善悪のジャッジはだいたい自己防衛、かな

物事には良い面と悪い面の両方がある、という。

でもどこからが?その判断基準は?

結構、人それぞれだ。そして、その価値観は急に変わったりすることもある。 

なぜだろう?

わたしなりにその現象のヒミツをまとめてみた。

昨日夢を見た。

警察官が悪い人らしき人物を連れ去っていった。

犯人と共に彼らがトイレに入ろうとした瞬間に警察官は急に悪い顔になった。

犯人を逆にはめたような感じで。そして犯人は実は悪気はなかったような顔をしていた。

警察官に対して抱いてたイメージは、悪から私たちを守り、そして悪を排除する「正しい正義感」を持つ人だと思っていたから、

わたしはとっさに信頼してた気持ちから一変して悪者だ!!!という反応をした。

あと前にも、シーンは違うけど似たような夢を見た。

その内容は、天使と悪魔のお互いの顔が逆転して

天使の体に悪魔の顔、悪魔の体に天使の顔がくっついたのだ。

私はとても不思議で不気味に感じて怖くなって逃げた。

2つの見た夢をあげて何が言いたいのかといえば

まぁ私は自分を守るために人を見下したり、批判したり、または、憧れを抱いたり、好いたりするんだってこと。


もちろん生きていくためにジャッジは必要だ。


でも心の内側は無限に広くて、まるで境界線がない。

なかなか身動きがとれない時、ものごとが停滞してる時、人間関係がうまくいかない時は

自分の中にあるどろどろに入ってみて、見つめて、そっと優しく話しかけてみなければならない。


自分の心の内側の話を聞くってとてもシンプルだけど、難しいもんね。

最初の段階の内側に入っていく作業ですら逃げたくなるし。

そりゃしかたない。

日々を生きることに精一杯だし、その現実の世界に長くいればいるほど、じゃあいざ1人の時間を作って自分と向き合ってみようってなると

寂しい。なんだかんだ。

でも、やっぱりやってみるとおもしろいんだ。

勢いに任せてじぶんの中にどぼんと入って

どろどろに溶けて

なんなのかわからなくなって

その相手に投影されていたもやもやは

いままで抑えてきたじぶんで

わたしはあの時のじぶんが現実で生きのびるために

あの時にほんとうはそうしたかった自分を殺した

だから目の前の、まるで自分とは真逆に見える人に

苛立ちを覚えたりしていたんだなー、とか。

そして

どろどろをじぶんのなかに取り入れたら

目の前の景色はパーッと明るくなって

目の前の相手への不快感はふしぎとなくなってることがある。※もちろんそうじゃない時もあるケドね!

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