむぞとワクワクしながらでかけました。

美術館のお供はいつも長男です。
本格的な現代アートの展覧会は初めてなので、どんな感想を持つかな。

入館前、
いつなら美術館のガイドは欲しくはないけれど、
難解な現代アートを読み解いてみたい気持ちで、息子とそれぞれのスマホに作品の音声ガイドをダウンロードしました。

「風景」

はじめのお部屋。

蛍光ピンクに塗られたキャンバスに囲まれた部屋は
色味が床や天井にも流れでているようなトリッキーな錯覚を起こします。

現代アートとは体験なんだと改めて実感。

漫画「ブルーピリオド」で触れていたけれど、
美術の表現はその時の「流行り」なんだと、
スカッとわかりやすい説明がされていました。

ものをみてそのまま描いたり、彫塑したり、
写実を極めていった芸術の流れの後、
光と影の加減だけが全てを構築するような印象派が流行ったり、
またファインアートが流行ったり、
そして現代アートと呼ばれるような、作りながらも作ることを否定するような表現に行き着くのだろうけれど、

表現の線引きが曖昧で、
これ?アートなの?
みたいなのが巷には溢れているような気がする。

ぐうの音がでないとこまで完成させられているものはなかなかないのでは。

風景と題されたこの作品、
この一部屋目では
そこまでの気持ちに至ってませんでした。

次のお部屋へ、、、と、そこで
うっかり音声ガイドのページを閉じてしまう。あわわ。。

仕方ない、
解説はあとで息子に訊くことにしよう。

二番目の部屋から

「関係項」

と題された作品が並び、鉄板と向かう石や、
ガラスに映る石、
そのままの素材を対峙させるように
組まれています。

二つのものとものがお互いに与える影響には
なぜが音だったり、風だったり、
視覚以外の五感に触れるものを感じます。

展示場所がもっと広かったり
屋外だったり、
あるいは庭だったりすれば
この関係は違ったものに見えるだろうな
なんて思いました。

空があったらもっといいのに。

立体作品の後には
麻の油彩用キャンバスに岩絵具、膠、
あるいは岩絵具と油で描かれた作品。

「点より」
「線より」

が続きます。

私は立体作品よりも
平面の方が関心が高くなってしまうようです。とても楽しかった。

近くでみると岩絵具の粒子が
キラキラしててとても綺麗だし、
書道のような筆捌きを均一に並べる難しさは
これぞ芸術品、という感じ。

あ、ぐうの音も出ないわ。

まるでさらさらと流れる時間を
窓の外から俯瞰で見ているような気分になりました。

そして次は

「応答」


という平面作品。

二つの色とそして大きな余白。

これをみてたら、
春に友人と会話してたときのことを思い出しました。
ほんとに些細なこと。

「最近、ちょっとおかしいの」

と友人が言う。

彼女には推しがいるのだけど、
そのことばかり考えてしまうのよ、という。
わかりますよ、その気持ち。

「ハタチになりたい」

!!!

衝撃の告白。

彼女の推しは26歳。
彼女は40半ば過ぎの夫子持ち。

さてなんて答えましょう。

「なれません」、、、不正解
「そりゃ無理だわ〜」、、、不正解

リアリストな私は答えに困る。

いつも優しくて、明るくて、
ふわふわと楽しいことをさらっとこなす彼女を見るたび、
いつも現実的に考え過ぎてしまう自分は、もしかしたらすごく損をしてるんじゃないかと思う時がある。(0.1秒)

魔法がかかったみたいに楽しんでしまえば
それでよいものを
理屈をこねくりまわしてる私は幸せのチャンスを逃しているのかも。(0.1秒)

「私は単純だから〜」とさらっと言ってどんなことも楽しめる彼女を尊敬している。(0.05秒)

推しの写真集を眺める彼女に、
「私は出来ればこの人たちのレントゲン写真が欲しい(骨フェチだから)」
なんて変態めいたことを言っても
おかしそうに笑ってくれる優しい彼女に、
素敵な言葉でかえしたい。(0.3秒)

なんだ、よい返答はなんだ!!!

「、、、それは、、、、
        恋だね」

やっと出した答えは
否定でも肯定でもなく。

彼女はふふふ、と笑う。

「東京大学物語」の村上ばりに高速で考えて答えた。

私にしてはちゃんと返せたつもり。

が、きっと微妙な間が空いただろう。

彼女はその間をどう感じただろうか。

私と彼女に生まれた余白は
空に登っていって、
春ののどかな日の思い出になったかしら。

芸術とは
空を落とすか、支えるか


途中途中に、作家の言葉が壁面に
印字してあります。

メモするのを忘れてしまったので
曖昧なのですが、
空を落とすか、支えるか。

一見難しそうなんだけれど、
人が誰しももった感覚を言葉にしたら
こんな言葉になった、とも言えるのではと思います。

部屋の壁を飾るとき、
お花を生けたとき、
庭木を切りながら少し離れてバランスを見たとき、
空(くう)について、
誰でもいつも考えているじゃないかと思うのです。

一瞬の出会い、余白の響き、無限の広がり


最後の壁にプリントされた作家の言葉です。

難解な哲学なんかじゃなかった。

五感から共鳴を呼び起こし、
そして誰にでも美の感覚はあるんだよと思い出させてくれるような優しさ。

ガイドを聴きながらゆっくり出口に辿りついた息子と合流。
とても良かったと顔に書いてある。

「すごいよ!
二つのものをぶつけると、無限が生まれて宇宙が生まれるってのがすごい」

宇宙?
ガイドがそう言っていたのかというと、
そうではなくて
無限=宇宙だと思ったのだそう。

15歳の君には、無限は宇宙なのだね。

良い芸術は淘汰されることはないだろうから、
十年後、、、二十年後、
君が私の同じ年齢になった時もいいかな、
一緒に今日と同じ作品を観たいな。
感想を聞かせてほしい。


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